月刊ライフビジョン | メディア批評

コロナ五輪で露呈するマスコミの地位低下

高井潔司

 コロナ感染拡大への国民の不安の拡大、五輪関係者のスキャンダル噴出にもかかわらず、五輪開催は強行された。「金メダルが2、30個も出れば世論の支持も変わる」というのが政権の思惑であろう。確かに、私自身も連日、テレビが伝えるアスリートたちの活躍に目が奪われている。開幕当初、NHKなどは夜の定時ニュースの番組さえ吹っ飛ばして、五輪中継をしていた。まんまと政府の思うつぼにはまっているのだ。

 政府は26日、広島原爆投下の際のいわゆる「黒い雨」をめぐる訴訟で、被告政府の敗北の高裁判決に対する上告を見送った。さすがに朝日は一面、社会面トップで報じたが、読売の一面トップはオリンピックの金メダルラッシュ、黒い雨は準トップの小さな扱い。社会面も両面とも金メダルを受けた記事で埋め尽くされ、黒い雨訴訟はその裏側の第3社会面の扱いだった。

 こうした報道を見て、以前、本欄で触れたことがある満州事変時の軍部の思惑と新聞報道の変節を思い出した。満州事変がなければ、日華事変はなく、そして太平洋戦争もなかったといわれる満州事変。その直前まで新聞は決して軍部にひれ伏していたわけでも、媚びていたわけでもなかった。むしろ新聞がこぞって抵抗していれば軍部の独走を阻止できたとさえ言われている。今年1月亡くなった歴史家、半藤一利は、その時のエピソードを書き記している。

「事変勃発ほぼ一ヵ月前の八月のある日、朝日新聞の編集局長緒方竹虎は、同盟通信の岩永祐吉、毎日新聞の高石真五郎、それと外務省の中堅官僚とともに、陸軍の今後の方針を聞く会に出席した。陸軍側からは小磯国昭軍務局長、林桂整備局長、鈴木貞一軍務局課員らが出席した。席上、小磯が『満州国の独立の必要と必然性』をのべ、緒方がこれに対して『満州国の独立などとは時代錯誤もはなはだしい。そんなことに、いまの若ものがついていくとは思えない』と強く反駁した。小磯軍務局長は平然として答えた。『日本人は戦争が好きだから、火蓋を切ってしまえば、アトはついてくる』」。(『戦う石橋湛山』東洋経済新聞社2008年)

 もちろん、日本人は好戦的というだけでなく、日本人将校の惨殺事件、満鉄線爆破のでっち上げなど、対中憎悪を煽る事件を次々作り、現場記者も軍部に同調するような仕掛けを軍部は用意していた。いったん事変が勃発すると、新聞はがらりと変節し、戦争を煽り立てる側に回ってしまった。半藤はさらに続ける。

 「緒方は戦後になって、このように軍部が戦争を起こす気でいるのを知りながら、なんら手を打たなかったことを『今から多少残念に思うし、責任を感ぜざるをえない』と書き、歎くのである。そして軍部にとっては『新聞が一緒になって抵抗しないか、ということが、終始大きな脅威であった』とも書いている」

 日本人はオリンピックが好きだし、五輪の開催によって、五輪に対する世論の支持は、選手たちの懸命の献身的なパーフォーマンスもあって、開催を機に好転しただろう。しかし、今日の日本の状況は、五輪とそれ以上にコロナの問題が大きくのしかかったいる。コロナの感染の方は五輪開幕と並行して悪化の一途をたどっている。「ワクチン接種で高齢者の感染比率が減少している」「人流が減少している」といくら菅首相が強弁しようが、感染者拡大はますます激しいカーブを描いている。金メダルがいくら増えようと、コロナ感染が拡大すれば政権への信頼はますます低下し、肝心の人流さえ押さえることが困難になるだろう。

 7月にあった出来事をめぐるマスコミの報道で、もう一点気になったのは、五輪関係者の過去のスキャンダルが相次いでSNSで取り上げられたことだ。五輪組織委員会がそれを受け、矢継ぎ早に処分を発表した。マスコミは組織委の処分発表を受けて初めてやっと登場し、報道した。一連の動きの中で、報道における新聞、テレビの地位低下が歴然とした。ニュースの価値判断、私たちメディア研究者は議題設定機能と言っているが、それをマスコミが担うのではなく、SNSや政府、当局が握り、マスコミはその結果発表だけを伝えているのだ。

 もちろん過去の報道も、決してマスコミが事件の発端から掘り起こしていたわけではない。関係者のリークや読者からの情報提供などが端緒となり、その情報の確認、取材、掘り下げ、そしてそのニュースの価値判断を通して報道が成り立ってきた。だれもが発信できるSNSの登場で、関係者、市民が情報発信するのは当然という時代になったが、その情報を組織委とか、政府が判断し、処分を決定する前に、マスコミがまずSNS情報を取材し、確認し、ニュース価値を判断して発信すべきではないのか。一連の報道では、組織委の処分を待っているのだ。このスキャンダルの問題点はどこにあるのか、マスコミは判断を回避しているのだ。

 いくつかの五輪関係者の事件は、過去の関係者の誤りをSNSが暴き、組織委はそれを覆い隠すかのように急遽、処分を出し、あとは何事もなかったかようにやり過ごすことが続いた。まるで密告制度みたいなものだ。どこに問題があり、その問題がどうオリンピックの運営に支障があるのか、どのような処分が適切なのか、全く議論がないまま忘れ去られてしまう。その繰り返し。そして、時間が経つと、セクハラ発言で退任した森前組織委会長のように、名誉顧問に復活させるような動きが出てくる。

 一連の事件を通して、性差別、民族差別、人権問題などで、日本が世界の常識から如何にかけ離れているか、明らかになった。これを是正していくためには、臭いものにふたをするような性急な処分ではなく、むしろきちんとした議論が必要なのだ。モグラたたきのゲーム手法では解決しない。新聞やテレビには、その議論を深める役割を求められている。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。