月刊ライフビジョン | メディア批評

民主主義の復元力示したバイデン演説

高井潔司

――――――――それにひきかえわが国では…

 さまざまな試練と混乱を経て、ようやくアメリカのバイデン新政権がスタートした。1月22日付の日本の主要新聞朝刊にも、バイデン新大統領の就任演説の全文が掲載された。朝日の場合は全段抜き2ページにわたって、日本語訳とそれに対照して英語の原文も掲載するという大扱いだった。どれだけの人が演説全文を読んだかわからないし、私自身も最後まで読み切ったわけではないが、大いに感銘を受け、一つの記念として取り置いた。

 演説はまず「民主主義の勝利」を祝福するとともに、「アメリカの魂と未来を取り戻すため」に国民の「結束」を呼びかけた。バイデン氏は「共通の敵は怒りや恨み、憎しみ、過激主義、無法、暴力、疫病、失業、絶望」だと指摘し、それとの戦いのためにも「結束」が大事なのだと訴えた。「結束」の呼びかけは演説全体を貫くテーマで、トランプ政権下で進行した社会の分断化への痛切な危機感を反映している。

 演説の中で、私にとって最も印象的だったのは、この「結束」と並びバイデン氏が強調した「真実を守る」ことだった。バイデン氏は、「アメリカ人として定義する共通の対象(超訳すれば価値観?)とは何か」と自問して、「機会、安全、自由、尊厳、敬意、名誉」と挙げながら、最後に「そして、そうです、真実です」と、その重要性を浮かび上がらせた。その上で「この数週間と数か月、私たちは痛ましい教訓を得ました。真実があり、そしていくつものうそがあるということです。うそは、権力や利益のためにつかれたものです。私たちはそれぞれ、市民として、アメリカ人として、そしてとくに憲法に敬意を表し、国家を守る事を誓ったリーダーとして、真実を守り、うそに打ち勝つ義務と責任があります」と呼びかけた。

 もちろんこの言葉の背景には、フェイク情報とデマを広めたトランプ前大統領やその支持者への批判が込められている。だが名指しはせず、むしろ自身を含めたアメリカ人全体に「真実を守る」義務と責任を求めたのである。

 トランプ前政権が残した負の遺産は、この演説で帳消しになるわけではない。バイデン政権の前途は多難である。しかし、トランプ政権下では民主主義の脆弱さを見せつけられたが、バイデン新大統領の演説では民主主義の復元力を見る思いがした。この演説にもライターがいる。ちなみに朝日の演説全文の記事の後にその言及記事もある。それでも堂々した演説ぶりは、草稿の修正を何度も自身が参加して行い、自分の言葉にしたからだろう。彼の信念を語っていると感じさせた。「スリーピー ジョー」というトランプ氏のバイデン評も全くフェイクだったことが如実に示された。

 バイデン演説を読むにつけ、どうしても感じるのは、官僚の作文を棒読みするだけのわが国の政治リーダーの言葉と哲学の貧困さだ。数々の政界の汚職、疑惑には「答弁を差し控える」と逃げ、コロナ問題でも短すぎる答弁でやり過ごす。第3次補正予算の審議では、多くの感染者が自宅や救急搬送中に亡くなっていることに「責任者として申し訳ない」と謝罪したものの、野党の組み換え要求は拒否し、緊急事態宣言前に作成し、Go To トラベル」を延長する予算を盛り込んだ補正案は可決された。土壇場で、野党の提案を受け入れ、入院拒否者に対する懲役刑という条項を特措法などの改正案から外した。これは野党への譲歩というより、そもそも入院先を十分確保できない中で、このような馬鹿げた改正案を提出すること自体、現場の声に耳を傾けないこの政権の体質を示していたのだ。

 1月15日付読売の「お疲れ首相不安の声」という記事によると、「首相は官房長官時代から、平日朝は国会近くのホテルで有識者らと朝食を摂り、情報収集するのが日課だった」そうだ。しかし、「緊急事態宣言を発令した後は8日連続で見送り」、例のステーキ会食で批判を浴びた昨年12月17日以後は夜の会食も自粛中で、自民党内からは「会食自粛でストレスを抱えている」との同情論も出ているという。だが、この首相は、有識者との会食と言っても、学術会議から与党の進める重要法案に反対した学者を排除したように、異論には耳を傾けるはずがない。会食するのは専らお仲間の有識者とであろう。野党や国民の声などは聞きたくもない雑音に違いない。野党の質問に、答弁が短くなるのはその表れだ。それはそれは、毎日ストレスが貯まることでしょう。でも、こんな言い訳がましい同情記事は読みたくない。

 各種世論調査では、急速に菅内閣に対する支持率が低下している。しかし、世論を甘くみているのか、野党の力不足を見抜いているからか、世論にも耳を傾けず、強気で乗り切ろうとしている。そこでは哲学など無用、かえって邪魔だ。議席の数さえあればいいということだろう。

 そんな私の嘆きと疑問に答えてくれたのは、17日付読売の解説面に掲載された伊藤俊行編集委員の「小選挙区制25年改革は道半ば」だ。脇見出しには「圧倒的議席 『民意』と隔たり」とあり、「小選挙区制と政党交付金が『独善的政治の土壌』と心配する声もある。候補者の公認や資金分配で党首の力が強まり、安倍政権『1強』を生んだと見る」との声をきちんと紹介している。また「政策が同じ党の候補同士が争うから『金権政治』の温床になるとして中選挙区制を並立制にしたのに、金額こそ小さくなっても『政治とカネ』の問題は解消されない」とも指摘し、まさに今の日本の政治の根本的な問題点を指摘している。選挙制度という政治の基本的な枠組みを見直すべき時期に差し掛かっているということだろう。目先の政権批判に忙しい朝日にこうした記事は見当たらなかったのは残念だ。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。