月刊ライフビジョン | 論 壇

『草枕』と人間的尊厳

奥井禮喜
いま、なぜ『草枕』か

 夏目漱石(1867~1916)の『草枕』は、1906年9月1日の春陽堂『新小説』に発表された。『新小説』は8月27日に書店に並んだが、2日後には全書店から『新小説』が売り切れて、関係者は漱石人気に驚いた。漱石が朝日新聞に招かれたのは、大阪朝日新聞主筆の鳥居素川(1867~1928)が、『草枕』を読んで大感激したからだと伝えられる。

 いま、なぜ『草枕』を読むのかというと、当時もいまも厄介な時代にあるが、漱石さんが、厄介な気分を克服して元気よく生きようという文学的試みを同書に展開しているからである。書かれたのは日露戦争の最中である。『草枕』の社会的背景が、――世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上図々しい嫌な奴で埋まっている――ことにあって、むしゃくしゃ気分を抱えて日々葛藤しておられる、いまの方々の応援歌になりそうだからである。

 さらにいえば、115年前と、いまの日本人的気風がどの程度進化したのかについても考えてみたい。

漱石さんの芸術観

 『草枕』冒頭の、――智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい――は、同書を読んでいない人でも知っているだろう。

 人の世をつくったのは普通の人々である。住みにくいからといって人間であるから人のいない世へ引っ越すわけにはいかない。束の間でも心が寛げるようにするために、詩人や画家という芸術家の出番がある。――あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。――

 『草枕』のモチーフは、第一に漱石さんの芸術観である。

 主人公は30歳の画家である。画家は塵芥の世界を離れて超然とした境地を求めて旅に出た。豊かな自然の山道を歩き、峠の茶店の老女に会う。能の高砂に登場するような媼である。気のいい馬子にも出会う。

 めざす那古井の温泉場の宿は志保田という。志保田は老父と、離婚して戻っている娘の那美と小女の3人がおり、他の客はいない。髪結床主人、観海寺の和尚・大徹、小坊主の了念、那美の従弟の久一、那美の元夫、那美の兄などが登場する。しかし、そこに際立ったプロットがあるわけではない。詩的であり、俳句的な情緒が漂う作品である。

 漱石さんが『草枕』についてインタビューで、「美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。それ以外には何も目的がない。プロット(筋書き)もなければ、事件の発展もない」と語ったように、漱石さんの美意識が勢いよく縦横に記されている。結論が出されてはいないが、美意識については、西洋の美意識と日本的美意識を比較し、さらに両者を止揚させる狙いがある。

 漱石さんは、――文学は吾人の趣味(taste)である。――と『文学評論』で述べているから、西洋の美意識と日本的美意識を論ずるのではなく、自分の趣味としてそれぞれを論じている。吾人の趣味という言葉は、たとえば、ラ・ロシュフーコー(1613~1680)が『箴言』において、――至上の幸福はtasteのなかにある。事柄のなかにあるのではない――と述べているのと重なる。

 tasteは、感興を誘う状態、おもむき、あじわい、さらには、ものごとのあじわいを感じとる力、美的な感覚の持ち方などをいう。さらには「あの人は好みがよい」というように、人品骨柄、品位までも示すだろう。つまりは、人間としての出来栄えをも意味している。哲学的表現をすれば、「人間はなりたいものになる」というから、自分の個性を発揮する生き方に挑戦しようというのである。

生き方としての美意識

 『草枕』においては、画家を通して、漱石さんの美意識がさまざまに開陳される。雅境を理屈で論ずるのではない。理屈をもちだせば雅ではない。読者が共感してくれるか、共感してくれればそれでいいし、共感してくれなくても、それは読者自身のtasteであって、勝ち負けを決するようなものではない。美というものは寛ぎが必要だということに気づかされる。

 たとえば画家が大徹和尚と談話する。観海寺の書斎の障子を開け放つと、夜の静かな庭に松の影が落ちる。遠くの海では漁火が明滅する。

 和尚 「あの松の影を御覧」

 画家 「奇麗ですな」

 和尚 「ただ奇麗かな」

 画家 「ええ」

 和尚 「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」

 画家は、人間世界の塵芥を避けて美を求めているのだが、和尚はさりげなく、人間社会の塵芥気分を風にたとえて、もっとおおらかになってはどうだい、と示唆しているようでもある。

 ここで和尚は、カント(1724~1804)のコペルニクス的転回をしてみせた。「認識は対象の模写ではなく、主観が感覚の所与を秩序づける」、俗っぽくいえば、気持ち次第だといっている。

 月に群雲、花には嵐という。群雲と嵐を単に無粋な邪魔ものとだけしか考えないのは思慮が浅いのではなかろうか。

 画家 「これはいい景色、和尚さん、障子を閉めているのはもったいないじゃありませんか」

 和尚 「左様よ、しかし毎晩見ているからな」

 画家 「いく晩見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」

 なるほど、塵芥だらけの浮世にも飽きるが、障子を開け閉めするからこそ飽きないのである。風流な景色といえども、風流だらけでは辟易してしまう。

非人情の心境

 画家は非人情の天地に遊びたい。非人情というのは、せせこましい人情から超然としたいのである。那美は、それもまたせせこましいことを指摘する。

 那美 「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引っ越しちゃ、何にもなりません。」

 画家 「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう。」

 那美 「そんな国があるなら、ここへ出してごらんなさい。さあ、出して頂戴。」

 画家が、とっさの筆遣いで、写生帖へ1つの絵を描いて、

 画家 「さあ、この中へおはいりなさい。蚤も蚊もいません。」

 那美 「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。そんな所がお好きなの、まるで蟹ね。」

 画家 「わはははは」

 人情を超越して、美的世界に遊ぶと志している画家であるが、そんな狭い世界で伸びやかに生きられるか! と、これは真っ向からお面一本である。

 100年以上前の日本的社会は、義理と人情にがんじがらめであった。いまの人たちにはおそらくわかるまい。いや、分からないだけではなく、「兎角に人の世は住みにくい」と漱石が喝破した時代と中身はたいして変わらない。KYではじき出される人のなんと多いことか。

 SNSに期待を抱いて参加してみれば、たちまちにして罵詈雑言を浴びせかけられる。科学的世界にも「真善美壮」がある。漱石の時代よりもはるかに文明開化しているはずだが、文明開化のスケートリンクを滑走している人々は隙あらば手あたり次第に他人を転倒させてやろうと虎視眈々の様相である。

 「他人の不幸は自分の幸せ」という、いじけた性根が容易に打ち消せない。これがある限り、人は、品位あるtasteが身につかない。つまり、人の世を住みにくいものにしているのは、自分自身ではないか!

窮屈な浮世で

 『草枕』は、なるほど浮世を超脱したような舞台が描かれている。しかし、それは那美が指摘したように、美しくはあっても、塵芥だらけの浮世とは違った意味できわめて窮屈な世界である。自分から狭い道へ出奔することが、果たして道を究めることであろうか?

 漱石さんは、弟子の鈴木三重吉(1882~1936)に懇切な手紙を送った。三重吉は雑誌『赤い鳥』を創刊し、児童文学に貢献した。――詩人的に暮らすことは生活の全意義においては僅少な部分である。『草枕』の画家のようであってはいけない。いまの世界に生存して自分のよい所を通そうとするには、どうしてもイプセン流に出なくてはいけない。文学をもって生命とするものならば、単に美というだけでは満足ができない。――(要旨)

 ノルウェーの劇作家イプセン(1828~1906)は、市民問題や社会問題に積極果敢に取り組んだ。当時、わが国でも『人形の家』のヒロイン・ノラの生き方を巡って賑やかに論議された。イプセンが問題提起したことこそ、漱石を突き動かしたのである。

 漱石さんの一番弟子を任ずる小宮豊隆(1884~1966)は、――若くて美しい那美さんは、(『草枕』においては)アトラクション(客寄せの出し物)である――と評したが、これは賛成しがたい。

 那美は、周囲の人からはキ印だと陰口されている。当時は死に別れでない離婚をした女性に対して、世間の視線は理屈抜きに厳しかった。しかも那美は懐疑的であり、納得しないことは肯んじ得ない。それが世間には自由奔放に見える。しかし、漱石さんがいうところのイプセン流とは、まさしくこれである。

 5年後、漱石がおこなった講演『私の個人主義』(学習院において)で、漱石は自分が自分という個人から出発すること。短くいえば、自分の生き方を納得するまで考えて、これだと思ったら、ひたすらその道を歩もう。塵芥まみれの浮世を嘆いている暇はなくなる。

内発的人間をめざせ

 いずこへ行こうとしたのか? 『草枕』には、――善は行い難い、徳は施しにくい、節操は守りやすからぬ、義のために生を捨てるのは惜しい。――と書いた。これは、冒頭の「智に働けば—–」の対句である。自分の信ずる善・徳・節操・義を考え抜こうじゃないかというのである。

 『草枕』最後の場面では、満州へ派兵される久一を鉄道の駅で見送る。世の中は発車する列車みたいなものだ。自分の意志で列車は走らない。

 ――客車のうちに閉じ込められたる個人と、個人の個性に寸毫の注意をだに払わざる、この鉄車とを比較して、あぶない、あぶない。気を付けねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。お先真っ暗に妄動する汽車はあぶない標本の一つである。――

 ここでいう汽車が日本国そのものだということは直ぐにわかる。自分がない愛国心などは危険極まりない。『吾輩は猫である』で、戦争勝利に浮かれている人々の「大和魂」をチクリとやったのがそれである。

 いまから100年前の講演「現代日本の開化」では、開化は人間活力の発現であるが、日本人の開化は西洋の真似である。西洋の開化は内発的であるが、日本の場合は外発的である。内発的でなければならないと強く訴えた。同じく、講演「文芸と道徳」では、日本人に批判的精神がなかったことを諄々と語った。いまの日本的状況をみると、漱石が見た日本(人)とあまり変わっていないのではないかという心地になる。

 『草枕』は、漱石さんの作品のなかでは、もっとも雅な風格がある。そして、それは人間社会を超越した世界に生きるのではなく、その渦中で逞しく生きよというメッセージを遺したのである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人