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権力は人民を代表するか――アメリカ大統領選挙から見えたもの

奥井禮喜

選挙は続く

 長い選挙であった。11月3日の投票が終わって、ニューヨークタイムズが「BIDEN BEATS TRUMP」(バイデン勝つ)とヘッドラインに大見出しを掲げたのは11月7日だった。その日、トランプ氏がゴルフに興じているリンクの外では、大勢のアンチ・トランプが集まり、「ゴミを荷物に詰めてとっとと消えろ」というプラカードも掲げられた。

 トランプ氏は負けてはいない。選挙に敗北したのは、選挙が不正なのだから敗北を認めないという理屈で粘る。裁判を多数起こしたが不正選挙の証拠がないから敗訴ないしは撤回に追い込まれた。

 12月14日は選挙人投票である。選挙人538人、270人を確保すれば勝利である。選挙人は11月3日の一般投票の勝者に投票するのであるが、トランプ氏は、選挙人に一般投票結果とは異なった投票をするように働きかけた。選挙人が一般投票結果とは異なって、自分の意志! で投票し、万一トランプ氏が勝利するというようなことになったら、アメリカは大混乱に陥るだろう。

 常識的にはそのような異変は起きないとみられるが、異変が起きないという確証はない。選挙人投票結果は、来年1月6日の連邦議会で承認される。それまで今回の大統領選挙が続くことになり、長い選挙はいまだ終わっていない。

 米国連邦憲法の憲法観は、権力抑制のためのより高次な成文法憲法という建前である。その特徴は、人民主権・連邦主義・三権分立で、それぞれにチェック&バランスが効いているはずであった。

 大統領は行政権を掌握する。就任の宣誓では、職務を忠実に遂行する、憲法の維持・保護・擁護を誓う。しかし、現職大統領が再選するために、トランプ氏がおこなってきたような騒動を禁止する規定はどこにもない。大統領に選挙が不正か否かを決める権限があるわけではない。これでは、どこかの独裁者がおこなっている選挙と同じである。

選挙の危機

 仏政治家のトクヴィル(1805~1859)『アメリカの民主政治』に、選挙の危機についての記述がある。要約すると、

 ――米国連邦大統領の選挙期間は国民的危機である。大統領が部下のために自由にできるポストは非常に多い。候補者は多数者の気持ちにおもねる。多数者の気持ちはそもそも気まぐれである。選挙は演出され、おもねりと気まぐれが熱狂状態を招く。

 ――陰謀と買収は選挙制政治にしばしば現れる弊害である。とくに現職が再選をかけた選挙では弊害が広がり、国家の存在を危うくする。現職は国家である。現職が国家を腐敗に引きずり込むと政治道徳が腐敗堕落し、愛国心は策謀と同義語になる。これが国家の危機である。

 少し考えればわかるが、選挙で勝利することだけが目的化する。政治は二義的関心となる。政策は総合的かつ整合性を必要とするが、政治が選挙での勝利獲得のために駆使される結果、永年に渡って検討し積み重ねられてきた政策が歪む。思い付き政治、ワンフレーズ・ポリティクスである。

 選挙は政策論争の場というが、ヒートしている頭がじっくりと政策を吟味する可能性は低い。それでも政策論争のうちはまだいい。敵か味方かという傾向が深まるような選挙戦になると、人々は選挙を通じて分断されて、選挙戦が終わっても速やかに平静を取り戻せない。

 過去の大統領選では、一般投票の結果が発表されたならば、敗者が勝者に祝辞を贈り、人々に新たな連帯を呼びかけるのが米国大統領選挙の美風であった。フェアプレイ精神である。トクヴィルは、「大衆性に美徳を加えねばならない」として、これがデモクラシー精神だと記述した。

 一般投票結果が発表された後も、トランプ氏によってグズグズと継続される不正選挙キャンペーンによって、政治道徳が廃れ偉大な品性が消える。深刻なことは、一般投票直前に、米国民の多くが――支持者も含めて――トランプ氏は誠実ではないとみていた。何をもって誠実とするか? 政治家の公約がそのまま実現しないことではない。真実を語ることが誠実の基本的条件である。

 トランプ氏のツィッターは8,900万人のフォロアーがいる。トランプ氏は7,380万票(得票率47%)を獲得した。これは事実である。モンマス大学の意識調査(11/18)では、国民の32%が、バイデン陣営が不正選挙をやったという。これはざっと5,000万人である。トランプ支持者にかぎると77%がが不正選挙だと指弾する。(バイデン氏8,000万票)

 負けて悔しい花一匁どころの話ではない。国民が分断されている。たまたまトランプ氏が敗者になっただけで、もし、勝者になっていたとしても、米国民は大きく分断されたであろう。トランプ氏は再選を果たさなかったが、米国民を分断することには成功した。

 バイデン氏は、「1つにまとまり傷を癒すときだ」と人々に呼びかけた。ワシントンポストは「A TIME TO HEAL」(癒しのとき)と大きく見出しを掲げた。客観的には正鵠を射ているが、氏が人々を「結束させる」大統領になられるか否か。現実の時間は不幸にも、依然として分断を拡大する悪意が支配している。

 トランプ氏の目的は、民主主義の政治をすることではなく、大統領の地位を奪取することにあった。言い換えれば、政治をするためには、自分が大統領になり、憶測でも嘘でも何でも駆使してしたいことをする。政治は自分がおこなうのであって、自身が正義である。

 トランプ氏が、人々を分断することが自分の正義を貫く上で好都合だと考えたのではなかろう。それでは単なるお邪魔虫である。自分が正義だということを喧伝これ努めた結果、憶測でも嘘でも何でもいい、とにかくトランプ氏に賭けようという人々が固まった。おそらく彼らは政治家の品位・道徳性など求めてはいない。政治が、自分の思うようなものであればよろしい。

 トランプ氏が自分の正義を振り回した結果、支持者が氏の後ろに馳せ参じた。自分の言い分を貫く、つまり支持者以外を求めないのは、剛腕不動産屋の手法かもしれないが、それでは民主主義に背馳する。なぜなら、民主主義はオール・オア・ナッシングではなく、可能な限り多数派を形成していくものだからだ。米国民主主義の危機というのは、民主主義の原理・原則よりも、自身の言い分だけを押し出す人々が米国民の半数近くを占めることにある。

ポーズとしての体制批判

 トランプ氏を支持した人々は、既存のエスタブリッシュメントに反対したのであろう。つまり、トランプ氏が登場する以前の支配階層にプロテストした。トランプ流アメリカ・ファーストに共鳴・共感した。これは、時間軸でみると米国の国力が著しく低下した流れにおいて発現した。

 アメリカ・ファーストは、トランプ氏の専売特許ではない。米国が世界外交の舞台に登場して以来、直接公言しなくても一貫してアメリカ・ファーストである。世界各地で、他国の政治経済に手を突っ込んでかき回してきた。

 ところでアメリカ・ファーストには、国内第一主義で外のことはどうでもよいという立場と、米国が世界に君臨するという2面がある。

 トランプ氏は、自国第一主義を唱えて、他国との同盟関係を軽視した。外交戦略としては二国間主義をとり、二国間交渉を有利に運ぼうとした。米国対某国の関係では、米国並みの大国は中国だけであるから、与しやすい。それが成就した暁には、米国は縦社会的に世界に君臨するわけだ。このように考えると、トランプ流は米国的覇権を獲得するために、第一ステップとして国内第一主義を取ろうとしたのであろう。

 しかし、これでは米国外交は19世紀へ逆進する。20世紀に入って、世界は理念としての世界共同体へ歩んできたのであり、そこには、人材・商品・資本・情報が世界中を行き来する必然性があるわけで、早晩、トランプ流アメリカ・ファーストは破綻せざるをえない。

 軍事同盟において、米国が積極的に各国と同盟を推進してきたのは、他国がお願いしたわけではなく、米国自身のリーダーシップであった。その結果が、いわゆる世界の警察官という表現である。その淵源を辿れば、19世紀からの米国の砲艦外交が根源である。トランプ氏が、米国の力の低下を本気で考え、砲艦外交の伝統を変えようとしたのであれば、これはノーベル賞ものだ。

 大方の国々の理性的な政治家は、軍事負担の重たさと、本質的バカバカしさを十分理解している。手始めに、トランプ氏が核兵器の縮小をぶち上げたならば、世界各国は拍手して歓迎したであろう。しかし、氏は「使えない核兵器は無意味だから、使える核兵器体制にする」とした。無意味だという理解は理性的であるが、転じて使えるようにするというのはど壺に陥没している。

 そもそも、世界貿易が円滑になればなるほど平和が進展する。交易と戦争とは相反するものだからである。取引のプロを自慢するトランプ氏が、この程度の常識を弁えていないとすれば、何をやっても儲かればよろしいとする死の商人と同じである。

 世界の警察官などまっぴらだというのが、世界の覇者として行動したくないというのであれば上等である。しかし、二国間関係において好き放題やるのであれば、力ずくのアウトロー世界の理屈と同じだ。

 さて、本当に既存のエスタプリッシュメントが問題だと認識しているのであれば、その内容は米国的資本主義にこそ根源がある。実際、コロナ禍で世界一の感染と死亡の記録更新を続けている米国において、1%にも満たない富豪がさらに富の蓄積を増加させている。

 トランプ氏のコロナ対策を批判した人々は、トランプ氏のエスタプリッシュメント攻撃が口先だけで、実は、自身が経済的支配者のために活動していることを見抜いているわけだ。トランプ氏がコロナ対策に本気で取り組まないのは、単純に経済を維持したいだけである。経済が人間のためにある、そしていま人間の生命が危機にさらされているということが理解できないような人物が世界最大の政治的権力者の地位にあるのは危険千番である。

 米国内の格差問題は深刻である。米国的資本主義は、強烈なメリトクラシーに立脚している。メリトクラシーとて、人々が生活に困窮し、健康維持する不如意な状態では成り立たない。コロナ対策を通して見えたトランプ氏の人の生命に対する異常な無関心は常識的理解の範囲を超えている。

権力は強大化する

 民主的国家では、人々の政治意識は比較的啓発されているはずである。しかし、この間、米国の政治のベクトルはトランプ氏の好みによって、人々が分断され、衝突せざるをえないような事態を生み出した。トランプ氏が誠実ではないと知りつつ、トランプ氏に1票を投じた人々の心は複雑骨折している。

 トランプ氏はツイッターでおおいに政治意識を高めたが、その方向性は人々の政治的啓発につながるものではなく、人々を扇動するものであって、いったい、いま何が問題なのかという議論の入り口にすら辿りつけないような事態を招いた。

 民主主義において、権力は専制政治以上に強大化する。国民的合意が形成された権力は国民の力であるが、権力の座にある人が、個人的恣意によって権力を行使するならば、それは民主主義の衣服をまとった専制主義者に過ぎない。民主主義の政治家は、ルール順守に敏感でなければいけない。

 権力は大いなる力である。同時に、非常に危険な力である。権力がいずれに振れるか。米国だけではない。わが国においても、国民1人ひとりの見識が問われている。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人