月刊ライフビジョン | メディア批評

ほめ脳けなし脳

高井潔司

 最近、新聞やテレビで、「ほめ脳」という言葉をよく聞くようになった。ほめると、ほめられた人がより良く育つだけでなく、ほめる人にもいい効果があるという。ほめると、癒しホルモン「オキシトシン」というのが脳内に分泌され、人とのコミュニケーションが良くなり、ストレスが解消され、心臓の機能を良くし、ひいては長寿にもつながるというのだ。これが事実とすると、本欄でメディアをけちょんけちょんにけなしている私などは、長生きも望めなくなる。そこで今月からは少しずつ「ほめ脳」を鍛えていきたい。

 先月の報道は、やはり歴代内閣で最長となった安倍内閣が退陣、その番頭役だった菅義偉氏が後継首相に選出されたニュースでもちきりだった。退陣表明前は30%台に低迷していた安倍内閣支持率が朝日新聞の世論調査でさえ70%を超え、また菅新内閣の支持率も60%以上を記録した。政権が交代するとたちまち前政権の腐敗、汚職に捜査のメスが入り、前大統領の逮捕が恒例のお隣の国と違って、わが国では去り行く人への尊敬の念、また新しい指導者への期待の念も強く、寛容の精神に満ちたすばらしき国民性が発揮されたと言えよう。

 ところが、米誌「ニューズウィーク」日本語版9月22日号に「安倍首相の辞任で分かった、人間に優しくない国ニッポン」という評論が掲載されていた。異文化コミュニケーションアドバイザー、石野シャハランという署名があったが、私にとって初めてお目にかかる名前なのでどういう人かわからないが、私同様、「ほめ脳」が発達していないか、退陣表明後支持率が急上昇をしたことを知らないかのどちらかだろう。曰く「彼は曲がりなりにも、約8年間も身を粉にして総理大臣を務めてきた生身の人間である。彼の政治的野心や実績は脇に置くにしても、持病の悪化を押して務めに当たって来たのはどれほどつらいものか、そのせいで辞任するのはどんなに悔しいものか、想像するに余りある。病気は彼のせいではない。それを『溺れる犬は石もて打て』とばかりに責め立てるのは、人として冷酷すぎると私は思う」。日本人が私のようなほめ脳無し人間ばかりならその批判も結構だけど、支持率が急上昇したのを見てもわかるように、「安倍首相の辞任で分かった、人間に優しくない国ニッポン」という見出しは、的外れも甚だしい。

 ニューズウィークといえば、私の学生時代は同じく米誌タイムと並んで国際報道で世界をリードし、教科書として学んだこともある。しかし、インターネット時代に入って読者が激減、アメリカの本誌は一時停刊し、身売りはされた。したがって日本版は、本誌の日本語版ではなく独自編集して発行を続けている。日本版もあちこち身売りされているようで、このような頂けない評論も掲載されるようになったのもそのせいだろう。

 安倍さんは、私人ではなく8年近く政権の座にあった公人であり、しかも影響力を残し、菅内閣が安倍亜流内閣などと評されているわけだから、その退陣にあたって公人としての評価がまずあって然るべきで、「それを脇において」などという議論が、かつては「高級誌」と言われたこの雑誌に掲載されようとは残念極まりない。

 一方の「タイム」は批判的精神がまだまだ旺盛のようで、同じ週に毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表した。日本からセクハラ問題で安倍前首相のお友達、元TBS新聞記者を性暴力犯罪で訴えた伊藤詩織さんとテニスプレーヤーで、人種差別問題で堂々と抗議活動を展開した大坂なおみ選手が選ばれた。

 まだ駆け出し記者だったころ、支局の先輩がいつもズボンのポケットにこの米誌を突っ込んで取材に出ていたのを思い出した。この先輩、外報部に行ってワシントン特派員にでもなるのかと思いきや、政治部一筋、やがて読売新聞社の社長、会長に昇りつめ、現在日本のスイス駐在大使を務めている。ジャーナリストとしての本懐が遂げられたとは思えないが、政権に密着する記者が「優れた記者」とされる日本のマスコミ界としては新たなルートを開いたという先人ということになるだろう。これも肌身離さず持ち歩いていた米誌の御利益か。おやおや私の「ほめ脳」のかなり発達してきたようだ。

 さて安倍さんの辞任を受けた総裁選挙は、有力候補の一人、石破氏排除の意図が見え見えの選挙方式が採られた。こんな寛大な日本世論なのだから、たとえ石破体制になったからといって、お隣の国のような悪夢はあろうはずがなく、正々堂々と正規の党員投票をやった方がすっきりしたのではないだろうか。

 総裁選の報道は、主要派閥が一斉に菅氏支持を表明し、選挙前から菅圧勝に決まっているのに、これまた馬鹿正直な報道。いや失礼、「ほめ脳」を発揮すれば、さすがに新聞大国日本らしく、公正、公平な報道ぶりだった。私が興味深く読んだのは、9月9日付朝日の社会面、「3候補私が知る素顔」。それぞれのゆかりの人にインタビューして、各候補の素顔を浮かび上がらせた。見出しは「石破さんの曲げない姿勢昔から」、「こつこつと積む菅さんのゴルフ」、「あんなに爽やかな文雄君は久々」と文字数もぴたり同じ。見出しだけ見てもそれぞれの素顔が浮かんでくる。だが、所詮出来レース、せっかくのわかりやすい、公平な記事も読む意味がなかった。禅譲を期待していた岸田さんは潔い出馬だったのに、全くの冷や飯を食らわせられた感じで、少しは同情票が集まるかと思ったが、判官びいきのわが国民性も、「政治は数」という自民党代議士のリアリズムの前に完敗の結果となった。

 新内閣について、野党はいつもながら「安倍首相のいない安倍内閣」「ちょっとだけ回転ずし内閣」とまあ見事な表現の批評。しかし、所信表明演説さえない国会日程を飲まされてしまった。批評がうまいだけでは、政党としての存在感はゼロではないか。これに引き換え、新内閣は、携帯電話料の引き下げなど取り組みやすく、庶民の人気を高める政策を次々打ち出した。さすがに実務派内閣らしいスタートだ。

 ただし、世界戦略、目指す社会像、国家像などを理念を問われると、どうも苦手のご様子。言葉、表現にリアリティがなく、たちまち疑問符が付いてしまう。就任会見で菅新首相は「目指す社会像は自助、共助、公助そして絆だ。国民から信頼される政府を目指す。そのため行政の縦割り、既得権益、あしき前例主義を打ち破り規制改革を全力で進める」(朝日新聞の会見要旨を引用)と述べた。その意気やよしであるが、では具体的に何をやるのか。携帯電話の値下げだけでは国民は納得しないだろう。どこかで大ナタをふるわなければならないが、無派閥の、オーナー社長ではない、各派閥に気配りしなければならぬ慎重派の番頭さん首相にそれができるだろうか。

 本気で「自助、共助、公助」というなら、まず政党助成金を廃止すべきだろう。公職選挙違反で裁判が進行中の河井克之・案里被告の陣営には、自民党から1億5千万円の資金が送られた。これほどの巨額の資金を短期間で使うのは、結局買収資金としてばらまく以外に手がなかったのではないか。こんな資金供与も政党助成金によって党の財政が潤っているからできることだろう。ちなみに26日付け朝日朝刊によると、2019年、政党助成を受け取っていない共産党を除く各政党が受け取った政党交付金の総額は対前年比54.4%増の357億円。このうち自民党が受けた交付金は163億円にのぼる。そして政治家個人への交付金では、何と選挙違反に問われている河井案里議員に対して、他候補より約3倍の8300万円だったという。この報道では読売は朝日以上のスペースを割き、「河井夫妻側へ1.2億円突出」、「自民支部使途『不明』」と、政党助成が選挙違反につながったことをにおわせる紙面だった。

 それにあれやこれやと名目を立ててパーティを開いて資金を集めるのも、「共助」という名の悪しき慣行ではないか。裏では、公共事業費の上乗せ、丸投げの再委託、ピンハネなどの不正によって生じた資金が行き来していると想像される。税金の無駄遣いは、政党交付金の数倍に及ぶだろう。国民に「自助、共助、公助」の順を説くなら、まず政治家ご本人から実行してもらいたい。

 新政権発足前後の動きの中で、私が最も疑問に思ったのは、拉致問題に関して「全力を尽くす。条件が整えば、金正恩委員長とも直接話し合う」と意欲を示すが、断念したミサイル防衛システム「イージスアショア」の代替問題では「敵地攻撃の可能性」さえ検討する動きがある。なぜミサイル防衛問題では「話し合い」が出てこないのか。片方は話し合いで解決でき、他方はできないというのだろうか。むしろ一括して話し合い解決を目指すべき事案と私は思う。要するに「話し合い」など本気で追求していくつもりはなく、拉致問題では「批判逃れ」、ミサイル防衛問題ではアメリカからの押し付けられた代替兵器購入を引き続き模索しているだけではないのだろうか。

 こうした問題で、新聞、テレビは首相発言や政府の発表を伝えるが、それを受けた、私のような批判や疑問の指摘がまるでない。ジャーナリズム本来の批判的精神が色あせているように感じる。

 おっと各論に入るとつい、「けなし脳」が頭をもたげて来る。この辺で、今月のほめ脳トレーニングはお開きとしよう。


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。