月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

日本でも蔓延の兆し「トランプ現象」―フェイクは真実ではない

高井潔司

 私の所属する日本マス・コミュニケーション学会の春季研究発表会が6月17,18日、新潟大学で開催された。発表会では大学院生や若手研究者の研究成果発表のほか、時機に適ったテーマ、開催地の特色を生かしたテーマを選んだシンポジウムが開かれる。今年のシンポジウムのテーマの一つは、「『トランプ現象』とメディアの信頼性をめぐって――選挙、世論、メディア言説における正当性(正統性)」だった。
 学会のシンポジウムなので、タイトルは小難しそうだが、要するにトランプ大統領の当選以後、アメリカの政治において、彼の言動をめぐって繰り広げられるメディアと大統領とのあつれき現象をどう見るかということに尽きる。リベラルな新聞やテレビによって率いられてきた米マスメディアから見れば、トランプ大統領がツイッターで発信するメッセージに多くのフェイク(虚偽)が含まれるが、トランプ大統領に言わせると、自身を批判するマスメディアこそ「フェイク ニュース」を発信していると批判する。
 常識的に見れば、トランプの方が事実を無視し、大衆受けする根拠の弱い発言が多いので、フェイクだと思われがちだ。とくに日本から見ていたらそう感じる。だが、何しろ、マスコミの選挙予測は外れたわけだから、トランプだけがフェイクと決めつけるわけにはいかない。むしろ「フェイク」という言葉を広めたのは、トランプ大統領である。
 興味深いのは、就任後の様々なミスやトラブルを報じられても、大統領の支持率はそれほど下がっていない。トランプ支持者たちにとって、トランプ批判のマスコミは別世界にあるメディアであって、ツィッターで大統領のメッセージを見ているし、テレビだって保守系のフォックステレビを見ていれば不愉快な大統領批判を見ないで済むのだ。
 トランプ現象に特徴的なのは、批判、反論が広く同一メディア上で戦わされて、議論を深め、「真実」へとまとめ上げられるのではなく、大統領はツィッター上で好き勝手に発信し、両者の主張、意見が交わることなく、併存している点だ。
 シンポジウムの壇上に上がったのは、アメリカ政治、アメリカメディアの専門家たちで、日本のメディアではあまり触れることのない情報や事実を明らかにしてくれた。「日本のメディアは、ニューヨーク・タイムズなどリベラルな論調の新聞、テレビの情報を中心に報道しているので、トランプがおかしいと見られがちだが、アメリカの大衆はそうしたマスコミよりもずっと大統領自身を信頼している」と解説する専門家もいた。日本と違って新聞に対する信頼度は低い。この専門家が示した2016年9月段階の「米の諸制度への信頼度」調査では、「大いに信頼」「かなり信頼する」を合わせた比率は、大統領の36%に対し、新聞は25%。日本のような全国紙はなく、ニューヨーク・タイムズもローカル紙である。人口千人当たりの発行部数は日本が約400に対し、約120部だから、影響力がない。
 そもそもトランプを当選させたのも、視聴率の稼げるトランプ発言をやたら取り上げたマスコミのせいだと、トランプのテレビ露出度の高さをデータで示す専門家もいた。選挙戦では、保守系、リベラル系に関係なく、話題のトランプを取り上げ、それだけクリントン候補は話題性のないつまらない候補としてあつかわれたのだ。
 そして一番印象に残ったのは、昨年世界的な流行語になった「ポスト・ツルース(真実の価値が終わった時代)」が、「ポスト・ワンツルース(真実が一つではない時代)」に移ったのではないかという見方が提起され、かなりの共感を得ていた点だ。
 ニューヨーク・タイムズや朝日新聞といった主流のマスコミが、「これが真実だ」と提示し、真実を収斂させていく時代は終わり、様々な人がインターネット、SNSで、それぞれの真実を発信していく時代。真実は一つではなく、いくつも存在する。人々が、インターネットという、誰でも、いつでも、どこでも発信、受信できるメディアを持った、まさに平等、直接民主主義の時代の特徴だというのだ。エリート・メディアが傲慢に真実は提示する時代は終わった。
 確かに、現実としては、「ポスト・ワンツルース」の時代を迎えつつある。ただ大きな問題は、誰もが自分の考える真実を発信できる道具を持ったとはいえ、誰もが本当に真実を見つける能力や時間、条件を持つことができるのかという点だ。元マスコミで、いまだ大学人である私がこのような疑問を呈すると、たちまち批判が一斉に沸き起こるご時勢だが、この点はやはり今後の大きな問題点として残り、現実の政治も様々な混乱現象をもたらすのではないか。それこそが「トランプ現象」、「ポスト・ツルース」だ。公開の議論を通して、一つの真実に近づこうという民主主義の原理が否定されつつあるのだ。

 安倍内閣の支持率が急落し、安倍一強に少し風穴があきそうなムードが漂ってきた。私の見る友人たちのフェイスブックでは、東京新聞の女性記者が菅官房長官の記者会見で、質問攻めして官房長官をタジタジさせたという情報が、動画とともに送られてきて、興味深く読んだ。いつも高をくくった官房長官の会見での発言に、反論どころか、再質問さえできない記者たちの姿を見てきたので、非常に痛快だったが、彼女は社会部記者と聞いて、納得した。こうした記者会見は公開されず、記者クラブに属する記者しか参加できないが、記者クラブには政治部記者だけでなく、社会部記者も名前だけ入っているケースがある。普段は社会部記者はそうした会見に出ないし、名前は登録されているから拒否はできない。再質問は3回以下になどという常連記者と当局の暗黙の了解事項に縛られず、元気な女性記者が疑問を次々質してくれたわけだ。
 ところが、これを学生たちに見せようと、ユーチューブを開き、検索してみると、彼女の記者会見での質問を、「またヒステリー」「東京新聞がキチガイ記者を派遣」などと揶揄する書き込みのある映像がむしろ多いくらい、炎上している。“二つの真実”が存在しているのだ。この現象は一体なんだろう。ネトウヨが面白がってやっているのか、当局が安い手数料で当局に有利なメッセージを大量に発信させる中国の「ネット水軍」にならって、雇われたネット広報のプロが暗躍しているのか、ともかく、ネット上では「ポスト・ワンツルース」状態になりつつある。
 トランプ現象はアメリカの出来事ではなく、すでに日本でも始まっているということだ。そもそも加計学園問題だって、獣医師会が新規の獣医学部設置にはっきり反対だといっているのに、安倍首相は獣医師会の要請に応えてやっていると国会で答弁し、さらに最近の神戸での講演会では、全国でも新たに認可するなどと強弁し、問題点を覆い隠そうとしている。一連の安倍発言はやはり、「オルタナティブ ファクト(もう一つの事実)」ではなく、「フェイク(虚偽)」でしょう。「フェイク」は「もう一つの真実」ではない。「もう一つの真実」と見逃すのではなく、「一つの真実」を見出す努力がますます必要な時代になっているのではないか。


高井潔司
桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授
1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。