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職場の民主主義はいかにして機能停止したか

21組合研究会

 職場が荒れている。慣れてしまってはまずい。日常的光景を歴史的に考えてみよう。産業や経済の発展のみならず、健全な社会のためには健全な働き方を復興させなければならない。このままで日本は大丈夫なんだろうか。

荒れている職場

黒い企業の正体

 ろくでもない「ブラック企業」が流行語大賞になったのは2013年である。

 その起源を辿れば、1990年代後半あたりであろう。ブラック企業は、とくに新興産業、サービス産業に多く目立つ。製造業などと比較すると人を育てる必要性や苦心が薄い業界だといえなくもない。人の定着性(知識・技術・技能)を必要とする仕事であれば、人を消耗品のごとくに軽々しく扱えないものだ。

 いわゆる終身雇用(制度)が、熟練工を必要とする事情から広がったことを思い出そう。経営者が、わが社は「人を大事にする」と語る。これ、人道主義のありがたい言葉ではない。企業がその目的を遂行するために人の能力が絶対的不可欠だから、必然的に人を大事にするのである。

 ブラック企業では、極論すれば、経営者は儲かるから経営するのであって、他にもっと儲かる手段があれば直ちに乗り換えるであろう。一方、労働者の大部分は働く必要があり、不都合なら直ちに乗り換えるという条件があまりないから、不満があっても働き続けなければならない。

 ブラック企業は、従業員の採用から解雇まで、さまざまな分野で問題を指摘される。――雇用契約がきちんとなされていない。求人広告・採用の際の労働条件と実際の労働条件が著しく異なる。試用期間が長い。セクシャル・ハラスメント、パワー・ハラスメント、職場でのいじめ、労働者がさまざまの名目で企業の経費を負担させられる、賃金をきちんと支払わない、長時間労働、不払い労働は当たり前。辞めたくてもさまざまな方便で辞めさせない、かと思えば難癖つけて解雇したりする。—-要するに労使対等意識がない。もっとも酷いケースは、昔のタコ部屋的である。――――――― 昔、炭鉱で監禁同様の扱いで強制労働させた飯場。

人事管理がわかっていない

 パワー・ハラスメントについて考えてみよう。これ、和製英語である。職場で上司が、地位や権威を悪用して部下をいじめるような場合だ。多くは、言葉による精神的暴力で人格が傷つけられる。加害者側の心理としては被害者に対する差別意識、敵意、嫌悪感などがあると思われる。

 仮に被害者が裁判に訴えたとすれば、適正な業務範囲についてなされたことか否かの確定が争点になりやすい。しかし、いちいち実際の言動・行動が記録されていないから、事実を再現できない。当事者それぞれの主観について争われることになる。第三者によって、否定できない明確な証言があればよろしいが、まずそれは期待できない。なぜなら、公平な第三者が存在するような事情にあれば、裁判沙汰になるようなハラスメントが発生するわけがないからだ。

 つまり、ハラスメントが発生するような職場は荒れている。

 2011.7厚労省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」が設置され、2012.3「職場のパワー・ハラスメントの予防・解決に向けた提言」がまとめられた。そこでの行為類型(すべてではないが)は、

 ① 暴行・傷害(身体的攻撃)。

 ② 脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的攻撃)。

 ③ 隔離・仲間外し・無視(人間関係切り離し)。

 ④ 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)。

 ⑤ 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過少な要求)。

 ⑥ 私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)。

 これらは、職場の人事管理における病理的症状である。原因は人事管理の根幹にあることに気づかねばならない。人事管理がわかっていない。

人事管理(思想)の迷走

人事管理は歴史的に後退した―――――― 人事管理事情を簡単に回顧してみよう。

 1960年代は「大きな顔をする部下を育てよ」という言葉が主流であった。いちいち上司にお伺いを立てて指示を待つのではなくて、1人ひとりが主体的に仕事に挑戦せよというのである。また「仕事は盗め」という気風もあった。手取り足取り教える以前に、まず個人の主体的な成長に期待したのである。

 技術・技能をもつ人が後輩に盗まれたくないことから発生した面があるが、これが本人の奮起を促し、職業人としての自立的精神を育てることに通じた。組織文化が成長して、仕事をチームでやる認識が深まって、適正な指導が加えられるようになった。

 1970年代半ばになると「ほめて育てよ」という言葉が登場した。戦後のベビーブームの団塊世代(1947~1949生)が企業社会に大挙入ってきた。それ以前の刻苦勉励型の気風が薄れ、なにごとに対してもがまんしない。叱ったり怒ったりすると直ぐに辞める。その反省から、本人の主体性に期待をかけるだけではなく、先輩世代がもっと丁寧に意識的に育てようというのであった。

 ほめるためには、必要な指導をして、それが達成された場合にほめるのであるが、ただほめればよろしいと勘違いした管理・監督職が少なくなかったから逆効果も生んだ。

 1971年、ニクソンショック、1973年、石油ショック、1960年代からの公害問題もあり、企業は大きな経営上の課題に直面した。善戦敢闘の甲斐あって、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどというようになる。今度は安堵感と慢心の気風が漂い、刻苦勉励を唱えても糠に釘、「がんばれ」などの言葉が古臭いといわれる体たらくになった。

 1980年代には、「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)が会社を強くするというようなコピーが登場した。まことに幼稚であった。

 人事部が程度のわるいマニュアル本をまとめ買いして管理監督者に配布した。

 1980年代後半の話題は、新人類である。彼らは、新しい価値観・感性をもつという評価もあった反面、「大人になりたくない」シンドロームだという酷評もあった。人生において追求するべきもの・ことを持たない世代だともいわれた。いつまでも親と同居している。「やりがい」という貝を背負うCFや、「会社を上着のように着替えよう」という転職情報誌のコピーも登場した。

 就社ではなく就職するのであり、自分の技術・技能を磨くという職業人精神がなければナンセンスである。いま、ここで踏ん張るという気風がなければ、このようなコピーは百害あって一利なしだ。バブル時代を典型的に表現している。

 1988年には、弁護士が「過労死110番」を立ち上げた。人事管理が粗雑になって、人を育てる視点が希薄になった。自己啓発という言葉に頼って、単純に個人の競争心をあおるような気風が強まった。会社を上着のように着替えられないのが当然、成果を挙げるためにひたすら長時間働く。へろへろで働いているのに周辺が気づかないというところに人事管理不在が露見した。

 賃金・労働条件の向上によって、人々の自由度は間違いなく拡大したはずだが、さりとて生き方を追求する気風が育たない。困窮に近いほど生き方を考えたが、困窮から遠のくと怠惰や慢心が湧きやすいようだ。ハングリー精神というのは、単に空腹だから刻苦勉励するのではなく、生き方に対する真剣真摯な態度をいうのである。プロならぬ人事マンはこれを本気で研究しなかった。

 組合も同じであった。要するに、人々は敗戦後からの飢餓克服という考え方の慣性から脱出できなかった。「組合=賃上げVS人事=賃金管理→労使関係」というモデルにはまったままであった。だから、「組合離れ=会社離れ」だったのであるが、労使共に気づかなかった。

 人事管理が浮ついていた。とりわけ問題は、新人類が忽然と湧いたのではないという視点がなかった。1960年代「大きな顔をする—-」、1970年代「ほめて—-」、1980年代「ほうれんそう」を並べて、各人の成長の気風のレベルを時系列的にみれば、まさに逆行していることがわかる。なおかつ、1980年代は日本経済がバブルにはまっていた。いうならば人事管理(の精神)はあきらかに空転した。人事部の人材枯渇が露呈している会社が多かった。

バブル後も人事管理は冴えない

 さらに、バブルが弾けた後の人事部の対応は全く的外れであった。そもそも人を育て、組織活動を育てる仕事は簡単に目立つようなものではない。収益は投資があるから向上するという鉄則を無視した。人事の仕事が経理部・購買部の下請けになった。人員整理をすれば、人事管理の失敗だから、人事マンが率先して自分を馘首しなければならない、という人事マンの矜持を顧みなかった。かくして、ブラック企業は明らかに収益至上主義であるが、そのタネを播いたのは、間違いなく大企業の定見なき人事管理に端を発している。

 経営者・人事マンが見落とした最大の問題は、1990年代の人員整理が、実にやすやす運んだ事実である。労働者が「この会社でがんばる」という気概をもっていれば、確実に人員整理反対ののろしが上がり、赤旗が林立したはずだ。1980年代以降、労働者には会社離れの意識が広がっていたとみるしかない。

 さらに鳴り物入りで導入した成果主義が確たる成果を挙げなかった責任について、人事マンはいったい反省をしたのであろうか。1990年代からの人事部は本当に人事としての仕事をしてきたのであろうか。かくして、厳密に規定するならば、果たして目下わが国にホワイト企業が存在するであろうか。

歴史に学ばなければ進歩しない

 なおかつ、中小企業で組合が存在しない会社だけではない。組合があっても堂々たるブラック企業があるらしい。企業がブラックで、組合がそれを認めているとなればブラック労使関係なのであって、話はさらに深刻になる。

 ブラック企業はもちろん大変怪しからん。そこで働く人は被害者である。ただし、それはその企業内の加害者と被害者の関係であって、企業外の人や社会に対しては、ブラック企業で働く人もブラックである。なぜなら、彼らがブラック企業を生き延びさせている原動力だからである。

 わたしは自覚史観を提唱した。15年戦争は国内では、支配層と被支配層の関係において前者が加害者であり後者が被害者であるが、国外に対しては両者共に加害者であって、後者を無辜の民などということはできない。自覚史観なき人々の気風が必然的にブラック企業を生き続けさせているわけだ。

 いつまでも、直接関係がない後世代に戦争の歴史を学べというのは、戦争自体に対する責任を問うているのではなくて、先人たちがドジを踏んだ「ものの考え方」をきちんと研究して、二度とその轍を踏まないためである。歴史から学ばないのでは個人も民族も成長しない。これを忘れてほしくない。

女性差別・非正規社員問題

差別は封建遺制である

 憲法は男女平等を謳うが、相変わらず女性差別が改善されていない。1986雇均法が施行され、2001 DV防止法が施行された。1990年代以降、OECD、ILO、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)などにおいて、日本は、女性の意思決定への参加度が低い。性差別的な雇用慣行是正が遅れているなどの意見が出されている。

 ごく最近も国・地方議会で堂々たる女性差別発言があった。女性差別をするような議員が後を絶たないのは、わが国の民主主義の停滞を指摘しなければならない。そもそも差別の根本は封建思想が残っているからである。15年戦争は明治近代化の結果であるが、すべての差別意識はプレモダンの封建思想が依然根強いのだという苦い事実に注目しなければならない。

 (参考)島崎藤村(1872~1943)の「夜明け前」「破戒」をお読みでなければぜひ読んでほしい。藤村はまさにプレモダンとモダンの間で厳しく葛藤した人である。そこから藤村は「自己反省」することを悟った。概して、いまも日本人は自己反省ができない。

 日本は、世界経済フォーラム2013年、男女格差指数で105位(136カ国中)。女性の国会議員は列国議会同盟傘下において2014年、 127位(189カ国中)、女性管理職は世界平均30%、日本は10%に過ぎない。男女賃金格差は男性の73%。非正規社員は全女性の58%、年収200万円以下が圧倒する。20~64歳単身女性の貧困率は3人に1人である。

 いまの男性労働(長時間労働)を基準とすれば女性(男性も)は家事との両立ができない。そもそもわが国は、ILO第一号条約8時間労働をいまだ批准していない。週50時間労働以上は30%近い事情にあることを考えると、長時間労働自体が男女差別改善を阻害している大きな要因だというべきである。

非正社員は社会問題

 正社員と非正社員比率は6対4になった。一時期非正社員が減ったがまた増えた。いまの組合の最大課題である。非正社員の23.2%がパートタイマーであり、大方は女性である。非正社員はほとんどの会社にいる。非正社員が「お気楽・簡単・短時間」という働き方ではない。パート、バイトなどがしっかり働いていると見ている企業は3割弱というが、果たして、働き方を本当に観察しているのかどうか怪しい。正社員に対してさえ人事の影が薄いのである。

 (女性だけではない)貧困率の高まりは社会的信頼性低下に通ずる。にもかかわらず、わが国の政財界には労働法制が経済成長を妨害するという考え方が非常に強い。一言でいえば労使対等原則が社会的に認識されていないのである。組合関係者の奮起を促したい。

労使対等は闘わなければ手に入らない

誰のための行革だったか

 1981年、鈴木善幸内閣で発足した第二次臨時行政調査会(土光敏夫会長)は、1983.3.14最終答申を報告した。(中曽根康弘内閣)当時、労働戦線統一の思惑も絡んで、臨調に対する労働4団体の見解は両極にわかれた。

 政策推進労組会議(1976創立)は、経済政策・雇用・物価・税制の4項目を制度・政策要求の柱として掲げた。これは妥当なのであるが、誰の立場で制度・政策要求をおこなうかという基本的視点がしっかりしていなかった。

 行政改革の動向をにらんで総評は、1979年に、「行政の民主的改革について」を決定していた。政府財界の主張する行政改革は、赤字財政対策や増税を前提にして、公務員の人減らしに焦点を当てていると分析したのである。

*結果から見て総評の分析は正しかった。政府・財界は根本的にわが国政治の改革を図ろうとしたのではない。戦後民主主義において、国民生活向上路線に傾斜し過ぎていると考えたのである。しかし、総評が公務員労働者の立場ばかり考えているという批判が労働界に強かった。結局、民間労働組合は政財界に取り込まれ、いまはその延長線上にある。官民統一した連合が結成されたが、いまだ官民の意思統一が不十分だということについて関係者は本気で反省し、第二臨調以来の運動の停滞を克服する努力が必要である。

 第二臨調報告書は、3公社(電電・専売・国鉄)の分割民営化が最大の目玉であり、公務員制度・許認可事務・補助金・特殊法人、地方自治体および行政手続きなど、重要問題のほとんどは掛け声だけ残して先送りした。そして、NTT、JTが1985年4月に発足、JRが1987年4月に発足した。さらに2006年、日本郵政株式会社の発足へと続いた。

 原則的に、民間でやれる事業は民営化するというのは当然である。ところで民間労働者には、常々官公労働者に対する不満や不信感があって、労働者的連帯感よりも、官業のあり方に対する批判が強かった。ために臨調の一連の経緯は、いうならば民営化という大きな動きに目を奪われたのである。臨調の動きに続いて、中曽根内閣以来、新自由主義への傾斜が進んだ。

 つまり、いまも国民生活向上路線にはない。誰のための政治であろうか。

 1980年代半ばから1990年代は、民間資本導入により「活力ある福祉社会」を建設するという概念が飛び交った。一方、金融経済が実物経済を支配するような事態が明白になった。その間、政財官学メディアが一貫して規制緩和を呼号し、基本的人権を確保するための国の規制であるところの独禁法・公害防止・環境保全・都市計画・労働基本権・農業保護・消費者保護などなどについても大きな思想的揺さぶりが続いてきた。

 新自由主義なるものが成果を挙げてきたか。小さな政府論が実現しつつあるかというと、概ね失敗であり、ますます混沌としているというのが妥当な評価であろう。臨調以来の組合運動を眺めると、きちんとした理論と運動の構築ができなかったというべきである。組合の勉強が期待されるわけだ。

組合と民主主義の深い関係

 戦後の政財学界が組合運動にどのように対処してきたかの一例を見てみよう。

 労使関係研究会(1959~1966 労働大臣が労使関係法運用の実情と問題点について学識者に委嘱した)の報告(1966.12.23)があった。会長・石井照久、委員・吾妻光俊、大河内一男、兼子一、峯村光郎、団藤重光ら、労働法学者・憲法学者の錚々たる人々が名を連ねていた。

 報告書は「あるべき労使関係」を前提して、団体交渉を狭い意味の労働条件に限ったり、争議をできるだけやらないように手続きを検討したりした。これによると、たとえば経営合理化から派生する争議はできなくなる危惧があった。また職場での組合活動を厳しく制限するごとき提言がなされた。

 組合が争議に入るのは、労使交渉不成立によって仕方なく実行するのであり、ストライキをするために交渉するわけではない。この報告書について、組合側には、合理化などでストをやられたくない経営側意見の代弁をするものだという不満が強かった。実際、ともすれば経営側は「経営権」「人事権」を錦の御旗として掲げ、組合側の意見を聞かないことが多かった。

 その本質は、経営側において、労使対等の認識が薄いことである。

 「あるべき労使関係」を前提するならば、経営側が労使対等に立たねばならない。ところが、わが国を代表する学識者が、労使対等に立たない経営側の現実を無視して、組合活動を縛るかのような報告書をまとめたのだから、組合側の不満が高まるのは必然であった。

 自民党が憲法改正を目論んでいるが、人々の関心が集まる第9条だけではない。労働組合の権利をも、名実共に企業内組合、いや従業員組合にしてしまおうというのが最大の戦略である。なぜなら組合を完全骨抜きにすれば、支配層にとっていかようにでも政治ができるからである。だから、経営側は組合を精神的に骨抜きにするためには、時代が移り、人が変わっても営々脈々とその戦略を追求しているのである。

 組合活動の活性化とわが国の民主主義の将来は密接につながっている。

 労使対等という言葉は、経営権を絶対としたい経営者としては、本質的に相いれないと考えている。金融資本主義が進行する過程において、その希望はさらに強くなるとしても、この辺でよろしいということにはならない。単純にいえば「会社あっての労働者・組合」という労使関係に置きたいのである。労働者・組合が常に労使対等を念頭に置いて活動しない限り、労働者の立場はますます弱体化するであろう。

企業の民主化を図ろう

ポツダム組合の志

 普通の真面目な組合の運動方針から「企業の民主化を図ろう」(1959.6.21)の部分を抜き出してみた。

 1 われわれの労働が社会的意義を有することの認識と同時に、企業が資本家、経営者の私物として存在するものではなく、社会公共的な意義をもつものであることを、強く経営者に認識させなければならない。

 2 企業の運営について、経営方針並びにその実施は、経営者の専断によることなく、組合として関与し、その推移については監視を怠ることなく、従来以上に経営に対する発言を強化しなければならない。

 3 労働協約で設置されている、中央(場所)協議会、労働協議会、厚生委員会、苦情処理委員会、職階性協議会等の機関を有効に活用し、組合員の労働条件の向上、労務管理の改善等を強く訴え、その実現に努めなければならない。

 4 労働協約の趣旨及び精神を職場の主導的地位にある人々に対し、十分理解させ、これを尊重履行せしめると共に、企業の経営組織としての職制は認めるが、これを悪用する取扱い、または不当な圧迫等はこれを排除して、労働者の人格を尊重せしめなければならない。

 5 職場における労務管理、厚生福祉、安全衛生、労働条件等に関する苦情は、これを積極的に取り上げ、日常処理し、明るい楽しい職場を作るように努めなければならない。

 6 職場の民主化を促進するため、職場の指導的地位に属する組合員はもちろん、一般組合員の理解を一層深めるため教宣活動を活発にし、絶えず啓蒙に努める。

 7 労働者としての連帯性から、低賃金や差別待遇を余儀なくされている臨時工を、できうる限り本雇いにする運動を進めていくと共に、臨時工の日常問題も、これを積極的に取り上げ、これが解決に努めなければならない。

 これが1964年になると、「豊かな生活と明るい職場を築こう」と変わる。大会スローガンは、① 組合員の総力を結集して大幅賃上げと時間短縮を図ろう、② 専門委員会を強化し、組合運動の質的向上を図ろう、③ 企業の民主化を図り、明るい職場を築こう、④ 平和憲法を守り、住みよい社会を確立しよう――とお題目的になる。1960年反安保闘争と三池闘争の学習効果! で経営側が慎重になったのは疑いない。高度経済成長を背景として多くの組合で労使関係が安定的方向へ傾斜した。

 前述の労使関係研究会報告が作られた意味が一層労使対等を進めようとしたものであったか。労働に理解ある学者が顔を並べているが、とくにストライキ規制や、合理化問題に組合が介入しにくくするような提言をしていることから考えれば労使対等を進めようとしたものではない。しかし、たとえば電機労連は1970年時点で、報告書に対する明確な意思統一ができていなかった。

 わたしは機関紙で報告書批判の論文を読んだはずだがすっかり忘れていて、最近読み直して愕然とした。なぜなら当時、労使対等はそこそこの線に至っていると考えていたからだ。仮にそうだったとしても、政財官学において労使対等を逆流させようとしていたという事実であり、さらに、政財官はその後も休むことなく組合活動を抑えるための手立て続けているということである。

 それに比較するまでもなく、組合側の対処がいかにも甘い。

二重忠誠の均衡

 いうまでもなく、組合員は組合と会社の両方に帰属しているのであり、極論すれば微妙な二重忠誠の意識にある。歴史的に考えれば、「会社あっての組合」論から出発して労使対等へ歩んだのであって、手抜きすれば労使対等論は簡単に根元から崩れ去る危険性が大きい。

 組合役員選挙で、わたしはいわゆる労働者側のリーダーとして評価をうけた。労働者側とは、要するに活動の視点がrank & file(組合員大衆)にあり、会社員たることを優先してrise from the rank(出世主義)ではないことである。実際、当時の選挙ではいずこの支部でもその2つの立場が激突しやすかった。そして、まだ現業組合員が多数派であったから、当然ながらわたしの側が優勢だったのである。

 いま、組合役員選挙は、まず、ない。そしてあえて問えば、組合役員の大方の視線がrank &fileにあるのだろうか。労使が対立する関係にあることを前提とせよというのではない。労使対等の原理原則に立つならば――立たなければ組合の存在自体が否定されるわけだから――その原点としてのrank & fileの視線をもたなければならないというのである。

 組合員の二重忠誠の均衡を図る努力を怠ってはならないのである。

(21組合研究会2015/12/09初出)


[21組合研究会]は奥井禮喜が主催する労働組合の月例勉強会。毎月第二水曜日18:30より2時間程度、東京渋谷・有)ライフビジョンにて開催中。2019年11月より第24年度募集開始

[奥井禮喜] 有限会社ライフビジョン代表・経営労働評論家・週刊RO通信/On Line Journalライフビジョン 各発行人