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労働契約は労使非対等が進行中

司 高志

 昭和も60年を少し過ぎた頃から、競争をしたらもっと豊かな社会が訪れると言われ始め、契約関係は随意契約(競争しないで発注先をはじめから一社のみとする契約)から競争入札へと移行していった。この頃は年功序列人事は当たり前で、組織のお荷物でも在籍日数さえ稼げば何とか出世できた。

 筆者は、実力のない者が在籍日数を稼ぐだけで出世するシステムを変えてほしいと思っていたので、この傾向は歓迎できた。だが時代の流れを振り返ると、これが大甘だったことに後悔することになる。

 実際、随意契約が競争入札になるだけなら契約の総額が多少下がるくらいだっただろう。単純に考えれば、契約額は原価プラス利潤で決まってくる。例外としては、競争する者のレベルが極端に違う、つまり、画期的なノウハウを持つ会社であれば、原価を抑えることができるので競争には勝つ。だが通常は技術レベルは似たりよったりなので、利潤をどこまで圧縮できるかという我慢比べのような競争になる。

 やがて時代の雲行きは急速に怪しくなる。利潤を減らしたくないとすれば、削減のターゲットは原価のうちの「人件費」となり、その変調は、まず成果主義の導入に始まった。

 成果主義はまたたく間に広がっていったが、これは実力主義ではなかった。はじめに人件費の総枠を決めておいて、その枠の中で誰の給料を増やすかという「ブンドリ合戦」にしてしまった。成果主義は労働者の給料の伸び率を制限する道具という、誤った使い方が定着してしまった。

 次に襲ってきた大波が非正規社員である。成果主義は正社員であることを前提としたシステムであったが、非正規は正社員自体を減らしてしまおうという、根絶やしのような制度だった。制度があれば活用しようとするのは当たり前で、この制度は人件費カットには大きく貢献した。

 そしていま起こっていることは、さらに悪質度を高めている。それも“名を聞けば誰でも知っている”大手有名企業やフランチャイズが率先して、悪事をなしているようである。

 まずは、フランチャイズから。

 コンビニエンスストアのオーナーは経営者であるが、フランチャイズ契約で縛り、経営者としての自由度を奪っている。開店時間を自由に決められなかったり、賞味期限が迫っている食品の値引きができない。さんざん拘束しておきながら法令上は経営者である。これなどは、契約の知識があり、資本、ノウハウにおいて圧倒的に有利なフランチャイズ本部が、自社に有利な契約をさせているからだろう。

 ある学習塾のフランチャイズ契約では、指導者(教室オーナー)は経営者ではなく労働者であると認められた。知識やノウハウで圧倒して不利な契約を結ばせているのがタチの悪い会社などではなく、誰でも知っている大手の、しかも優良であると思われている会社であることが、事態の危険領域への突入を示唆している。

 最近では、個人事業主というのも危険だ。名を聞けば誰でも知っている某教室の講師は、社員ではなく個人事業主にされて困っている。会社からすれば、社員ではなく、個人事業主にしておいた方が何かと都合が良い。契約する人を自由に選べる会社側が個人事業主の契約を迫ってくれば、従わざるを得ない。社会保障費の会社負担分が丸儲けである。

 最後にこれまた“名を聞けば誰でも知っている”芸能関係の会社。契約書も作らず、3日間で5公演、支払額が135円というとんでもない額だった。欧米では、エージェントが報酬額や条件の交渉をしたり、職能団体や労働組合があるという。

 すべての職種で安心して働ける世界が来ないと、世の中の住みにくさが加速する。