月刊ライフビジョン | 家元登場

公務員人気下落中

奥井禮喜

青雲に暗雲兆す

 国家公務員総合試験に応募する人が減っているそうだ。応募者がピーク時には4.5万人いたが、今春は1.7万人でピーク時の37%に減った。著しい不人気である。公務員は報酬がピカピカではないから、収入の多寡を問題にする人がめざす職場ではない。長時間労働も有名である。もちろん、「寄らば大樹の蔭」流で考えるなら、もっとも雇用が安定しているから、応募者が減るわけはない。推測すれば、国家公務員としての職業生涯を歩もうとする人は、そんな消極的理由ではなく、自分の才能をパブリック・サーバント(公僕)として発揮したいのであろう。行政とは、行政における管理的機能と遂行力を有する権力的装置である。公僕をめざす人の志は、国民全体の奉仕者たることであり、ナショナル・インタレスト(国民的利益)の実現にあろう。いまの官僚の姿がそのようになっていないとみられているから、青雲の志をもつ人々の国家公務員応募が減ったのではないか。

前身は家産管理人

 世界の官僚制度は、近代国家成立とともに現れた。それ以前は、家産国家、すなわち領土と人民と財産を君主の家産(私的財産)として扱う国家である。家産国家においては家臣・家来が家事を管理する。これが官僚の前身であった。やがて絶対君主制時代になると、その家産たるものは、常備軍と管理制度によって維持される。絶対君主の正統性は、君主が人民の福祉の最高の理解者であって、その目的達成のために全能性を有するというにある。そこでは人民とは臣民である。絶対君主を支える官僚は君主に成り代わって臣民を超越して支配した。官僚は巨大な特権階層であるから、その選任に当たっては厳重な資格要件が問われた。ビスマルクを首相に任じ、ドイツ統一を果たしたウィルヘルム1世(1797~1888)は、官僚に完全な忠誠と精勤を要求した。秘密厳守、私的行動禁止などを命じ、監視体制をしいて、違反すれば厳罰に処したそうである。

欧米では人民の意思執行官

 欧米では近代社会に入り、市民階級が育つとともに、超越的特権をもつ官僚は公務員に変わる。公務員の任免を決定するのは人民意思ということになった。官職は、公費によって特権者を支援するものではない。公僕の登場である。市民階級は政党を組織した。立法によって君主政治を動かそうとした。ところが政党は一部のボスが牛耳り、人民意思と称して、官職の任免を政治的に濫用するような事態が発生した。トンネルを抜けて、君主政治からデモクラシー政治が前進すると、今日のような官僚制が作られる。家産国家の性質は消えて、国家の政治権力を行使するための担当者としての資格・能力を柱とするようになった。「立法国家から行政国家へ」という変化である。こちら日本では、明治以来、天皇の家産国家の家産的官僚制としての性格が色濃かった。ウィルヘルム1世とは異なって、天皇は神様であるから、近代以前の思想が背景にそびえていた。

次は官僚制度の民主化を

 1945年敗戦によって、民主主義の憲法に変わった。憲法第15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である」。同2「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とある。占領軍が間接統治形態をとった。軍閥・財閥は解体されたが、官僚(制度)はそのまま存続した。官僚が民主的官僚制度の在り方について深く研究した足跡はない。民主的官僚の形と中身が整わないというか、敗戦前のままに時間が経過したといえる。かつての「臣民に君臨」する官僚から、「国民に尽くす公僕」としての官僚という意識に転回したであろうか。官僚制度の民主化が真剣に問われなければならない。政権が官僚の人事権を恣意的に発揮するような現状を見て、本気で「公僕」をめざそうという人が公務員試験に応募するかどうか。黒を白と言いくるめたり、公文書を改ざんするような官僚の姿が公務員人気を貶めているのである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人