月刊ライフビジョン | off Duty

復興から復活へ、小高

曽野緋暮子

 常磐線小高駅が再開とニュースで知り、南相馬市小高区行きを計画した。常磐線亘理町発のほとんどは手前の原ノ町駅でストップし、小高駅着は1時間に1本、平日の昼間は2時間に1本という。過疎地では普通のことだが、昨年までは南相馬市に行くには常磐線で亘理駅、亘理駅からBRT(JR代行バス)で相馬駅、相馬駅から常磐線で鹿島、原ノ町というアクセスだったのだから、乗り換えなしで行けることは凄い! ことなのだ。
 ボランティアで知り合った南相馬市鹿島区のWさんが、6年ぶりに店を改修し事務所を建てたとのことで、お祝い方々見学をと連絡すると、車で小高に連れて行ってくれることになった。
 当日、常磐線の見慣れた景色が亘理町から様子が違ってきた。線路が海岸線からかなり内陸に寄り、高架になったようだ。山元町付近では左右にイチゴハウスがズラッと並び、住宅、公共施設や会社、店舗等フツーの街並みが広がっている。今、初めてこの景色を観る人には「東日本大震災」は思い浮かばないだろう。
 しかし福島県に入った新地町付近の海側は一変、な~んにもなかった。相馬市に近づくと街並みが戻り、今までBRTで繋がっていた沿線には駅やお店ができ、「街」ができつつある。イチゴ狩りだろうか、若い女性のグループが山下駅で降りて行った。やっぱり6年経ったんだなあ~!
 鹿島駅からぶらぶらと歩き、当面ここで営業を続けるという仮設商店街の「さくらはる食堂」で人気№1の味噌ラーメンを頂き、Wさんのお店へ。新築の事務所は1階が倉庫で2階が事務所のこじんまりした建物だが、子どもたちに邪魔されない仕事スペースができて良かった、これまで年中無休だったが、今春から日曜定休にしたとも言われていた。
 配達用の軽トラに乗せて貰って小高へ。Wさん曰く「家もどんどん建っているが、瑞々しい田んぼが広がっているのが信じられないくらいうれしい!」「だんだん人も帰って来ていて、鹿島区は新しい住宅団地ができています。」
 2年前の小高は街のあちらこちらに原発汚染土のフレコンバッグが積んであった。原発作業と復興作業の関係者の姿だけで生活の気配がなかった。駅前の自転車小屋にいっぱいの自転車をトラテープがガードしている景色にも、3.11の時間が停まっていた。桜だけがきれいに咲いていたことを思い出した。
 復活した小高駅は明るく待合室には数人の高校生がいた。新しくなった自転車小屋には自転車がいっぱい入っていた。周辺の家々も改修されて生活が感じられた。今は街が活きている。
 小高ワーカーズベースの若者に案内して貰い、地元女性を雇用している「HARIOランプワークファクトリー小高」に行った。4名の女性がバーナーを使ってガラスアクセサリーを作っていた。2年前の小高駅の桜が印象的だったので、桜をモチーフにしたペンダントを記念に購入した。
 少し先に開店祝いの花輪が見えた。小高商工会館の入り口傍に飲み屋さんがオープンしたそうだ。ここは駐車場がいくらでもあり、飲んでも車を置いて帰れる。こういう店ができるのは復興してるってことなんだなあ~とWさん。
「今度来られた時には浪江町で元祖浪江焼きそばを食べて貰いましょう。」との言葉に送られて、原ノ町から帰路に就く。具体的な支援はできないが、前を向いて進んでいる若い人達をずっと応援していきたい。