月刊ライフビジョン | 社労士の目から

祭典化進む連合メーデー

石山浩一

 4月27日の代々木公園では、主催者発表で3万7千人が参加した第90回メーデー中央集会が開催されていました。5月1日を「天皇の即位の日」とする10連休の初日でもありました。5~6日程度の連休の場合は、旅行などを計画する人には休日の組合行事には参加したくないはずだが、10日連休ともなると、1日くらいは減っても大勢への影響はないだろう、そんなことを考えながらメ―デー会場を見て回りました。

 参加者が中央ステージを囲むように配列され、見やすいように工夫されています。しかし、挨拶する来賓などの姿は背中しか見えない場所もあります。同じようにスピーカーの位置によっては、話しの内容が非常に聞き取りにくいところもあります。大相撲やボクシングのようなスポーツならば選手が全方位に動くため、見る場所による有利不利はあまり感じられないかもしれません。しかしメーデーのような集会は、挨拶する人の立つ位置は方向が限られています。こうした集会では挨拶する人が正面に立ち、スピーカーの声も考えて、全員がステージの方向をみるように配置にすべきと感じました。今年は平成最後のメーデーとなりましたが、来年の令和メーデーからは配置を考えるべきです。一方で会場周囲には多くの店が出展し、お祭りムードを盛り上げていました。開会前からテーブルを囲んでノミニケーションのグループもあり、和気あいあいの連休初日を楽しんでいるようでした。

先人の血のメーデーを乗り越えて

 神津連合会長が「日本のメーデーは99年前に始まり、弾圧を受けて開催できなかった時代を経て、90回の節目を迎えた。」という挨拶をしていました。

 1952年5月1日の午後、明治神宮外苑では対日講和条約発効後の最初のメーデーが行われました。その後、デモ行進を行っていた中部コースのメンバーが日比谷公園で解散せず、学生や労働者等約6,000人が使用を禁止されていた皇居前広場に突入し、警察と衝突したのです。この衝突で警察官68人が重傷を負い、軽傷者は672人でした。デモ隊も2人が死亡し、200人が負傷しています。そしてピストル3丁が奪われ、焼失車両が14台、損壊車両が101台に達する大事件となり、血のメーデーとなったのです。

 この事件には現在の騒乱罪が適用され、1,219人が逮捕されました。第1審で118人が有罪の判決でしたが、72年の第2審では16人だけが公務執行妨害の有罪判決となりました。

 かつてのメーデーには機動隊が付きものでしたが、いつしかその姿を見ることがなくなったことに気が付いたのでした。当時は労働組合組織率が40.3%、組合員数が572万人であり、メーデーが社会に与える影響は大きかったことがうかがえます。

 28日の読売新聞と朝日新聞の報道は2面の下の方で、産経新聞は3面の中ほどに、毎日新聞は最後の前々ページの下方で1行だけのスペースで小さく報じていました。現在のメーデーが社会に与える影響は少なく、労働者の祭典という扱いを感じました。

立憲民主党と国民民主党のビラ

 メーデーを報じている朝日新聞と毎日新聞は野党結集に関する内容はなく、読売新聞は神津会長の「立憲民主党、国民民主党を中心に新しいステージに向かい始めた」という挨拶を記載していました。産経新聞も神津会長が「参議院選挙に向け立憲民主、国民民主両党が政策協定を結んだ」ことを紹介し、「野党の力合わせが新しいステージに向かった」と報じていました。

 会場に入る前の道路では立憲民主党、国民民主党、社会民主党等野党の代表が街宣車に乗ってメーデーアピールを叫んでいました。特に立憲民主党と国民民主党は大部分が民主党で活躍した議員であり、街宣車の距離は数百メートルしか離れていません。配られているチラシに立憲民主党は「結党以来、働く者の立場に立つ政党」と、国民民主党は「働く者」「生活者」「納税者」「消費者」の立場に立つと記載されています。両党とも働く者の味方の政党で、7月の参議院選挙では政策協定を結んだと連合会長があいさつで触れていますが、両党のチラシには何ら触れていないのです。

 働く人が政治に求めているのは自民党に代わる政党の確立のはずです。働く人を応援する政党というのであれば、両党が小異を捨てて団結するための条件をビラに記載し、支援する連合の組合員に訴えて欲しい。そんなことを思いながら、雨上がりの新緑が美しい代々木公園を後にしました。                              以上


石山浩一
特定社会保険労務士。ライフビジョン学会代表。20年間に及ぶ労働組合専従の経験を生かし、経営者と従業員の橋渡しを目指す。   http://wwwc.dcns.ne.jp/~stone3/