月刊ライフビジョン | 地域を生きる

主権者の祭り ――統一地方選

薗田碩哉

 年号の変わる今年は地方選挙の時である。4年に1度だけ、主権者たる市民が自らの政治的意思表示の出来るまたとない機会である。自治のオリンピックみたいな重要なイベントなのだが、知事・市長の首長選はともかく、市議選となると一向に盛り上がらない。筆者の住まいのある東京都多摩市では、市長選と市議選は時期がずれていて、今回は市議選のみなので市民の関心は高くない。投票率はいつも40%そこそこで、有権者の過半数は我関せず、あるいはどうぞご自由にという全権委任の態度である。

 しかし、筆者にとって今回は全く様相が変わった。仲間の爺さんが老骨に鞭うって出馬を決断、その選対のメンバーになって応援に努める羽目になったからである。この御仁はかつて筆者が運営していたさんさん幼児園のお父さんの1人、某スポーツ新聞の社会部の元記者、政治問題から保険金詐欺、国際誘拐事件などを報道してきた熱血漢である。70歳になって、のんびり老後を楽しんでいればいいものを、敢えて市議選に打って出たわけは、市議会が全然機能していない、市民のものになっていないという怒りからである。

 多摩市には「ウォッチング多摩の会」というグループがあって、毎度議会を傍聴し、その報告をミニコミにまとめて発信してきた。筆者も時々そのニュースを読んで、市政の問題点や市長の取り組み、各党の動きなどを知り、こういう活動は大切だと思ってきた。ウォッチングは20年にわたって続けられてきたが、近年の議会の体たらく―、特に市長部局のあり方をチェックする議会の役割(二元民主制)が放棄され、相次ぐ市政の不祥事にロクにものも言えない現状を見ると、もうウォッチしているだけでは我慢できない、自分たちの代表を議会に送り込んで批判の火の手を上げようということになった。それにしても誰を立てるか、なかなか適任者がみつからない中で、我らの候補者菊池克行氏が年金暮らしを棒に振って、ウォッチングの会の全面支援のもと、一世一代の賭けに出たという次第である。

 菊池後援会の第1号メンバーになって選対の会議に行ってみると、みんな白髪を振り立てた爺さんばかりである。それぞれいっぱしの論客で、他人の意見はあんまり聞かない議論が果てしなく続く。メンバーに女性と若者が見当たらないのは大問題で、その辺をどう補強できるかが当落の鍵となろう。ただ、浮世でいっぱしの仕事をしてきたリタイア爺さんたちだけに、チラシの作成や印刷、選挙のルールの調査や面倒な手続き、選挙カーの手配などはテキパキと進めて行く。爺さん軍団に援けられたわれらの候補者は連日駅の周辺でビラ配り、選対メンバーはそれぞれの人脈を駆使して名簿づくりやネットワークづくりを始めた。

 市議選で投票に行く40%の市民はだいたいのところ自分の投票先を決めている確信派で、自民党から共産党までかなり正確に票読みが出来ているという。無党派新人が当選に必要な1500票を集めるためには、投票に行かない60%を何とかして掘り起こし、新たな支持者を見つけ出すしかないのである。実際、チラシ配りをしてみると「議会改革」にはほとんど関心がなく、もっと身近な問題、市役所を自分の地区に持ってくるとか、近所に公共施設を作るとかいう「地域エゴ」に訴えないと振り向いてもらえない。志は市民自治の徹底を目指す議会改革にあっても、戦術的にはご近所代表として地域の便益向上を訴え、ゼロ歳児の紙おむつ無料配布とか高齢者の見守り態勢作りとか、誰もが関心を持ちそうな生活課題を掲げて選挙戦に臨むことになる。

 上は国政から地方議会に至るまで、市民の政治的無関心が広がっていることが指摘される。あれほど悪評紛々の安倍内閣が安閑としていられるのも、無関心=お任せ派が多数を占める現実に支えられているということだ。これを変えて行くためには市民を政治的に啓蒙するというようなお説教やお節介では覚束ない。必要なことは市民に市政の問題点を伝え、市民の意見を議会に上げるチャンネルを用意することだと思う。1人の市議が周辺の市民と気楽に話し合える政治サロンを作り、市民の関心の高い議案には誘い合って議会の傍聴に出かけ、議員の質問や市当局の答えに耳を傾ける。われらの候補者の公約の1つは「議会で傍聴席からの発言を認めること」である。「俺にも言わせろ」「私も言いたい」という市民はたくさんいる。これが実現すれば主権者意識の覚醒と拡大は着実に前進すると思う。【地域に生きる49】


地域活動アルバム 「どんど焼き」

 2月の寒い日、子どもたちを田んぼに集めて「どんど焼き」を行った。大きな焚火の炎に子どもも大人も大興奮。枯れ枝の先にマシュマロやお餅を挿して火にかざし、熱いのをフーフー吹きながら食べる。みんなの顔が輝いている。