月刊ライフビジョン | 家元登場

文化の枯渇と集団の盛衰

奥井禮喜
労働運動はお酒から?

 わたしが組合活動に直接かかわったのは1964年から1982年まで、19歳から37歳までだ。その後は組合活動の応援団というか、球拾いみたいなものであるが、通算すれば55年になる。恰好つければライフ・アクションである。昔は「労働運動はお酒から」とのたまう先輩が少なくなかった。発酵微生物学者の坂口謹一郎(1897~1994)は酒学の泰斗でもあった。「酒を造るのは酒造家だが酒を育てるのは国民大衆である」と喝破された。先輩諸氏が坂口先生のよき弟子たろうとしたのかどうかは不明だ。とにかく「まあ、飲め」と盃を勧められるのに閉口しつつ、そのうち、勧められなくても一丁前に飲むようになった。坂口安吾(1905~1965)は「僕は酒の匂いが嫌いだ、だから酔うまでは息を詰めて飲み干す」と語ったが、先輩世代は、安吾の皮相的な、無頼、シニシズム、ニヒリズムに憧れる気質であったらしい。いささかならずピントが外れていたのである。

素人劇団

 組合活動家たるものが、酒の文化向上に貢献するのは余技である。真骨頂は組合文化を創り出さねばならない。まあ、努力はした。1970年代までは組合の文化活動が結構盛んであった。主な領域はうたごえサークルと演劇活動だ。わたしは演劇活動のまねごとをやった。当時は、プロの労働者演劇団が数多くあった。その公演を地域でプロモートした。市民文化会館を満員にさせた。公演終了後、ちょっと名前の売れている役者さんたちと楽屋でお酒文化の向上に貢献しつつ談論風発するのも愉快であった。メジャーの出演する演劇を大阪フェスティバルホールまで鑑賞に出かける。仕事が終わって駆け足で出向いた。そのうち自前でやりたくなり、地域の労働組合で毎年1回の文化祭を開催する。創作演劇と称して、脚本を作り、素人役者を組織して発表する。舞台監督も自前でやった。調子にのった役者連中がアドリブを乱発するので予定時間が倍になったこともある。

文化とは何か?

 この勢いが消えたのは1970年代の石油ショック後だった。石油ショックのせいではなく、さらなる勉強をしないから、せっかく芽生えた自前の文化が育たない。わたしの周辺だけではなく日本全国いずこでも似たような事情であった。組合の運動方針には「文化体育活動を推進します」と掲げているのだが中身が乏しい。70年代後半の組合大会で、代議員が「文化活動とは何か?」と質問した。書記長が「体育以外はすべて文化です」と応じた。わかった人もわからなかった人も爆笑した。苦い笑いも情けない笑いも単なる笑いに吸収されて論議が進むことはなかった。大きく見れば、この答弁自体が組合的文化の何たるかを如実に物語っていた。集団にはカルチャー(文化)がある。集団の限界がカルチャーの限界であり、カルチャーの限界が集団の限界である。これに気づいたのは生態・人類学者の今西錦司(1902~1992)の著作の数々に触れてからであった。

持続する志を

 文化とは、集団本位の活動である。個人がいかに文化的! であっても集団化されなければ文化として育たない。まれに道具を使う猿がいるが特殊事情として消える。集団の文化が持続し成長する要素が多ければ、集団はエートス(ethos)をもつ。その文化規範によってさらに進化する。一方、火事場のくそ力のような突発的な行動が発生しても、特殊事情であれば継続しない。これはパトス(pathos)である。あえていえば、わが国の労働運動はパトス的であって、エートスが育っていない。ツラトゥストラ(ニーチェの寓話の主人公)は「人間の偉大は自己目的ではなく橋になることだ」と語った。橋こそエートスたる文化である。「日本人はバッカス的(酒の神)だ」と指摘したのは和辻哲郎(1889~1960)であったか。熱しやすく冷めやすい気性を克服して、持続する志を生み出すことが、わが国の労働運動の関係者に求められていると考えるので昔話を書いた。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人