月刊ライフビジョン | 地域を生きる

若者組の入団式

薗田碩哉

 高校生になってすぐの頃だから、いまから60年の昔である。町内の青年会の役員だった向かいの八百屋のあんちゃん(当時は若い衆をこう呼んだ)がやって来て、中学を出たんだから青年会に入ってくれと言う。義務教育を終わればもう一人前で、町内の一青年として奉仕活動をしなくちゃいけないというわけだ。そのころは高校への進学率はまだ半分ぐらいだったから、15歳になればいっぱしの職業人として家業を手伝ったり、勤めに出るのが当たり前だった。地域活動も当然の義務だったと言える。私も有無を言わさず、数軒先の家具屋の息子とともに、その年の新入会員になったのである。

 しばらくして新人歓迎会なるものが行われた。場所は湯河原温泉である。横浜から東海道線で1時間半ほど、神奈川県の西の端にあるこの温泉は、箱根や熱海とともに横浜人の代表的なリゾートだった。青年会の先輩たちとともに徒党を組んで賑やかな小旅行をして温泉宿に繰り込んだ。夜は当然宴会で、先輩たちが新人に一杯飲ませる儀式が待っていた。わが父はいくら飲んでも顔色の変わらぬ体質だったが、母は奈良漬けを食べても顔が赤くなる方で、私はこの点では母に似て酒に弱く、たちまち酩酊して寝てしまうというタイプだったので、この時もしたたか飲まされて沈没していたに違いない(よく覚えていないのだが)。もう一つ煙草を吸うのも課題の一つだった。こちらは日本専売公社横浜支店たばこ販売課長の息子であり、親父はいつも缶に入ったピ-スを吸っていた愛煙家なので珍しくもなかった。ともかく酒と煙草に親しむのが一人前の印なのである。

 ずっと後になって思い当たったことがある。それは酒と煙草に加えてもっと重大な儀式があったらしいということだ。つまりは「初体験」ということである。当時の温泉は若者(男子)の性の体験学習の場として半ば公認されていた節がある。それを知ったのは後年、日本青年団協議会の研究集会の助言者をやるようになって、この問題が提起されたからである。男子青年団員が近場の温泉に出向いて「筆おろし」をするという「悪習」を女子青年団員が問題化し、激しく非難したものである。その論議を聞いて、わが少年時代の青年会にもそういう慣行があったのではないかと思い至った。

 かつての地域は学校とは一味違った意味で人を育てる機能を持っていた。学校が国家の要請を土台に善き働き人を育てることを目標としていたとすれば、地域は学校では教えきれない日常的かつ実用的な人育てのカリキュラムを備えていた。先輩や後輩への挨拶や口の利き方に始まり、地域の共同作業や助け合い、もろもろの決まり事から犯してはならないルールまで、それは多岐にわたっていた。子ども会に始まり、青年会、婦人会、商興会(商店街の運営組織)、消防団や老人会に至る年齢階層を土台としたいくつもの組織がその推進機関であった。その時代なりの性教育もその一環として位置づいていたと言えよう。

 15歳の少年にとっては湯河原学校は時期尚早だった。この課題はその後、お仕着せの体験ではなく、自分なりの葛藤の中で何とかクリアしたのだったが、今になってみるとあの温泉の夜が何やら懐かしく思い出されるのである。        【地域を生きる44】


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。