月刊ライフビジョン | 家元登場

あてのない逍遥

奥井禮喜

書斎人街に出る

 神田古書市へ出かけた。わたし流読書の柱は古典にある。食料品は賞味期限内に食べるが、本には賞味期限がない。ベストセラーは著者と出版社にとってベストであるが、それが読者にとってベストであるとは限らない。実際、古今東西、その時代のベストセラーを皆さんがお読みになったはずだが、それにしては、人間が利口になったような気がしない。ホルクハイマー(1895~1973)は「人間はなぜ真に人間的な状態へ踏み入っていくかわりに、新しい野蛮な状態に入っていくのか」(『啓蒙の弁証法』1947)と書いた。これ、ホルクハイマーだけではなく、誰しもの疑問であろう。人間と社会のあるべき姿は、人間が登場して以来今日まで変わらないはずだ。とすれば高い観念に到達したものに触れて、心を洗い、人間を磨いていくひとつの方法が読書であり、長く読み継がれている古典に如くはない次第である。本は熟成する。熟成した本には賞味期限がないと、わたしは思う。

古典を読むべし

 古書市の露店の書棚を片っ端から見て回る。で、この時ばかりは、同好の士が少ないほど嬉しい。気兼ねせず、のんびりと物色できるからだ。世間では本を読まないというにもかかわらず古書市に来る読書人だからして、さすがに傍若無人の人士はいない。それでも、もっと人が少ないほうが嬉しいと思う自分の身勝手さをこっそりと恥じるのでもある。古書市に出かける場合、この本、というお目当てはない。なによりも「掘り出し」本を探すのが愉快である。宝探し気分である。日曜日だから混雑して思うように動けない。で、たまたま通りかかった書店に入った。トマス・ペイン『人間の権利』を見つけた。300円。かなり有名な本だが、まだ読んでいない。すると、その隣にマキアヴェリ『ローマ史論』3巻で650円! 熟成ものなのにとても安くて一挙恐悦至極なのである。さらにその棚から3冊、合計7冊で1,900円也。古書であるが痛んでいないのも嬉しい。

あてのない逍遥

 翌月曜日、同好の士が少ないのを狙って再度古書市へ行く。露店の書棚を端から端まで見るのだが、これという本に出会えない。やや失望していると、薄汚れた紙のカバーに『伝説の時代』とサインペンで書かれた本が目に止まった。野上彌生子(1885~1985)がトマス・バルフィンチ(1796~1867)の『THE AGE OF FABLE』を翻訳した『傳説の時代 神と英雄の時代』である。春陽堂で1922年(大正11)の再版である。最初の出版は1913年(大正2)であった。夏目漱石(1867~1916)の序文がある。彌生子の夫・豊一郎(1883~1950)は漱石の弟子である。わたしは、『ギリシア・ローマ神話(傳説の時代)』(岩波文庫1949)をもっているが、これには漱石の序文はない。また、元々は北欧とインドの神話の叙述も少しあったが、岩波文庫では、ギリシア・ローマ神話のみに改定されている。もちろん、著者の意向である。この時点まででも最初の出版から36年が過ぎている。

六次の隔たり

 漱石の序文は1913年に書かれた。彌生子が序文を書いてほしいと依頼したのである。漱石は、――聖書とギリシア神話は欧州文学の根底に横たわる宝庫だから熟読しようと思っていたが、多忙で果たせていない。だから序文が書けない。とはいえ、人はあまりに切実な人生に耐えられず、大昔のあったかどうかはわからない物語に心を遊ばせるのであろう。私は小説を書くとその後心持ちが悪い。それで呑気な中国の詩など読んで山水画を描いたりして埋め合わせている。あなたもそうなら、まったく同感です――と書いた。そして――あなたが家事の暇を偸んで仕上げた忍耐と努力に感服している――とも書いている。実際、当時のみならず、敗戦後に至っても、「女が本を読むとろくなものにならない」という気風であった。読むどころか書いたのだから大変な力である。漱石の慈愛溢れる手紙(序文)があったことを知ってちょっと宝探しもできた。本の価格は500円であった。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人