月刊ライフビジョン | 家元登場

政治道徳を殺すな!

奥井禮喜

いったい、政治は…

 旧知の方々からお便りをもらったり、たまに出会うと、誰もが「わが国の政治はどうなるのだろうか」という話になる。森友・加計事件はその本質からして適当に答弁して時間を稼いで過去の彼方へ忘れてもらうという性質の問題ではない。政府の中枢が完全に腐っているわけで、なおかつ、それを知らぬ顔の半兵衛するのは犯罪行為をさらなる犯罪で隠すのである。こんな手合いに「prime minister」のお仕事をしていただく必然性は全くない。そうではあるのだが、本人が「何がなんでもやりたい」わけで、権力の座にしがみつく。なぜなら、権力を手放した途端に、自分の旧悪が暴かれるかもしれないから戦々恐々なのである。政界は、権力になびく連中で満ち溢れている。だから、潮目が変わり始めると提灯持ち連中が一目散に遁走しかねない。岸、佐藤の権力亡者的資質を引き継ぐ安倍氏の心臓は決して鉄壁や岩盤ではないのである。

角栄とロッキードの場合

 「何で辞めさせられないのや!」という苛立ちの声は少なくない。犯罪行為が立証できなければ罰することはできない。近畿財務局の捜査でも、端から検察は及び腰であった。田中角栄のロッキード事件に対する捜査を覚えている人には、何とも歯がゆいわけだ。いま、国会は閉会中であっても閉会中審査がある。しかし、これは与党の数の力で実現しない。つまり、「世間は時間が過ぎれば忘れる」と見くびっているのだから、これに対して、世間としては不動の批判的視線を維持・培養させていくのがデモクラシーにおける唯一の道である。格別、街頭へ出て汗をかかなくても、毅然として「政治悪を許容せず」の態度を維持しよう。デモクラシーというものは、看板があっても中身が伴わなければ真っ当に動かない。まさしく、いま、わたしたちの前に展開している事態がそれを示している。公私混同、つまみ食いしてでかい面をする奴を許容せず。この見識が第一だ。

さまざまな個性

 いまの政治のいちばん汚い、情けないことは、ヘイトスピーチという実質的犯罪行為の氾濫に見て取れる。口汚さ、恫喝的性質もさることながら、世間でもっともマイナーな立場の人に対して向けられている。自民党は日本的文化を盛んに称揚するが、全く勉強していない。封建社会においてさえ、「弱いものを苛めるな」「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」ということを、年長者は子供に対して語り伝えてきた。杉田某の「生産性」発言など、政治家どころか、本人の人格が問題である。ネット上で素性を隠してキャンキャン吠えるのも十分に恥ずかしいが、顔を出せば何を言ってもいいというものではない。社会の発展はさまざまな個性があるからだ。誰もが、いろいろな形で社会を作っている。人の存立をすら否定するような発言をする輩が日本国の政治家でございと威張っているのでは、なにをかいわんや。自由民主党は党名を変えねばならない。直ちに「非自由民主党」にせよ。

政治道徳を殺すな!

 いまの政府与党の最大の罪悪は、このままでは「美しい国?」が瓦解してしまう可能性をはらんでいる。かつて、1人ひとりが寄り集まってムラを作った。個の力を総和させようとした大きな発明である。やがてムラが大きくなる。ムラを管理する機構が大きくなることによって、1人ひとりの自発性を奪う傾向が強くなった。ムラは皆の共同のものであり、1人ひとりが相互に対立・敵対するような競争をするものではない。ムラは制度である。その制度の本来の役割は1人ひとりが持つ能力を開花させるにある。ところが現実は巨大なムラ(国家)の管理機構によって、1人ひとりの多様性が失われる。「多様性こそが人間社会の繁栄の鍵」であることを知らず、政府与党は、いったいどんな政治をやろうとしているのか。安倍氏の政治道徳を無視し、権力維持を目的とした政治姿勢が、氏の知性のなさと相まって、日本を政治途上国へ逆進させている。真っ平御免だ!