月刊ライフビジョン | 家元登場

ベテランの蹉跌

奥井禮喜

Whiteout

 タクシーがヨッコラショという塩梅で止まったので、視線を上げるとフロントグラスの前に私鉄の踏み切りの遮断機が下りてきた。信号機がカンカン鳴っているではないか。わがタクシーは踏切に入って一瞬止まったのだ。バックするかと思いきや、ゆさゆさ車体を揺らしながら完全に降りた遮断機を跳ね上げて踏切を渡り切った。30秒もしない間に2両仕立ての電車が背後を通過した。「あれっ、信号機の音に気づかなかったな」と思う。ドライバーさんは停車して、後ろへ行く。見れば、踏切の直ぐ横が駅で、いまのは通過電車であった。駅員さんが駅からこちらを見ている。ドライバーさんが手を振って頭を下げると駅員さんは踵を返して去った。「挨拶しといたから大丈夫」とドライバーさんの弁。「はあ、よかったですね」と応じたものの、この体験は数日間、時間が過ぎるにしたがって恐怖感が増した。車内の2人ともが完全に精神的空白状態にあったような気がしたからである。

崖っぷちの鉄路

 線路は町中の単線だから、踏切の全幅は5~6メートル程度であろうか。走り去った電車の速度は少なくとも時速40~50kmはあっただろう。もう少し線路内でもたついたら、電車の運転士さんがよそ見でもしていたらなどと考えるとじわじわ恐怖感が湧く。まあ、小田急であれば駅員さんがちょいと見るだけで問題にしないことはない。ドライバーさんの挨拶で一件落着だからたいしたことではない。つまり、こんなことはしょっちゅう発生しているのやろか。仮にそうだとしても、衝突していたら、なんせ相手は電車で鉄の塊の車輪であるし、気がつけば雲上人になっていた可能性が高い。その直後訪問先でインタビューしたので、お話が興味深く、その間すっかり忘れていた(!)のではあるが、帰途、別のタクシーで通過した際、改めてえらいことだったなあと思った。2月から5月までの全国行脚でもっとも崖っぷちに近づいたというドラマチックな体験でもあった。

ベテランの蹉跌

 なぜこんな事態が発生したか? ドライバーさんはどう見てもベテラン風であった。新幹線の駅からさほど遠くない距離であり、事前に地図で確認したときには、わかりやすい目的地だろうと勝手に解釈していた。ドライバーさんは「どうも記憶があるような、ないような」と言われて、ナビに住所番地を入れた。これなら万全だと、わたしは思った。どうも目的地近くの踏切でナビを覗かれたらしいのである。そこまでは例によって町の景気があーだ、こーだと話し合っていたのである。たまたま踏切の手前辺りで、会話が途切れたように思う。わたしは外の景色を見ていたはすだが、踏切へ入った記憶がない。気づけば、フロントグラスを遮断機のバーが横切っていた。どうも2人とも一種の精神的空白状態にあったと思うのである。25歳で運転免許を返却し、以来、全幅の安心感でタクシーを利用してきたのであるが、いわば50年1度の車難に会う手前であった。

運転士に話しかけないで

 ドライバーさんの責任だけではない。同行ではない、同乗2人は一蓮托生である。そもそも、わたしはタクシーに乗れば必ずドライバーさんに話しかける。バスでは「運転士に話しかけないでください」と掲示してある。なるほど集中力を必要とする車の運転で車内コミュニケーションの円滑化ができるとはいえ、それは走行上の危険性を増すことである。ドライバーさんのお仕事は、しかるべき時間内に目的地へ乗客を快適・安全に届けることであって、車内コミュニケーションは絶対不可欠の条件ではない。実際、運転しながら背後の客との会話に気遣いするとなれば、これはやはり達人芸である。仕事はできるが愛想の悪い職人さんは普通であったなあ。わたしは、すっかりドライバーさんの過剰(!)サービスに甘えていた。それから数日後、タクシーに乗った。ドライバーさんと話が盛り上がっていたことに、降りてから気づいて、急に背筋が寒くなった。