月刊ライフビジョン | 家元登場

インタビュー旅日記Ⅱ

奥井禮喜
shyness

 100人100時間インタビューの旅途上、約束の時間までの時間があり過ぎて、居場所がないのは本当に困る。昔はどうしたかと考えても思い出せない。喫茶店へ行けばよろしい。しかし、最近大繁盛のカウンターで手渡しされたのを自分で席に運ぶスタイルはあまり好きではない。昔ながらの喫茶店で、カウンターに座って、コーヒーが出されるのを待つ、という形がよろしい。ところが見知らぬ街で事情不如意なので、どこにそれらしい店があるのかわからない。たまたま昔ながらの喫茶店を見つけても、店見知り! する性格なので、見つかり次第に入るというわけにもいかない。店の前で納得できるまで店定めするというわけにもいかない。まあ、それでもそれらしい店を発見すれば嬉しくなるという気持ちの変化が起こるようになったのは上等であった。きっかけは、ドのつく田舎で、寒くて、2時間過ごすためにどこかへ入りたい。それが1軒しかないお店だった。ぜいたく言ってはいられなかった。

拉致イラチ

 すでに7年テレビを見ない生活にハマっているので、ホテルに泊まって、いくら時間があってもテレビは壁と同じである。当地の新聞を手にすることがあってもテレビは見ない。急ぎの原稿を書こうとして、狭い机をテレビが狭くしているのが腹立たしいのみだ。おおいに困ったのが睡眠不足である。とにかく寝つきがわるく、眠りが浅く、直ぐに目覚めて、イライラするから容易に眠られない。起きて原稿に向かったりすると、不眠に重ねて疲労が深まるからじっと我慢して横になっている。ベッドの固さが不具合なのか? 否、格別不具合ではない。枕の具合も悪くない。掛け蒲団も重たくなく、温度の具合も適当である。どう考えても普段の寝床よりも上等である。うとうとしつつ考えた。然り、上等だから不具合なのだ。本を読むと頭が冴えてくるからいけない。結局、うとうと、イライラ、浅い眠りに飽きて、くたびれるまでじっとしていよう。そのうち朝が訪れた。

開眼甘味処

 精神的疲労には酒精をほどよく啜り、肉体的疲労には甘いものを摂るのがよろしい。ところで昔は甘いものをほとんど摂らなかった。精神的にも肉体的にも疲労対策は酒精の独壇場であったなあ。今回の旅は、やたら甘いものをいただく。大都市部の場合、時間調整には大ホテルのカフェへ行く。ミルフィーユ、チーズケーキ、ショコラ、シュークリーム、ティラミス、マフィン——なんてのをコーヒーとセットでいただきました。奇妙なもので、ケーキを食べると、コーヒーがいくらでも飲める。某ホテルでは1時間半に6杯も飲んだ。たしかに疲労がとろけて行くような心地がする。焦ったのは、たとえばミルフィーユをナイフとフォークを使って食べるのにかなりの苦労をした。つまんで食べればもっとも効率的だと思うが、周囲の目もあるから仕方がない。それに比較して酒精のほうは、数日一滴もいただかなかった。のこのこ飲みに出る元気がない次第である。

時間ドロボーッ

 読書しない、新聞を読まない、テレビもほとんど見ないという人は少なくない。新聞・テレビを見ないのはそれに充てる時間がないらしい。マイカー通勤の方が多いから、通勤途上で本・新聞を読むわけにはいかない。読書・新聞・テレビのいずれにせよ、本人が読みたい・見たいと思わなければ、それに時間を充当することはない。そして、読書・新聞・テレビの時間をさして必要とせず、確保しようと考えない生活時間が習慣化すれば、それはそれで1つの生活パターンとして人生を作っていくのである。旅をしながら、わたしもテレビは全然見ず、いつものように読書をしないし、新聞もちょいちょいというわけで、自分自身の自由に活用できる時間を確保できないことにはおおいに閉口した。労働時間が人々の生活を拘束し、以て人生を固めてしまうという意義はとても大きい。仕事をするために、わたしが自分の時間を失ってしまうという大事件に遭遇した旅であった。

 ――― インタビューはまだつづく ―――