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ヒューマンと労働

21組合研究会

 日本の5月のカレンダーは1日のメーデー、3日の憲法記念日、5日のこどもの日と、1人ひとりの基本的人権に思いを広げる記念日が続く。そこでヒューマニズムに軸足を置いて、私たちの生きる社会について考えてみた。

ヒューマニズムとはなにか

 ヒューマニズムとは、「人間的=ヒューマン」であることを尊重しようという思想である。ヒューマンを論ずるには、民衆が主人公だから、できるだけ多数の方々が「人間的だ」と思うことを前提としなければならない。つまりランク・アンド・ファイル(一般大衆)にとってのヒューマンを考える。

 そもそもヒューマンはどこから生まれてきたのだろうか——

キリスト教

 キリスト教は大衆的人気を獲得した史上最大の偉大なヒューマニズム運動であった。宗教人口は2008年ブリタニカ百科事典によると、

 キリスト教  22.5億人(33.4%)    イスラム教  21.2億人(21.2%)

 ヒンドゥー教   9.1億人(13.5%)     儒教・道教   3.8億人( 5.7%)

  仏教      3.8億人( 5.7%)      無宗教     9.5億人(14.3%)

 2050年には、人口増加の傾向からキリスト教29.2億人(31.4%)、イスラム教27.6億人(29.7%)とほぼ拮抗、やがて逆転するだろうと予測されている。それはともかくとして、いままでの歴史を概観すると、キリスト教が世界の思想界に与えてきた影響が極めて大きい。そこで、世界の思想史に与えたキリスト教の影響を見ておきたい。

キリスト教は全体主義だった

 中世カトリック教会は極めて大きな力を誇示していた。

 カトリック教会は全体主義の組織体であった。なぜなら、検閲機関を確立し、カトリック思想を大宣伝し、その宗旨に違反する人間を処罰する権力を駆使した。庶民の生命を左右する力を確保していたのである。

ルネサンスと宗教改革

 13世紀末、イタリアからルネサンスが勃興する。中世末期(15世紀半ば)になると人間解放の思想的潮流がさまざまな分野で巻き起こった。

 古典研究(文芸復興)を通して人文主義(humanism)が勃興した。単に過去をなぞったのではなく、新しい概念を創造した。教会の権威、神中心の世界観・人間観の中から「人間精神を解放」する思想が登場した。「神から人へ」、これが人文主義であり、これ自体が「コペルニクス的転回」である。

 ルネサンス初期を飾った人々は数限りない。たとえば抒情詩人・ペトラルカ(1304~1374)は「生きる哲学」を模索して詩で表現した。その精神は、「欲望は恥ずべきであるが、高尚なものへの欲望は恥ずべきではない」というにある。カトリックは欲望一切を否定していた。しかし彼は、高尚なものを「欲する→熱望する→行動する」という思索と行動の連関に気づいた。この時代には、戦争・野盗・ペストが現実社会を支配していたことを併せて考えると飛躍的な着想であった。

市民革命へ

 16世紀、カトリック教会の堕落に対して宗教改革運動が勃興する。

 1517年、ルター(1483~1546)がローマ教会の免罪符を攻撃した「95カ条の論題」から、全欧州が宗教戦争に突入した。それは新旧宗教の対立にとどまらず、17~18世紀の英仏市民革命の導火線にもなっていく。それらが1776年「米国独立宣言」、1789年「フランス革命」へとつながっていくのである。

 18~19世紀に入ると、「人間性の調和的発展」が思想的課題となった。

 ゲーテ(1749~1832)は「ファウスト」を著して、古今東西の人間的成長の意義を高らかに謳い上げた。かくして啓蒙主義全盛期となる。宗教的権威に依拠するのではなく、旧弊打破、人間悟性を尊重し、合理的思惟による自立(自律)人間をめざそうというのである。

 かくみれば、ルネサンスの人文主義が教会支配体制に対する抗議・異議申し立てであったのは疑いない。しかし、精神文化面においては、ルネサンスと教会の双方から新しい思想、つまり啓蒙主義が生まれたのである。単純にいえば、ルネサンスは(教会による)「禁欲の解体」を入り口とした。一方、宗教改革は「なお一層の禁欲の強化」を教会改革の出発点としたのであった。

人間疎外

 20世紀に入ると、「人間疎外」からの回復が大きなテーマとなる。また、2度にわたる世界大戦を通して、「人間はいかに生きるべきか」が、現実社会における哲学的課題となってきた。

 たとえば、三木清(1897~1945)は「パスカルにおける人間の研究」という労作を残した。いわく、人間の本性は運動にある。なぜなら、現在は目的ではないし、過去と現在は手段であって、未来のみが目的なのだと喝破した。

 労働における人間疎外を扱ったのはマルクス(1818~1883)に始まる。

 市民社会は私有財産に基づく。私有財産制度とは極論すれば、万人の万人に対する闘いとしての非人間的利己主義が支配する社会である。果たして、これが「自由」の名に値するか、という本質的な問題提起である。

 ILOのDecent Work論、さらには日本的Work Life Balance論などについて、人間疎外論からの掘り下げた研究が必要だ。

 かくして、「労働が生存のための手段であるならば、人間自身が人間としての自己目的に生きるのではなく、人間自身が生産手段化してしまうではないか」という気づきに至り、ヒューマンと労働との関係が浮かび上がる。

 ここでは、ヒューマンは単なる人道主義ではない。労働が本当に価値あるものであり、いきいき働けるのであれば人間疎外は克服できる。それが労働運動を通して追求されなければならないわけだ。

ヒューマニズムと人道主義

 こうしてヒューマニズムは「神から人へ」と変わり、「人間はいかに生きるべきか」の問いかけ、そしてデモクラシーへと変化してきた。

 人間愛とか、人道主義(humanitarianism)、博愛主義という概念もある。いわく、個人的利己心や、人種に対する偏見、国家的利益、イデオロギーなどによる党派性ではなく、あまねく人類全体の福祉を向上させようというのである。

 英国では第2次世界大戦後、「ゆりかごから墓場まで」(from the cradle to the grave)を労働党内閣が推進した。また、世界大戦やジェノサイド(genocide 集団殺戮)のような残虐な行為を絶対に排する考えである。いま、難民問題が人々の心を痛めている。いかに闘うべきか。

 老子には、――聖人無常心 以百姓心為心(聖人には常の心なし、百姓の心を以て個々と為す)として、聖人はひたすら人民の心を以て己の心とするというわけで、民主的な考え方だと評価される。(春秋時代 前770~前403)

 墨子(前480~前390)には――兼相愛 交相利(兼ねて相愛し、交々相利す)、「兼愛交利」という言葉が昔からある。最近流で表現するならば平等互恵で、他人をみることわが身をみるがごとくせよというわけだ。「惻隠之心」ともいう。人をいたわしく、他者の不幸に同情する、他人の痛みを共有するという意味である。

 こうしてみると、古今東西、人間は然るべき理屈に到達していることだけは疑いない。人間愛といい、博愛主義というのはそれ自体誰もが共感するであろう。にもかかわらず、少し視点を変えると、あらゆる現代文明を破滅に追い込む危惧がある武器を弄んでいるような連中が、現実主義者でございますと大きな顔をしている問題に直面している。

健康な精神

 ダ・ヴィンチ(1452~1519)は「人は欲すればなにごとでもなしうる」と語った。騎士であり、人文主義者であったフッテン(1488~1523)は「おお、世紀よ、おお、知識よ」と歓喜した。たとえば、学んで知識をえる。それを素直に喜べるのは素晴らしいが、いま、知識(学ぶこと)自体が、その健康な輝きを失っているのではないか。

「観念の歴史は、絶えずその行程を歩んでいくが、精神の歴史は常に新しく始まる」(シュペングラー 1880~1936)という言葉は重たい。観念は歴史上にくっきり足跡を残すが、現実に歴史を生きていく1人ひとりの精神の歴史は常に1人ひとりのものであり、不安定で、容易に共感し共同することができない。それは他人のせいであろうか。

 モンテーニュは「人間にとって最大のことは、彼が、彼自身であることを知ることである」と記した。おそらく現代人の不健康は、自分自身が、自分自身のヒューマンを無視し続けていることにあるのではなかろうか。

[奥井禮喜/21組合研究会・2016.4発表/抜粋]