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超劣化、政治と行政 首相の狡猾な手法

司 高志

 筆者は子供の頃、おできと呼ばれるできものができることがあった。おできには、皮膚の下にたまった膿に芯のようなものがあり、膿の一部が体の外に出ても芯が残っているといつまでもじくじくする。治すには、膿の芯を取らないといけない。

 前回の原稿では、総理のやり口を究極の確信犯だと述べた。自分に都合のよい行為をする者に対しては間違った行為であっても見て見ぬふりをし、逆らうものには弾圧し、民主的な政治の障害となり、お友達を優遇する政治の私物化を加速してきた。今回新たに首相の狡猾な手法を理解するに至ったので、前回に引き続き、首相の狡猾な手法について述べてみたい。今回は究極の確信犯に続き、悪の手法3点セットである。

 まずは、強気に突っぱねて時間を稼ぐということである。とにかく問題発覚直後は、適正、間違っていない、など強気に対応し、時間を稼ぐ。これが成功すると、問題は沈静化する場合があるので、政権初期段階で多用された手法である。この政権の初期段階では、野党の追及にも無理があるものがあり、野党の反対は、反対のための反対とうけとられていたので、首相の突っぱね戦略は功を奏したものが多い。前文科次官に対する口撃は、突っぱね以上の威力があった。こういうのが悪の3点セットのその一である。

 ところが、根の深い案件は、やがてまた症状がぶり返す。

 そうなってくると、悪の3点セットのその2は、上記の手法と相まって、自分のせいではないとばかりに頬被りを決め込み、省庁や他人に責任をおっかぶせ、ともかく時間を稼いだら、気の抜けたビールのような事の顛末の発表を、自分にとって最も有利な時に行う。

 防衛省の日報問題がいい例である。悪いと認める頃には、問題の核心がどこかに行ってしまっている。この問題は、自衛隊を派遣したくてたまらない政権が、自衛隊を戦闘している危険地帯に派遣したのではないかというのが、核心である。日報は、危険地帯かどうかを判断するための材料だったはずが、いつのまにか文書の隠蔽に疑惑がスライドしてしまった。時がたてばたつほど、重要なことの焦点がぼやけてくる。

 そして最終段階が、サル以下の反省であったり、陳謝であったりする。

 お猿さんの反省は、見ている人に害を与えないが、首相の反省は、言葉だけで、具体的な行動が何もない。問題の本質を隠すための悪質な反省である。

 前防衛大臣の国会での答弁が適切でないという政府の決定をしたが、もう本人は、関係者としては内閣にいないのだし、選挙も終わってしまって、何の効果もない。気の抜けたビールどころか、アルコールさえも飛んでしまっているのではないか。何の実効性もない。

 意味のない陳謝を繰り返し、具体的対策は何一つしないというのが3点セットの最後の仕上げであり、なんという無恥ぶりであろうか。

 これというのもウミの生みの親が、膿を出すと言っているのだから、膿が出てくるわけがない。もうすでにウミの芯どころか、がん化しているとしか言い様がない。

 悪の3点セットのがんに冒されているこれのどこが美しい国なのか。

 筆者は子供の頃、切らずに出した膿には皮膚に傷が残っていないが、メスを入れて切ってもらったところには皮膚に傷が残っている。これはもう傷を覚悟で切除するしかあるまい。