月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

民主主義の「抑止力」について

おかぼん

 過日、衆議院議員選挙と最高裁判所裁判官の国民審査が行われた。あまり国民は関心がないようであるが、おしなべて7~8%の不信任がある。あるアンケート調査では、「よくわからないから何も書かない(全員信任)」という人が半数近くいる反面、「よくわからないから全員×を付ける」という人も18%いたようだ。そんなことだから、全員が同じような結果となるのであろう。

 ただ、そうであっても林景一裁判官のみが他の6人に比べて一番、不信任者数が少なかった。要因はいろいろ考えられるが、林裁判官のみが唯一人、昨年の参院選「一票の格差」を合憲とすることに疑問を呈し、「投票価値の平等…の追求は、民主主義の国際標準であり、国際的潮流である」とする意見を書いていたので、それが考慮された結果であろう。

 今回の衆議院議員選挙では小選挙区で最大1.984倍の格差となり、何とか2倍は割ったようである。小選挙区制度は死票が多く、それはそれで問題であるが、前回最大2.13倍で「違憲状態」と判断されたため、急場しのぎに何とかつじつまを合わせるというのはいかがなものだろうか。1票の価値の平等は民主主義の根幹であると思うのである。

 それはそうと、今回の衆議院議員選挙では護憲か改憲かが争点の中心になった。とりわけ、国民の関心は憲法第9条をどうするかということにある。すなわち、自衛隊をどのように位置づけるかという問題である。

 しかし、この1票の価値判断のように「違憲」「違憲状態」と何回も指摘しながら、選挙の無効を判決できないのであれば、自衛隊を憲法でどのように記載しようが、仮に逸脱した行動に出たとしても、よほどのことがない限りは「違憲」「違憲状態」との指摘だけに終始し、最高裁判所は「高度の政治判断」としてそれを抑止できないのではないだろうか。

 このあいまいさというか決断のなさが、この国の一番の問題であると思うのである。