月刊ライフビジョン | メディア批評

古典を読んで考えること

高井 潔司

―― 政治は、メディアは、いっこうに進化していない

 「選挙区民は何の為に代議士を選挙するか。代議士は選挙区民の何を代議するか。彼等には、初めより、理会もなければ、約束もない。如何なる人を選ぶにしても、選挙区民は彼に対して何の期待があるのでもなく、如何なる選挙区に選ばれるにしても、彼は其れに対して何の言責を持つのでもない。されば歴史の上からも、実際の上からも、国政の上には何らの意味もない政党なるなるものがあって、選挙の度毎に、其等の党員の数に多少の消長はあるが、このこの変動は、少しも将来の施政の方針の指標とはならぬのである。一旦、選挙が終わるや否や、選挙区民と代議士とは、たちまち幾千年間宿弊に宿弊を重ね来たった旧時の治者と被治者との地位に分れて、少なくも国政の上では、感情においても、行動においても、全然、風馬牛相関せざるものとなってしまう。この自然の結果として、代議士が純然たる旧時の不生産者となり、選挙民が純然たる旧時の生産者となってしまうのに少しの不思議もない。事実、この通りであるにかかわらず、選挙区民も、代議士も、立派に代議政治の国民であり、代議政治を運用していると想像しているのであるから、実に驚くべきではないか」

 家元ことライフビジョン主宰者、奥井礼喜氏ばりのこの鋭い評論は、大正4年発行の田中王堂著『福澤諭吉』の一節である。先の地方統一選、両院の補欠選で、連日、騒々しいばかりの連呼を繰り広げる街宣車に悩まされた方々の多くは、この文章と同じような思いにかられたのではないだろうか。それほど、日本の政治課題は、大正時代から変わっていない。

 NHKのニュースでは、日本政府の招きでこの選挙を視察にきたカンボジアの若手政治家たちが、「熱を帯びる日本の選挙」、「民主主義の現場を肌で感じた」と激賞したとの特集を流していた。勘違いも甚だしい視察談をそのまま伝えるNHKはいかがなものか。日本政府の狙いに沿う報道でしかない。

 私は目下、ライフワークとして、『大正デモクラシー中国論の命運』研究を進めている。大正デモクラシーはよく「内にあってはデモクラシー、外にあっては帝国主義」と言われる。しかし、戦前の中国論あるいは中国報道は決して侵略肯定一辺倒ではなかった。中には、中国の民族主義の台頭に理解を示し、協調外交を支持して日本の軍事侵略を戒める中国論、中国報道も存在した。だが、満州事変をきっかけにその多くが変節してしまった。その生成と帰着の過程を明らかにし、反省と教訓を考えたいと、大正デモクラシーの旗手である吉野作造や大阪朝日新聞などの中国評論、社説を読み込んでいる。

 その流れの中で、石橋湛山と彼の大学時代の恩師である田中王堂の著作にも目を通している。石橋は戦後の短命内閣の総理として知られるが、戦前は雑誌『東洋経済新報』の主幹として、自由主義の立場で健筆を振るった。満州事変に際しても、朝日や毎日などの変節とは対照的に、持論である「満州放棄論」を堅持し、軍の暴走を批判し続けた。石橋は大東亜主義などという建前だけの理想論=実質は侵略論ではなく、日清、日露戦争で得た「満蒙の権益」の維持、拡大がいかに日本の利益にならないかとの「功利主義」から、軍およびにそのお先棒を担ぐ新聞を批判した。

 私は、それは福沢諭吉の功利主義の継承ではないかとにらみ、その中継ぎ役として、「田中王堂」を発見した。福沢は明治の初め、同じ功利主義の立場から「征韓論」を批判している。私は彼らの中国論だけでなく、その前提となっている彼らの政治、経済、外交に関する著作にも目配りしているが、ついついそちらにはまり込んでしまう毎日である。冒頭の引用のように、これはいつの時代の問題を論じているのか、と思わせる議論にしばしばぶつかるのだ。読書のだいご味でもあるが、となると、本筋の研究から離れてどんどんわき道に迷い込んでしまう。

 王堂の弟子、『石橋湛山評論集』(岩波文庫)では「維新後婦人に対する観念の変遷」(大正元年)という文章に立ち止まった。石橋は明治維新の後、西洋文明の導入期、西洋化の定着期を経て、産業上政治上、西洋の個人主義的、自由競争的組織が採用された第3期に入って、ようやく新しい女子観、女子教育主義の必要性が生じたが…、と次のように言う。

「在来の女大学主義そのままを以て女子を教育したのでは、産業上政治上のこの新組織と副(そ)わぬ婦人が出来る。さればとて全然西洋流の個人主義的教育を女子に施したのでは、残存せる家族主義と合致せぬ婦人が出来るというわけで、即ち良妻賢母という折衷主義が現れたのである」

「しかしこの良妻賢母主義というものは実にすこぶる不徹底なる実用主義である。何となれば良妻賢母主義とは、換言すれば汝らは母たることを以て唯一無二の職業とせよ、しかしただ時勢が昔とは違うから、新しき学問と知識とを持てる妻たり母たれよと教ゆる主義であるが、しかしこれは到底行われぬ相談であるからである」

「もはや妻たり母たることを以て唯一無二の職業としておることが出来なくなったということは、既に吾輩が幾回か論じたる近年における職業婦人の増加という一事によっても明らかなる処である。されば、良妻賢母主義というものは、明治維新後の過渡期において一時実用的女子教育の方法として起ったものであるとはいえども、そは全く過渡期の産物であって、決して今日においてもなお作用せらるべき有効なる主義ではない。今日においてもはや彼ら婦人をこの主義の桎梏から放ってやらねばならぬ。而して彼らをして今日の自由競争の社会に立って推しも推されもせぬ一個の人として生存して行けるようにしてやらねばならぬ」

 少子化問題が最重要政策の課題の一つとなる昨今、石橋が論じた「良妻賢母主義の桎梏」は一掃されたのだろうか。

 さて、わが本題に戻ると、満州事変においても石橋は軍事侵略を批判するだけでなく、そのお先棒を担ぐ新聞を厳しく批判した。

「ある部分に対しては法規に依る言論圧迫もある。が、記者は今日の我国が斯くも無慙に言論の自由を失った最も大なる理由は我学者、評論家、識者に、或は新聞其他の言論機関の経営者に、自己の信ずる所を憚る所なく述べ、以て国に尽すの勇気が六百五十年前、日蓮の有したそれの百分の一も存せざることにありと考える。それ所か、中には、我国が、現在表面的世論に迎合さえして、心にもなき言論をなしつつある者も絶無ではないかに察せられる。最近の我国は、実に恐るべき非合法運動に、一歩誤らば、飛んでもない事態に立ち至らんとする危機に臨んでおる。この狂瀾を既倒に廻す方法は、若しありとせば、唯だ自由なる言論の力のみだ。然るに其自由なる言論が或力に圧伏せられて、全く屛息したので国家の前途を如何せんである」

(事変勃発から2か月後、1931年11月14日号の社説)

 当時の新聞は満州事変が軍の謀略であることを知りながら、それに沈黙しただけでなく、競い合うように侵略を賛美し、戦争を煽った。新聞経営としては、その方が有利と見たからだ。

 ウソの情報と知りながら報道するということでは、「不正に投票集計結果が操作された」というトランプ前大統領の主張を報じたアメリカのFOXテレビが投票機器メーカーから名誉棄損で訴えられ、4月18日、約1千億円を支払うことで和解した。メディアが関連したこの種の損害賠償訴訟で、過去最大の額だそうだが、アメリカの民主主義の恐るべき現状を映し出し、来年の大統領選にも影響するニュースだが、日本の報道はあまりも鈍い。

 読売は、「FOXニュース1060億円和解」「米大統領選報道で名誉棄損」「集計機不正、虚偽認める」と見出しの数は多いが、国際面のわずか2段の囲み記事で、突っ込み不足の感は否めない。

 朝日は、訴訟和解の本文記事とその経緯を示す解説記事の二本立てだが同じく国際面止まり。「メディア王と呼ばれるFOXのルバート・マードック会長や著名キャスターらが出廷を求められるため、FOXが和解を選んだとの見方も出ている」、「(メーカーの)ドミニオンが提出した書面ではFOXが虚偽だと認識していたことを示唆する社会の具体的なやりとりが明らかにされた」ためと、読売に比べ、訴訟和解の背景をかなり詳しく伝えているが、そもそもこの事件のアメリカ社会で持つ意味を考える視点に欠けている。

 アメリカ社会はトランプが大統領として登場して以来、その振り撒くフェイク(ウソ)情報、偏見に満ちた情報によって分断され、マスメディアまで分断されてしまった。メディアによるフェイクニュースの拡散で、社会の分断は一掃強固になる。メディアは事実の報道という本来の使命を忘れ、読者、視聴者に媚びる報道を繰り広げる。戦前の日本の新聞と変わらない。

 大統領選挙で、FOXテレビは当初、バイデン現大統領の優勢を伝えていたが、その報道がトランプ支持派の不興を買い、視聴率低下を恐れたFOX社はフェイク情報と知りながら、トランプ氏の集計機不正という主張を垂れ流したのだ。FOXテレビは、経営優先で、トランプサイドのメディアに成り下がってしまった。そのツケは1千億円という賠償金でも償えない。

 アメリカでは、報道の自由が憲法で明確に保証され、FOX社は当初その線で訴訟を乗り切ろうとしたが、裁判所は報道の自由はフェイク情報を流す自由まで保障していないと釘を刺していた。当然のことだろう。この訴訟は報道のあり方を問い直す訴訟でもあった。

 一連の報道を読んでいて、私には一つ大きな疑問が残った。なぜ集計機メーカーはトランプ氏をも、訴えなかったのか、である。日本の報道ではそんな問いに答えてくれない。そこで、ニューヨークタイムスやCNNなどの記事にあたってみたが、残念ながら答えは見つからなかった。日本の報道はアメリカメディアの転電が中心だから、当然の事なのだろうが、日本の特派員ももっと視野を広げ、転電だけでなく、読者の疑問に答える報道をしてもらいたいものだ。

 それにつけても、フェイク情報を流して止まないトランプ氏が次期選挙に出馬するというアメリカ。その国と価値観を共有し、「開かれたインド、太平洋」を目指して、「中国の脅威」に備え軍事力を強化しようという日本。本当にこの国の将来は大丈夫なのかと、石橋湛山の評論を読みながら、つくづく考えている。

 最後に王堂の代議政治論は単なる嘆き節ではないことを記しておこう。以下は彼の結論である。

「代議政治は、私共の現実の動力としての理想であって、私共の現実を否定する空想ではない。私共の現実は、代議政治を完全にして行こうとする努力に依って、次第に改善されて行くのである」


高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。