月刊ライフビジョン | 社労士の目から

IT化社会とコミニケーション

石山浩一

 電通の高橋まつりさんの過労死が大きな社会問題となり、長時間労働の是正が叫ばれています。しかし、その後も東京オリンピックメイン会場の建設会社社員の過労死が報じられました。年間3万人を越す自殺者のうち労災と認められた件数は、平成元年から10年までは0~3件だったが11年から13年は10~30件と増加し、さらに14年から17年には20件前後、18年から20年には66件~81件と大幅な増加となっています。

 長時間労働が精神的にも身体的にも過労死の誘因となっていることは当然ですが、職場環境も関連しているのではないでしょうか。

会話少なくパソコンが頼り

 病院で聴診器を下げていない医師が、患者の顔を見ないでパソコンをたたきながら診察している光景に出会う。患者の症状をパソコンに打ち込み病名を判断しているようである。かつての病院ではまず下着をめくって、医師は胸に聴診器を当てながら症状を聞く、体温や脈を図るなど、医者は患者の身体に触れながら診察するのが主だった。そうした経験を持つ身には、微妙な体調の変化がパソコンのデータで分かるのだろうかと疑問に思っている。

 現在の事務所で目に付くのがずらり並んだパソコンである。電話の音や話し声が少なく、社員が叩くキーボードの音だけが響く。上司との会話はもちろん、隣の席との会話さえ躊躇するような職場が多いように感じる。普段の会話が少なければ仕事に関する質問だって聞きにくいから、わからないことはパソコンで、一人で調べることになる。ITの進歩により社会のコミュニケーションが希薄になっているのではないだろうか。

部下の労働時間管理は上司の任務

 45年ほど遡ると浦島太郎の世界になりそうだが、当時も長時間労働は存在していた。私が勤務していた工場に新しい自動機械が導入されることになり、その機械を使っている工場へ実習に行ったことがある。開発されて間のない機械だったことからよく故障し、深夜の時間帯でもよく呼び出された。仕事を覚えるため所定の勤務時間後も作業をし、深夜の故障時にも呼び出されたことから労働時間はかなり長かった。実習先の上司が残業時間を記録し、印鑑を押して自分の工場に出すようにと手渡してくれた。工場に戻って給与をもらってみたら、賞与より多かった記憶が残っている。

 当時の賞与は1.5か月程度なので、残業割り増しを考慮しても通常勤務の1.4倍ほど働いたことになる。当時は週48時間、隔週2日休日制だったので残業時間は100時間弱、現在なら過労死の水準である。実習先の上司が部下の勤務時間を把握し、当然体調にも気を使っていたからできたことである。

 昭和40年代は高度成長の後半期で、工場の操業も活発な時期だった。そのため休日操業や残業が多く、長時間労働も頻繁に行われていた。しかし私の会社では上司や労働組合の監視の目が厳しく、長時間労働が連続した記憶はない。現在のようにパソコンでデーターが送られるのではなく、手書きの勤怠表に残業時間を記載して上司が確認する方法のため、勤怠が把握しやすかった。そのため長時間労働による過労死のような、悲惨な事件が起こりにくかったのではないだろうか。

職場コミュニケーションにもIT活用を

 パソコンで管理された勤怠表のデーターはいま、人の目に触れることなく担当部署に送られて、自分の仕事で余裕のない上司は、部下の管理はパソコン任せとなっている。20人程度の職場の上司なら部下の誕生日には声をかけ、残業時間を把握する、体調に気を遣う。こうしたことは上司の大事な任務のはずであるが。

 上司が部下を見る余裕がなければ、パソコンが部下の誕生日を知られてくれる。終業時間をインプットする際に「昨夜は何時間眠りましたか?」「昼食は何時に食べましたか?」「体調か如何ですか」等の質問メッセージと5種類ほどの回答が表示され、該当する回答をクリックする…、というIT人事管理はパロディにしても、上司は送られてくるデータから部下の状況を把握する、それをきっかけに上司と部下に自然な会話が生まれれば、過労死などの事故を予知予防することができるものと思われる。


石山浩一 
特定社会保険労務士。ライフビジョン学会代表。20年間に及ぶ労働組合専従の経験を生かし、経営者と従業員の橋渡しを目指す。