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上司の命令と弾劾機関

司 高志

 森友、加計、日報問題には共通点がある。今回も報道とは違う視点から考察したいがその前に、首相を中心に、そのご意向を実現するために積極的に、または消極的に協力したり忖度して行動する人たちを「アベ友の一味」と称することにする。

 まずはゴミが埋まっている国有地を森友学園に不当に安く払い下げたのではないかという件だが、一番の問題は、値下げの過程を前理財局長が文書がない、記憶がないとして一切公開しない財務省の態度である。森友学園前理事長である篭池氏自体の怪しさもあって事態は一見、沈静化したかに見えた。前理財局長は順当に出世して国税庁長官になっているから、これはアベ友の一味になると論功行賞で出世できることを意味する。

 また、首相夫人付きの公務員が財務省にFAXを送った件について、本欄5月1日号でもらい事故と紹介した。海外に赴任しているようだが、この異動は栄転ということらしい。普通に考えれば、個人が独断で首相夫人の代わりにFAXなどはしない。了解を取るなり断るなりするはずである。了解も断りもなく送っていれば叱責されても仕方がないが、本当に叱責してしまうと、「これは頼まれたものである」と反論されかねない。この異動が栄転であるとするならば、黙して語らなかった論功行賞ということだろう。

 これらは、状況証拠はクロなのだが省庁の協力によってうまく切り抜けた前例となり、アベ友一味は味を占めた。

 次に加計学園である。こちらは首相のご意向で、獣医学部の新設ができないという岩盤規制にドリルで穴をあけたのだが、新設学部の不自然な開学時期の設定により、このトンネルはアベ友しか通れないという新たな利権を生んだ。これには、文科省から内部文書の流出という形で待ったがかかった。

 官邸は一度味を占めた森友学園同様に流出文書を怪文書であると決めつけ、省内の調査でも文書は見つからなかったとして、アベ友の一味は収束を図った。しかし、前文科次官が流出文書は本物であると認定したため、よく調べてみれば類似の文書が見つかった。

 加計問題では、省内はアベ友の一味とそれを快く思わない者とに分かれたようである。森友問題では、関係省庁が一枚岩になってもみ消しに躍起になったが、加計問題ではそうはいかなかった。

 日報問題になると話はさらに複雑である。南スーダンへのPKO派遣で大きな戦闘があり、情報公開で日報の開示が求められた。作成部門では見つからなかったが、別の部署で保管されており、これが公開された。のちに作成部署でも見つかり、これをなかったものとした。しかしこの根っこには、首相の南スーダンへのPKO派遣という政治判断が正しかったのか、という問題が絡む。すなわち、国内の取り決めでは紛争地帯には派遣しないことになっていた。

 仮にもともとの判断が正しかったとしても、現に日報には戦闘の記載があり、戦闘の記載があった時点で再度、派遣の是非を検討しなおすことが筋である。しかし、戦闘を武力の衝突などと置き換えて、問題を表面化させないようにしていた。首相のご意向は「派遣したい欲」でいっぱいであろう。これを忖度した省庁が、首相のご意向に沿うように言い換えをした。

 内部文書の流出をもってシビリアンコントロールが効いていないという意見もあるが、軍を使いたがるシビリアンがアンコントローラブル(制御不能)になる事態は想定されていないようだ。シビリアンがアンコントローラブルになった時の、相互けん制ができる対抗部署を整備しておく制度が必要である。

 話を元に戻すと、作成元にはないと言いながら実際には存在していたので、これを公表するか否かの判断をすることになった。これもさすがに大臣にはお伺いを立てただろうと思うが、大臣にはお伺いを立てることなく「公表しない」と判断した、ことにされてしまった。こうして「実はお伺いを立てました」という文書の流出につながる。

 国内で取り決めたことが、正確に実行されているかどうかは、正しい情報なくしてはありえない。作戦行動に関する情報や機密にすべき情報が筒抜けになってしまうのは困るが、判断の材料になる情報は、包み隠さず公表すべきである。

 「日報」は個人の趣味でつける日記とは違い、業務として記録するものである。したがってこれは行政文書である。今回のような派遣では損害を受けてもやられ損になる可能性もあり、当初判断の誤りを示す文書であっても公開すべきものである。

 今回の三つの問題は、アベ友の一味と省庁との関係である。あるものは忖度をし、あるものは非公式にマスコミを通して反旗を翻した。アベ友の一味になり長いものにまかれることは、反旗を翻すことよりもたやすい。

 今回のような事件では、最高の権力を持った側が一方の当事者になるので、そういうところまでも調査ができる弾劾機関が必要である。今のままでは個人が正義を貫くためにはマスコミを利用するしかないという、公務員に圧倒的に不利な状況である。上司の命令が理不尽な時に対抗できる制度の創設を望むものである。