月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

転勤は会社のいいなりを甘受すべきか

おかぼん

 8月17日の日本経済新聞朝刊に「望まぬ転勤減らす工夫を」という記事が出ていた。

 日本の労働者は「いつでも」「どこでも」会社の望むとおりに働く便利な存在であるが、残業や休出を厭わない「いつでも」は「働き方改革」により徐々に改善されつつある。しかし、転勤のあり方は議論されず、「どこでも」は取り残された。本当にそれでいいのか、という問題提起である。

 なるほど、残業や休出は過労死が問題となり、労働組合も時間外労働削減や有給休暇取得などに積極的に取り組んでいる。しかし、こと転勤に関しては、配転命令権を問うた東亜ペイント訴訟の最高裁判決による「通常甘受すべきレベル」と認識されているのか、殆ど問題視されていない。

 私の勤務する会社でも、転勤に関して事前に本人に了承を得るなどということはない。家庭の事情を知る上司がそれとなく配慮している節はうかがえるが、全く会社のフリーハンドである。転居を伴う場合、概ね2か月程度前に内示がもらえるだけ、まだましかもしれない。他社の例では半月前に突然などという話も聞いた。

 しかし、本当にいつまでもそれでいいのであろうか。若いときは子供の教育、ある程度の年齢になれば、親の介護問題がある。それでも、専業主婦全盛時代であれば、それなりにやりくりできたかもしれない。単身赴任という制度もある。

 が、時代は大きく変わった。今や夫婦共働きは普通であり、女性の管理職を増やそうという流れがあり、子育てを社会が支えていこうという現代に、転勤命令は会社の自由で労働者が甘受すべき、という論理がいつまでも通るものだろうか。

 ことあるごとに、会社はグローバル時代を強調するが、こと労働時間や転勤に関しては旧態依然、「ご奉公」時代をそのまま踏襲しているように思うのは、私だけであろうか。

 そう言えば、昔は転勤者を新幹線の東京駅に、入場券を買って送ったり迎えたりしたものであった。また、海外赴任者には支度金なるものも支給された。それだけ「地球が小さく」なったこともあるが、会社も気を遣っていた。バブル崩壊後の効率化の中で、それらの制度や習慣はすべてなくなった。

 残ったのが、労働者の家庭生活を分断する転勤のみである。転勤が必ずしも昇進のステップとはならなくなった今日、転勤を望まない労働者は決して少なくない。そろそろ組合も、ライフワークバランス、働き方の改革の側面から、この問題に正面から取り組むべき時と思う。