メディア批評

強権、分断政治にもお別れを

 賛否両論がかまびすしく叫ばれる中、安倍晋三元首相の国葬が執り行われた。NHKのみならずテレビ東京以外の民放キー局が中継するというので、一体どんな報道になるのか、見守っていたが、当日夜のNHKニュースウォッチ9、テレビ朝日報道ステーションを見る限り、式典の模様、献花の行列、街の声など賛否両論、比較的バランスよく報じていた。高めの与党支持率が出る読売の世論調査でさえ、国葬の決定について「評価しない」が56%、「評価する」が35%だから、当然といえば当然だろう。

 読売は国葬前の社説(9月9日付)では「海外で安倍氏を悼む声が広がっていることを踏まえれば首相の判断は理解できる。来日する要人の警護に万全を期し、静かに滞りなく故人を見送りたい」と、国内の多数の意見を無視するような論調を掲げていた。だが、さすがに国葬翌日の受け記事(3面スキャナー)では、「国葬に関して首相が国会で説明を行ったのが今月8日」で「実施表明から2か月近くが経過し」、その国会説明でも「野党から同じ説明の繰り返しで、国葬への理解が十分に深まらなかったと指摘があった」とした。さらに岸田首相と故吉田茂氏の国葬を挙行した佐藤栄作首相(当時)の追悼の辞を比較し、岸田首相が賛否が交錯している点を意識し国民という言葉を使うことを極力控えた、これに対し、佐藤氏は「(吉田)先生の祖国愛、視野の広さは国民の間に敬愛、思慕の念として生きております」などと「国民の弔意を強調した」と、追悼の辞が対照的だったと批判をにじませていた。国民に弔意を求めない葬儀なら、国葬という形式を取る必要もない。それこそ静かに内閣と党の合同葬で十分だろう。

 NHKは政治学者、御厨貴氏を登場させた。御厨氏は安倍氏の功績を称える一方で、国葬の決定が余りに早く、逆に実施が遅かったと岸田首相を批判した。御厨氏のコメントには、国会や野党に根回しもせず拙速に実施を決定、しかし、実施までに2か月もあり、その間に旧統一教会と安倍氏率いる自民党の癒着が大きくクローズアップされたことで世論の批判が高まったとの批判が込められている。さらに御厨氏は国葬実施の不手際によって、政局どころか、成り行き次第では、政党の再編まで起こるのではないかと示唆したのにはちょっと驚いた。

 御厨氏の指摘をつらつら考えてみるに、自民党内には、戦争犯罪を犯した日本から搾取するのは当然とする韓国の統一教会に頼って選挙を戦うような人物たちと政治活動を共にすることに、疑問の声が挙がらないのだろうか。日頃は韓国批判をしながら、旧統一教会との癒着に口をつぐんでいる保守派の議員やその取り巻きに、党内で批判の声が出ないのだろうか。しっかりした政治理念を持った政治家集団であれば、批判者が出てきてもおかしくない。

 国葬実施をはじめ、批判の声に岸田首相の最近の政治手法は、安倍氏の強権と分断政治の引き写しではないか。今回の葬儀を機に、ぜひともその手法も一緒に葬り去ってもらいたいものだ。考えようによっては、今こそ保守本流の岸田首相にとって安倍政治と決別できる絶好の機会でもあると言えよう。

 国葬報道でもう一点気になったのは、菅前首相の弔辞の扱いである。とくにテレビ報道では菅氏の読み上げるシーンを流しただけでなく、安倍氏が読みかけ中だったという本に出てくる伊藤博文を偲ぶ山県有朋の歌<かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ>を、わざわざ文字にして掲げ、安倍氏を思う菅氏の心情を持上げる解説が目立った。

弔辞として聞くにはなかなか美しい友情物語であろうが、美辞麗句に傾きがちの弔辞をわざわざ解説するのはいかがなものか。「伊藤―山県」コンビは長州の藩閥政治、元老政治の元凶であり、安倍氏お得意のお仲間政治のお手本に過ぎないという批判的な見方だってできよう。

 ことさら菅氏を持上げ、岸田首相批判を強めれば、菅待望論につながりかねない。御厨氏の政局発言もこのあたりから来ているのかも。

 ウクライナ報道などをめぐって、本欄ではこのところ“嘆き節”が続いたので、朝日のデジタル版で見つけたちょいといい話を紹介しよう。9月23日配信の「あの日の『国葬事件』と僕ら——北野高校の回想——」だ。こんな意味深の見出しも付いている。「国葬で休校 反対して座りこんだ高校生たち 待っていた意外な結末」。その記事を要約してみよう。(この記事は無料で公開しているようなので、全文を読みたい人のために以下にURLを掲げておく)

  https://digital.asahi.com/articles/ASQ9P4TB9Q9FPTIL007.html

 先の吉田茂氏の国葬の当日、大阪府立北野高校の高校生約20人が授業を無断欠席して、府の教育委員会に抗議に向った。教育委員会はこの日「弔意を示すため」午後からの半日休校の通達を出していた。評価が相半ばする首相経験者の国葬に、政治的中立であるべき学校を休みにし、喪に服すことに疑問を持った上での行動だ。

 玄関前に座り込むとマスコミも続々集まって来た。一時間の座り込みののち、ようやく職員が現れ、抗議文を手渡した。

 だが、生徒たちは学校に戻る道すがら次第に高揚感は失せていき、口数が少なくなっていった。生徒の一人は「みんな怖くなっていました。退学処分を心配して、仕事を探すとまで言う生徒もいました」と回想する。(以下は記事本文のまま)

 学校に着くと、ちょうど昼休みの時間帯だった。

 生徒たちがうつむき加減で校門を通ると、意外な光景が待ちうけていた。建物まで50メートルほど、在校の生徒たちがずらりと並び、拍手をして迎えてくれたのだ。列の中には、先生たちの姿もあった。

「やりましたねー」と興奮気味に声をかけてくれる人もいた。みなお昼のニュースで抗議の様子を知ったようだ。

 数日後、処分が言い渡された。退学や停学は免れ、保護者が学校に呼び出され、「注意」を受けるだけで済んだ。……

(保護者)向き合ったのは、生徒たちから恐れられていた生活指導の先生だ。

しかし、対応は穏やかだったという。

「生徒はいろんな体験をすることが大切ですね」と述べ、「注意」のたぐいは一切なかった。

(以下、この抗議行動に参加した元生徒の安倍国葬に対する意見が書かれているが省略する)

 こんな高校生の抗議行動が令和のいま、起きたら、学校、教育委員会、政治家はどう対応するだろうか。安倍政治以降、異なる意見に耳を傾けない強権、分断、ぎすぎすした政治がはびこるいま、とても寛容な対応とはいかないだろう。時代の変化を感じさせる記事だった。こうした記事を新聞本紙で扱わないのはもったいない。


◆ 高井潔司 メディアウォッチャー    1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。

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 この紙面は事務局のトラブルによる再発行版です。先に発表分との違いがありましたらご容赦くださいませ。  片山