論 壇

ポピュリズムと岸田政権自壊への道

安倍政権の慣性と岸田政権

 以前、国葬にあらず酷葬だと揶揄したが、ひと仕事終えた岸田氏の感懐にぴったりだろう。忖度するに、達成感が湧いていないと思われる。

 反対論のなかで実現したのだからお手柄のはずだが、身内で拍手が湧かない。頼みの綱の旧安倍派面々が、岸田氏が嵐をくぐって目的港へ辿り着いた船長だと思っていない。表向きはともかく、見事なもたつきに辟易しているに違いない。最も評価されてしかるべき諸君の評価がいただけないのだから、本人としては、野晒しを心に風のしむ身かなという次第だ。

 首相をドライバーに例えれば、典型的なのろのろ運転である。のろのろだが安全運転ではなくエンスト寸前で、ハンドルさばきがよろしくない。若葉マークというよりも、無免許運転に近い。

 安倍氏は他者の発言を理解できない(しない)性格だった。とにもかくにも突っ走る芸当をもっていた。それが長期政権の推進力だった。ほめられる運転ではないが、一目散に走る。人々は、政治家の発言、一挙手一投足をちらちら眺めても考えつつ見ているわけではないし、少々事態紛糾してもすぐに忘れる。そのスピード感こそが安倍政治の技術であった。理屈はなくても長い政権の慣性が残る。岸田氏は間違いなくそれと比較される。なかなかしんどいのである。

長期低落の自民党を延命させた小泉政権

 少し時間を戻して眺めてみよう。日本の保守政治は、ボロクソ言われつつも、1980年代までは、対手を説得しようという気骨があった。中曽根政権のあとは、その気骨らしきものが状況不適応症状を露呈した。

 1993年にリベラルの期待を担った宮沢内閣が倒れて、細川連立内閣が誕生した。こちらは準備不十分の一夜漬け寄せ集め内閣で、8か月で自壊、羽田、村山内閣と続いたあと、1996年に自民党橋本内閣が誕生したが、かつての安定感を回復するには至らず、小渕、森内閣とたらい回ししたものの、2001年に誕生した小泉内閣まではてんやわんやであった。

 自民党をぶっ壊すと吠えて政権を獲得した小泉氏の特徴は、ワンフレーズ・ポリティクスで、厳密にいえばなにを語っているのかよくわからない。ただし、本人の性格も含めて、少なくとも従来の自民党政治家とはひと味違う大衆的人気を獲得した。小泉劇場と評されたように、舞台転換の巧みさが持ち味で、側近の安倍氏はこれを十分に学んだはずである。

 ここで、ポピュリズムという言葉が登場した。その政治運営の特徴は、内閣直結の委員会政治である。自民党内部に、議会軽視だという不満が出たが、なにしろ人気があったから、自民党得意芸の倒閣騒動は発生する隙間がなかった。

 コンテンツは規制改革路線である。新自由主義という名前の本質は資本主義創生期の自由放任政策の厚化粧に過ぎなかった。これは確かに、従来の自民党とは異なった芸当である。小泉内閣が、こんにちの格差社会の基盤を作った。大衆的人気を博したものの、大衆のための政治ではなかった。

 2006年に安倍内閣へバトンタッチしたが、短命に終わった。福田、麻生内閣と続いて不人気挽回できず、2009年に民主党政権が誕生した。小泉氏の自民党改革は実らず、ついに野に下った。古い自民党の慣性を打ち砕くことはできなかった。

安倍的ポピュリズム

 民主党政権には東日本大震災、原発事故の大不運があったが、民主党もまた準備不足、議会は自民党の大奮闘で、政策より政争という体たらく、鳩山、菅、野田内閣と続いたあと、2012年に再度安倍内閣の登場となった。

 安倍氏の戦略は、1つひとつの政策を丁寧に実行していくというよりも、人々のうけのよろしいテーマを掲げる。それは、解散総選挙の時期をいつも虎視眈々狙っていることを軸として展開された。人々には政策をきちんとチェックする習慣がない。選挙に政治が反映しないのはわが国の一大特徴である。

 政局騒動になるのは、国会でしっかりした政策論議が存在しないことと同義語である。一方、有権者の清き1票が力を発揮しやすい事態である。しかし、政治のPlan・Do・Checkがないから、その時々の気分でしかない。面白くなければ変えてやろうという意気が薄い。それが低投票率ならば自民党が有利といわれるものの本質である。

 安保関係の法案は、すべて日米安保の推進に直結している。アメリカの風向きを心配することはない。その流れはすでに小泉内閣で明確になっていた。とにかく選挙に勝つこと、選挙を制し、数の力で押しまくる。勝てば官軍路線は見事に成功し、もって国葬儀の長期政権を実現した次第だ。

 ついでながら、自民党葬儀にすれば、好きにできるのだから、実を取るなら国葬に飛びつかないのが賢明だった。結局、岸田氏の浅慮とそれを是としたために、自民党は自作自演で内部に不協和音を抱え込んだわけだ。

 アベノミクスを筆頭として、政策は中身よりも見てくれである。だから派手なほどよろしい。ポピュリズムは広告代理店型政治である。政策が実現するかしないか、そんなことは眼中にない。いま客を取ることが大事。典型的に場当たり政治が主軸になった。北方4島返還交渉もその1つである。いかなる成算があるのか。そんなことは知ってはいない。プーチンとの会談を重ねる。もちろん中間報告もない。なにを話し合っていて、どんな動きがあるのか政治家も含めて蚊帳の外である。新聞記者が見込みを質問すれば、先読みして「では、なにもやらなくてもいいのか」と切り返す。なにも手応えなく、ただ右往左往していただけだということがわかっても、後の祭りである。

 拉致問題では、とても家族に親身で頑張ったそうだ。それにしては在任中なにも変化がない。やるやる詐欺だという批判があっても、なにしろ交渉は相手次第、対応しない相手が悪いというだけだ。しかし、どう見てもロシア交渉にせよ、北朝鮮にせよ、理解の糸口すらないのだからなにをかいわんや。これが、政治家は仕事で評価されると豪語していた政治家の政治である。

 安倍晋太郎氏が、(晋三は)「言い繕いさせれば天才的だ」と言ったそうだ。さすがによく見ていた。ここで、政策と中身のいちいちをあげつらうつもりはないが、安倍的政治テクニックが、典型的場当たり主義であったことだけは指摘しておかねばならない。

日本政治の下降

 場当たり的というのは、見てくれ大事であって、大局観がない。美しい国だとか、戦後レジームの転換を主張した。前者はまったく意味不明、後者は、戦前レジームへの回帰である。中曽根時代以前は、保守政権らしさ、気骨があったが、時代が下がるほど、一に選挙、二に選挙,三、四がなくて五に選挙になってしまった。選挙投票率が下がったのは、人々が政治家を信用しなくなったのである。与党が勝てば勝つほど、投票率は低下傾向にある。

 なるほど、自民党の長期政権は「偉業」であろう。ただし、方々が気骨ある保守政治家であれば、わが国政治のみならず、人々の生活も国全体の経済も大きく落ち込んできたことに衝撃を感じるはずである。政治的目くらまし戦術に注目しているうちに、戦略レベルでみれば、わが国政治は大海を漂うことになった。

ポピュリズム政治のお粗末

 たとえば、ヘイトクライムが発生するのは国民的意識が下降していることを意味している。日々愉快に暮らしている人々は、マイノリティを侮辱したり排斥したりしない。保守的だから他国人を嫌うのではなくて、自分が自信喪失しているから八つ当たりするのである。

 宮沢元首相は、引退後インタビューで、政治生活において最も腐心したのが党内右翼の扱いだったと述懐した。宮沢は生活大国を掲げて、国民生活充実を図ろうと志した。これが成功しなかったのは、会社第一主義を推進する財界の意を汲んだ諸君である。宮沢内閣はたまたまリクルート事件で潰えたが、もし、宮沢路線が定着していれば、それこそ自民党は国民本位の党として地盤を固めて長期低落傾向を脱したかもしれない。

 イタリアでは極右FDIで、ムッソリーニを信奉するメローニが選挙に勝利し、第一党の座を獲得した。LGBTQや中絶の権利に反対し、移民削減を押し出している。生活苦に悩む人たちに対して伝統的価値観・生活様式を掲げる。自国内部の不満をマイノリティにぶつける、いわゆる八つ当たり路線の典型である。ファシズムとポピュリズムの親和性がよくわかる。

 ポピュリズムの政治家は、現状政治に対する不満を劇的にぶち上げる。目先にぶら下がる、わかりやすく、比較的実現しやすい要求を打ち出す。ただし、実現しやすいものばかりでは、結局、人々の不満を吸収できない。メローニの場合は、2000年代から福祉を前面に掲げ、同時に排外主義を打ち出してきた。

 イタリアがムッソリーニのファシズムに嵌ったのは、1920年代である。背景には、ブルジョワ革命に起因する後れた思想構造が根強く残っていた。それは、いまも一種の市民権を得ている。そして、人々は政治の当事者が自分自身だという認識が薄い。劇場政治は、派手な言動や行動を展開する政治家を生みやすい。

 民主主義は、制度を変えただけでは成り立たない。それは、1人ひとりがわが内なる民主主義精神を育てることが不可欠である。ファシズムを唯々諾々受け入れていた人がファシズムから脱出するためには、いまでの自分の意識を否定しなければならない。すなわち現状否定は自己否定そのものである。

 自己否定を迷惑なことだと考えていては成り立たない。「人間は自分がなろうとするものになる」とか、「人間はどこまでも成長する存在」であるとかいうのは、まさに哲学的世界である。某大手スーパーの創立者は、若者が現状の不満を語ると、「自分が変わる」ことだとアドバイスされたそうだ。さすが、問題の本質を透徹しておられたし、きっちり哲学を自分のものにしておられた次第だ。

 政治は、見た目がいかに乱雑で矮小なものであろうとも、本質は人と人の思想が出会い、葛藤し、摩擦を起こし、コミュニケーションの結果として高みに上っていくものである。自分自身の思想を磨かねばならない。ポピュリズムが巻き起こり、果てはファシズムに至る、古今東西の経験を眺めるとき、その土壌は結局1人ひとりに帰結する。

 「思想は空から降ってこない」


 ◆ 奥井禮喜
 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人