月刊ライフビジョン | メディア批評

民主主義は機能しているのか

高井 潔司
ーー安倍元首相銃撃報道をめぐってーー

 安倍元首相銃撃事件をめぐる大新聞、テレビの迷走ぶりにはつくづくあきれはててしまった。7月28日付け朝日新聞「論壇時評」で東大の林香里教授は、① 9日の全国五大紙の一面見出しが「安倍元首相 撃たれ死亡」で一字一句同じだった。② 翌週、旧統一教会が記者会見して容疑者の母親が会員だったと認めた11日まで、揃って「特定の宗教団体」と呼び、その名を明示しなかったなどの点を指摘し、新聞やテレビの横並び体質、大手メディアの腰の引けた対応を厳しく批判している。

 もっとも、林教授の批判は「こんな状況なら、私たちには新聞やテレビは必要ない。大手メディアはもはや過去の遺物だ。そんな声も聞こえてきそうだ」とまで書く一方で、「が、それは間違いだろう」と一転してしまう。

 「旧来型マスメディアには、まだまだ、私たちが何を考えるべきか、思考枠組みを提供する議題設定力がある。さらに、新聞やテレビという『老舗』が取り上げれば、その話題には社会的価値があるという権威付与の機能もある。知られぬ事象や届かない声を拾うことは、大手メディアにこそ求められるのだ」

 さすがに東大教授である。一方でしっかり弁護して大マスコミとの関係をつなぎ止めている。

 だが、大マスコミの問題点は、報道の横並び体質に止まらず、林教授が列挙した議題設定力、権威付与の機能、知られぬ事象、届かない声を拾う役割を果たしていないという点にあるのではないだろうか。

 私が大マスコミの「迷走」というのは、事件直後の報道だ。容疑者は逮捕当初から、動機は安倍元首相に対する政治批判ではなく、自身の人生を滅茶苦茶にした旧統一教会への恨みであり、「教会のトップを狙おうとしたが難しいので、その団体とつながりのある安倍元首相を狙った」と自供しているのにもかかわらず、参院選挙の終盤であったため、まるで政治テロ事件であるかのように報道した。NHKのニュースは、決まって「民主主義の根幹を揺るがす安倍元首相に対する銃撃事件」から始まった。これは全く誤った議題設定であり、自民の大勝をもたらすのに一役買ったのではないか。

 確かに「暴力」は民主主義の存続を脅かす脅威である。しかし、「暴力」事件の発生は、それに訴えるしかないほど民主主義が危機的状況にあったというケースも想定される。「権力」の横暴によって言論が無視され、正当な権力批判が封じ込められた時にも、短絡的に暴力に訴えようとする勢力が生まれる。長年、本欄で安倍政治を批判してきた私は、いつもそうした事態が起きるのではと懸念してきた。官僚支配、司法検察支配、マスコミ操作に長じた安倍元首相は、自身の不正疑惑に向けられた批判を封じ込め、長期にわたる権力政治をほしいままにしてきた。当初、銃撃のニュースが流れた時、私はすぐそれを思い起こした。そうした政治テロではなかったのは幸いだった。

 しかし、その後、明らかになりつつある旧統一教会と自民党との関係は、間接的に「権力政治」の闇を照らし始めている。ここにこそ報道の焦点が事件当初からあてられるべきだった。それまで安倍政権の権力政治によって民主主義が機能不全に陥っていると批判してきたはずの朝日新聞までが、銃撃事件を「民主主義に対する挑戦」などと報道していては、それこそ自己矛盾もいいところであり、議題設定力ゼロと言われても仕方ない。

 最もあきれたのは、22日付け朝日の社説「旧統一教会 政治との関わり解明を」だ。「選挙活動の組織的支援や政策への介入など、教団と政界の関係は種々取りざたされる。岸信介元首相以来の付き合いといわれる自民を初め、各党・各議員は自ら調査し、結果を国民に明らかにする必要がある」と書いているので、社説が求めている解明の主体はあくまで政党の側である。そこにはそれこそマスコミの使命という発想はない。政党が自らの膿を明らかにするほど民主主義が機能していないことは、安倍政権下の手法を見ても明らかであろう。

 朝日新聞が旧統一教会と政党との関わりを報じたのは、26日になってから。その内容はといえば、民放テレビのワイドショーが取り上げたものばかり。それどころか旧統一教会の関連団体のイベントに出席し、その「盛況ぶりを安倍総理にも報告します」と持ち上げた細田博之現衆院議長(当時は細田派現安倍派の会長)について全く触れていない。いずれワイドショーが報じなかった以上の特ダネ報道を用意しているのか、あるいは自民党サイドから強い圧力がかかっているのか、不可解な現象である。(29日付けで朝日も細田氏のイベント出席を報じた。期待されるような続報ではなく、ワイドショーをなぞっただけのおそまつな内容だった)いずれにせよ、当面は林教授のいう「知られぬ事象や届かない声を拾う」役割も果たしていない。

 朝日新聞批判ばかりになってしまったが、それはまだ多少とも期待しているからだ。こんなへっぴり腰の朝日の現状に対し、「死者にむち打つ朝日新聞の品性」と“誹謗中傷”する右翼雑誌の広告を大きく取り扱う読売新聞に期待することはできない。右翼雑誌の朝日コンプレックスか。

 多少評価できる報道があったのは、東京新聞と毎日新聞だった。東京新聞は14日の段階で、「旧統一教会と自民党、その関係とは? 安倍晋三氏との距離感の変化は?」という特集記事を見開きで掲載していた。内容面でも、反共という理念で接近し、互いに利用しようとした岸信介、福田赳夫の時代、霊感商法など違法な勧誘が問題化したにもかかわらず組織票や選挙活動への支援を当てにした第二次安倍政権時代の思惑をしっかり捉えている。さらに関係イベントに安倍氏がビデオメッセージを送ったことに対し、霊感商法を告発する弁護士団体が送った抗議文を、安倍氏側が受け取りを拒否していた事実も指摘している。批判に一切耳を傾けない権力者の驕りが事件に背景にあることをきちんと報道していた。

 毎日新聞の方は、27日、古賀孜氏のオピニオンという形式だが、先の参院選で当選した井上義行議員の得票をめぐって、旧統一教会の組織票が流れていたという推測を、具体的な数字や以前支援を受けた議員周辺の証言から明らかにしていた。

 いかなる理由があろうとも、銃弾によって政治家の命を奪うことは言語道断、許されることではない。その再発防止、連続的な政治テロの横行を防止するためには、感情に捉われず、事件の真相、全容を解明する必要がある。とりわけ、この事件では宗教と政治の癒着の“闇”を明らかにすることが求められる。

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 以上の文章を書き上げ、締め切りの31日の朝日新聞デジタル版をチェックしていたら、野村周編集局長の編集局長便りというコラムが掲載されていた。そこには私が結論で書いたと同じような表現で、「いかなる理由があろうと、絶対に許されない事件」とした上で、「連載『元首相銃撃、いま問われているもの』には、いくつもの大切な気づきがあります」と書いていた。へぇー、朝日も連載をしていたんだ、見落としてしまったと、あわてて過去の紙面をチェックしてみたら、この連載は文化面の評論家インタビューのことだった。申し訳ないが、文化部はニュースを発掘する紙面ではない。この事件の闇を明らかにするのは、社会部であり、政治部だ。紙面作りの最高責任者が、文化部のやっている評論家インタビューで満足していたら、社会の動向を監視する新聞の「ウォッチドッグ」としての環境監視機能を果たすことができないだろう。


◆ 高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。