月刊ライフビジョン | 家元登場

正義の攻守戦

奥井禮喜
反共イデオロギーの敗北

 『戦争を知らない子供たち』(北山修作詞・杉田二郎作曲)は、1970年8月23日大阪万博コンサートが初演だった。というのは、あとから調べて知ったので当時は流れてくる曲を聞いていつの間にかメロディーを覚え、歌詞をとぎれとぎれに知っている程度である。当時北山さんは24歳、わたしは26歳なので、ほぼ同世代である。1960年代後半は、ベトナム反戦運動が盛んであったが、70年代に入るとだいぶ勢いがなくなった。68年に、ジョンソン大統領が戦闘縮小を声明し、同11月には北爆が停止され、69年から174回におよんだベトナム・米のパリ会談が始まっていた。72年2月にはニクソン訪中。ベトナム戦争はすっかり北ベトナムに主導権が移っていた。75年1月の北ベトナムによるテト攻勢、同4月30日、北ベトナム軍のサイゴン入場、同11月21日には南北ベトナムが統一された。米国が反共イデオロギー戦争に敗北した。

ウクライナで再来した昔の機運

 『戦争を知らない子供たち』初演当時は、かなり批判・反発があった。戦争体験者がたくさんおられて社会の中枢を占めており、戦争の苛酷さを知らず甘い感興を振りまくなという手合いである。ベトナム反戦行動に参加した若者たちも、歌詞が自分の世界に閉じこもってやさしすぎるという反発を持っていただろう。それから半世紀を経て、ひょこっと思い出した。歌詞とメロディが見事に調和している。甘い、軟弱という批判に耐えられる1つの芯がある。わたしもこんにちまで戦争を体験せず、生きてこられたことは本当にうれしい。戦争に放り込まれることには価値はない。軍国少年少女の思想を吹き込まれなかったことも上等だ。あとで騙されていたと気づいたところで、あとの戦争だ。問題は、ウクライナ戦争勃発以来、昔、しくじったと反省したはずの機運が巻き起こっている。敗戦後の77年間の知性の蓄積が、かくも軟弱だったは思わなかった。

攻守の正義

 戦争は、国と国がおこなう。戦争を決定するのは一部の権力者である。戦争するのは好むと好まざるとにかかわらず普通の人々である。軍隊へ入る人にしても、100人が100人、自分が国家的殺人機構の歯車として大活躍したいと確信する人ばかりではなかろう。大義としては、危ない国があるから、わが国を防衛するつもりであって、ひごろ訓練に励むことによって、どこかの国の侵略意図を削ごうとしているはずだ。報道される数は微々たるものだが、ロシア兵にも戦争忌避の意思表示がある。この間、よくよく理解できたのは、戦争をしないための防衛軍というのは決定的に怪しい。攻められて仕方なく守備に立ったとして、攻守の理由はそれぞれの主観であって、いかに守りだから正義の戦争だと考えても、殺人機構の歯車化していることは否定できない。ボカスカが始まれば、相手を倒すまで止められない。戦争は、人間精神を歯車に変えてしまう。

非戦の理論

 戦争を始めた権力者たちは、敵を罵ることに人々が共感している間は安泰だが、人々が戦争に懐疑し始めると、自分の立場が危うい。だから憎しみのピークを維持せねばならず、中途半端に停戦した場合、なにが起こるかわからないから思考停止をきたす。ウクライナ戦争から戦争否定の決定的理論を生み出さねばならない。第一に、権力者に戦争を開始させないために、普通の人々が徹底的に戦争を拒否・忌避することだ。「戦争を知らない」ことが、いかに貴重なことか。自分たちの国に戦争させないだけではなく、他国の戦争のお手伝いもしてはならない。自衛隊が人気を博しているのは災害救援などの大活躍である。同様、日本という国を国際的災害救援国にする。憲法の平和精神・民主主義精神を世界に広げる伝道者になる外交を展開する。戦争に対する軟弱さは誇るべき資質である。反戦・非戦のための国作りに向けて愛国者が増えるならば日本の国際的地位も必ず高まる。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人