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優れた文化は排他的にあらず

奥井 禮喜

平和を歩んだ敗戦後の日本

 政治家なる者は、矮小な人間性のなせる業か、人々を号令一下結束させ、行動させたいと思いがちである。もちろん、人間には他者を自分の意に沿わせたい意識があるから、格別不思議ではない。問題は政治家が権力を行使できることである。幼児的ヤンチャが権力を掌握すればろくなことにならない。

 また、人間ができていると言われる人であっても、人徳で他者を動かせるものではない。そもそも、人間ができている人物はきわめて少ない。だから、人徳論によるリーダーシップは、理屈だけだといっても過言ではない。

 1931年満州事変からの一連の戦争は、1945年大東亜戦争敗北によって終わった。以降、日本は民主主義国としての道を歩んだ。1952年に終わった占領行政を経てこんにちまで、日本は戦争をせず、平穏な日々を過ごしてきた。

 経済大国と言われるようになって、大物政治家としての魅力(魔力)に取りつかれそうになった政治家もいなくはなかったが、幸い、派手にドンパチやるようなことがなかったのは上等である。

 もちろん、19世紀ではないから、領土拡大のための侵略戦争を考える余地は常識的にはない。北方領土返還交渉は、相手の性根を見抜けなかった。一方、戦前からの体質とでもいうべき、自分の都合よろしき情勢分析をする傾向(手前勝手型思考)が祟って、安倍氏をいただく政府与党は、プーチン・ロシアにコケにされた。不細工であったが、どこかの国々のように、国境線でドンパチやらずに来たのは、おおいに上等である。

 コケにされた安倍氏が両国間の緊張を高めるようなことをしなかったし、人々もまた、怒り心頭にならなかった。これ、敗戦から得た不戦の誓いが脈々と生きていたとも言えよう。

25世紀前の戦争の考え方

 そんな次第で、プーチンによるウクライナ侵略戦争は、別次元、別世界で発生した出来事みたいでもある。19世紀ではないと前述したが、とつおいつ、あれこれ読んでみると、プーチン流は、19世紀どころか、紀元前5世紀のころの考え方に至る。これでは、現代社会の人々が頭をひねるのも無理がない。

 アテネの歴史家ツキジデス(前460~前400)は、ペロポネソス戦争の歴史を記述した。後世歴史家の模範とされる『戦史』である。

 ペロポネソスはギリシャの南部を形成する半島である。ペロポネソスを舞台として、アテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に起こった戦争で紀元前431年から、全ギリシャが2派に分裂して戦争し、アテナイ側が敗北し、スパルタがギリシャの覇者となった。紀元前404年に集結した。

 こんにちのように、事実を記述する方法がなかったのに、ツキジデスの記憶力による、正確で公正無視な記述態度は人間技とは思えない。読むには時間がかかるが面白い。岩波文庫(2巻)にあるので、お読みいただきたい。

 ツキジデスは戦争の原因を、次のように指摘した。いわく、名誉、恐怖、利害の3つである。強者が弱者を従えるのは当然とされていた。力によって、獲物を獲得できそうな場合、正邪の分別にこだわって侵略を控える人間はいない。また、武力行使によって権威を確認させる者は、法の裁きを尊ぶ必要がない。法定で負けると深く怨みをもつ。戦で負ければ強者の正義に従う。――などの考え方が示される。

 それにならえば、プーチンが、大ロシアの領袖たる名誉にとらわれ、NATOの拡大に恐怖を覚え、相対的弱者たるウクライナとの戦争に勝利して得られる利得に向かって突き進んだ。ウクライナは、強者たるロシアの正義に従うはずだと考えた。ここには、プーチン自身の物語はあるが、ウクライナのそれはない。日本流でいえば、勝てば官軍、勝てば正義はわれにありと確信している。

 プーチンは、それなりに歴史を勉強している由だが、歴史上の栄光が時間のトンネルをくぐって、こんにちの事態にあることを無視している。過ぎ去った栄光の日々を、突如、こんにちの事情に接ぎ木するのは愚であり、荒唐無稽である。プーチンは自分の物語に生きているという洞察は的確であろう。

人間観なきプーチン

 人々の暮らしにおいては、簡単に伝統を規定できない。また、グローバル時代といえども、文化や、人々の意識はきわめて多彩である。表面は波静かでも、見えざる国家主義や民族主義が生きている。それを外部からつつけば、猛然と反発するのは当然である。

 プーチンの失敗は、単に戦闘における彼我の力量差を大きく見ただけでなく、人間という存在をまるで理解していない。

 なるほど、自国軍隊は、強大な軍事官僚制によって動くから、兵士1人ひとりが不平不満をもっても、戦争マシンとして動くだろう。権威に逆らう者は、ハエだと豪語し、言論統制にもおさおさ怠りない。

 悲しいかな、成り上がり者は、自分を客観的に見ることができない。自分が成功したのだから、他者は当然従うと考える。いや、おそらく獲得した権力権威の大きさに麻痺しているプーチンだから、権力権威をもたない人々が逆らうことは想定外なのであろう。

 かつてプーチンを抜擢したエリツィンは、プーチンの冷静さを生来のものだと絶賛した。正しくは冷静ではなく、自ら権力権威機構の歯車になることがプーチンの生来なのだ。歯車になることを好む者が、全体機構の不行き届きに関心を持つわけがない。

 「機構は官僚主義(機構)によって運営される。その下で先頭に立つ者は、自己存在を放棄したものである」、あたかもプーチンのために書かれたようなヤスパース(1883~1969)の言葉である。

 国家機構において、プーチンはその歯車をめざす。彼にとって国家機構が絶対だから、それ以外は道を外れていると考える。彼は、国家機構において、エリートの道を歩むことだけが正義である。

 こんな考えは、そうでない人にとっては迷惑千万である。しかも、プーチンが機構を上っていくにしたがって、自分が手にする機構内の権力は飛躍的に増加する。これで舞い上がらないのは、かなりの自制心、組織哲学の持主である。

 プーチンは、人の心を考えない。「人間は自分がなろうとするものになる」というのは、西洋哲学の原点だが、プーチンは歯車になろうとした。そして歯車になった。歯車には、それを動かす人が必要である。ところが、人の心を考えない歯車が権力権威の頂点に立った。それが現在進行中の戦争を招いた原因だ。プーチンのぺースに乗れば、この戦争は終わらない。なにしろ25世紀前の戦争をおこなっている。 

 ところで、プーチン的官僚の姿に焦点を合わせると、この面では、なにやらSF的な未来世界のおぞましい姿が見える。われわれの周辺にも、ヤスパースが指摘した悪しき官僚の姿が掃いて捨てるほど目に付く。さらに、なんとAI的人間の多いことか。官僚組織の理屈と、AI的ルールに、全面的に乗っかっている人が少なくない。

 人々は、幼稚園からお受験競争の渦中で生活する。とにかく、試験に合格しなければ未来はないと思う。試験には、正解がある。理解できようが不可解だろうが、正解を求める習慣が人生観になる。人がなろうとする者とは、試験で上等な成績を獲得することである。正解は正義である。この考えと、官僚制人士の考え方は相性が抜群によろしい。

 人間観、文化論、自分なりに人生を哲学せずにこのまま進むならば、プーチン的人間が、やがては世界中にまん延するのではなかろうか。コロナどころか、非常に気持ちの悪い世界が想像できそうである。

先哲が教えるもの

 プーチンは、偉大なロシア復活を夢見た。もちろん、夢を見ることは悪くはないし、むしろ、人間はおおいに夢を見るべきだ。ただし、夢を見るには、それなりの心構えが不可欠である。

 プーチンは、かつて、ロシアの文化を導いたウクライナを兄弟と呼びつつ、侵略した。そこには、ロシア文化はウクライナ文化を凌駕するものであり、ウクライナはロシアに従うべきだという無知な傲慢さが顔を出している。

 文化の優越を物理的暴力で決するというのがおお間違い。ウクライナの文化を暴力で破壊してしまうことが、ロシア文化の優越性ではない。異文化が出会った場合、文化はお互いに切磋琢磨、あるいは融合して新しい文化を生み出すものである。つまり、プーチンの文化論は、決定的に付け焼刃である。

 ロシアからは芸術家が輩出した。芸術家たちは、文学や音楽を発表することによって、世界中に共感とファンを生み出した。プーチンは、偉大な芸術家を輩出したロシアを世界が疎んじていると論じたが、世界が拒否したのは芸術家や芸術ではなく、ロシア的政治である。もちろん、政治も可能性の芸術といわれるが、物理的暴力を駆使するような政治であれば、ろくでもない政治に過ぎない。

プーチンの心得違い

 プーチンが、根本的に心得違いをしている事実を指摘するために、1824年から32年にかけて交換されたゲーテ(1749~1832)とカーライル(1795~1881)の書簡の一端を紹介する。

 ゲーテはドイツ人、カーライルはイギリス人である。両者の年齢差は46歳、カーライルはゲーテを深く尊敬思慕したが、ゲーテもまた異国の若い友人を心から大切に付き合った。もちろん、芸術家としての求道の会話である。

 ゲーテいわく、――真に普遍的な寛容というものは、人々が個々の人間や民族の特性をそのままにしておきながら、しかも、真の功績は全人類の所有となることによってのみ、卓越せるものになるという確信を固く守っているとき、最も確実に達成されるものです。――

 当時は、まだ、キリスト教が重要な徳目であるが、異なる宗教者に対して剣で対決した記憶が薄らいでいない。作家は、普遍的な人間なるものをめざすのが、両者の合意であるが、世情に行き届いている考え方ではなかった。実際、狭い国家主義が主流である。遍くという意味は、1つの民族、1つの国家の独りよがりとは別物である。

 作家が生み出す芸術が優れていれば、それは民族や国境を超える。両者がめざした芸術家としての態度は、単に芸術世界の専売特許ではない、世界を股にかけて活動する政治家もまた、同じ志を確立してこそ政治家の名にふさわしい。それは、芸術家や政治家だけが問われる考え方ではない。同時代を生きるすべての人々が、生活を芸術するという考え方になれば、不寛容な世界を改め得る。

 プーチンの心得違いは、個人としては当然あり得ることであるが、ロシアという国の権力を掌握しているがゆえに、悲惨な戦禍を招いた。政治家と権力は引き離せない。それを統御するのは、結局、普通の人々1人ひとりである。三木清(1897~1945)は、「日常生活の達人」たろうと提起した。この言葉にかけられた気持ちもまた、普遍的な大事ではなかろうか。


奥井禮喜

 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人