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戦争はしたらあかん

おかぼん

 昨年7月、父が急性心不全で急逝した。結局、その前月、父の日に贈った海産物の礼状の葉書が父の最後の言葉となった。

 嬉しいよ。有難う。最近は老化の関係、耳が一層遠くなり、眼もショボつき、歩行不自由。でもその他元気です。そちらの御家族一同コロナに負けず元気ですか。これから暑くなります。気をつけてください。ありがとう。何回会えるかわからんが、元気であってほしい。マヤ山のジェットコースター、あの時分が一番いい。「戦争はしたらあかん」。皆様によろしく。

 子が還暦を過ぎても、親にとってはいつまでも子は子。ありがたい言葉である。何回会えるかわからないが、と言われハッとしたが、まさかその後一度も会うことなく別れるとは思いもよらなかった。

 マヤ山というのは神戸の裏山の摩耶山のこと。その山上、奥摩耶遊園地に私の子供の頃はジェットコースターがあった。子供が楽しむ程度の小さな乗り物だが、海抜700メートルの山上から神戸市外を見下ろせる地の利を活かした結構スリリングなジェットコースターだったと記憶している。

 父にしてみれば、夢の超特急、夢の架け橋、夢のハワイ旅行など、何でも夢があった若かったあの頃が一番よかったのだろう。

 確かに「一億総中流」と言われたあの時代と今の格差社会。しかし意外と、今の若者の生活満足度は総じて低くない。もう日本に経済成長は期待できないかもしれないが、日々の生活を彩り楽しませてくれるものがたくさん揃っており、工夫次第でそれなりの日々を送ることができるというのである。インターネットも携帯電話もなく、エアコンも普通にない生活など考えられないというのである。経済格差もさることながら世代間の感覚格差も相当なものである。

 しかし、それよりも何よりも強烈だったのが「戦争はしたらあかん」とわざわざカギ括弧を付けて書かれた最後の一言である。昭和17年に中学生になった父は、「日本が戦争に勝ったらオーストラリアで馬に乗ろうと思っていた」「軍需工場の動員をサボるのに醤油をコップ一杯飲んで全速で走って熱を出したものだ」などと結構面白おかしく戦争中の暮らしを話してくれたものだが、この最後の言葉で本当はそんなものではなかったことがよく分かる。

 ロシアのウクライナ侵攻を見るにつけ、戦争が決して遠い過去のことではないことを改めて感じさせられた。一刻も早い戦闘終結を望みたい。