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国民・消費者・生産者抜きの経済は終焉する

司 高志

 筆者は、真っ暗闇の日本には経済対策が必要であると言い続けてきた。今回はその要因について、ぼんやりとではあるが近づけたような気がしている。原因は、政府と企業の本音が大いに食い違っている、方向性としてはほぼ逆向きと言ってよいことにある。以下、企業と政府の本音について代弁してみよう。

 まずは企業の本音から。

 ――若くて生きのいい男子がええなぁ。安月給でも言う通りに動いてくれたらそれでええ。ついでに言えば、ちょっとくらいの無理はできるやつ。40歳過ぎたら、稼げない社員から辞めてほしいものだ。――

 次は政府の本音。

 ――年金払いたくないな。とにかく、70歳でも75歳でもできるだけ長く働いて、年金受け取りは先延ばしして、働いた分は余計に年金保険料払ってゃ。ま、いざとなったら年金破綻しますか? 支開始年齢繰り下げしますか?――

 このようにお互いの主張は真っ向から対立している。

 ここで置き去りになっているのが年金保険料払って、安月給で働き続けている人間の存在だ。生身の人間はきれいごとだけでは生きられない。その日その日の飯を食い、何とか生き残る算段をしなければならない。この状況に置かれた人々がどのような心理状態になるか、企業も政府もまともには考えていないのだろう。

 もう少し、企業と政府の考えそうなことを補足をしておこう。

 大学医学部の入学で、女子が不利な扱いを受けていたことが問題視された。なぜ成績優秀でも女子は選ばれないのかというと、結婚、妊娠、出産などで職場を離れられると、企業は抜けた穴の手当てをしなければならず生産性が落ちる。せっかく一から育ててきたのに、その経費をフルで回収できない。だから女子は敬遠される。一方男子は、回収が終わってからが勝負だ。年功序列で給料が増えそうな年ごろになったら、辞めてくれるのが一番いい。さらには口実をつくって給料を低位平準化したい。目標設定、業績評価、職能給や成果主義は本音を隠す単なる口実に過ぎない。

 政治家や国家公務員にはほぼ、当事者意識がない。自分の任期中に問題さえ発覚しなければ、あとは野となれ山となれ。この国の未来に関する責任者は不在である。年金制度が何とか持ちこたえるには、支給額を減らすか支給開始年齢を上げるかしかない。だから労働しなければならない期間は伸びるばかりだ。年金制度についての責任は、国民自らが泥をかぶることでしか取りようがない。

 さて、この板挟みの状態で人々の心理は、いったいどこに向かうのか。

 多くの人は最後まで会社に齧りつくかすがりつくかして、居残ることしか考えなくなる。働いた振り、貢献した振り、役に立っている振りの人。もう諦めました、でも行くところないので給料だけはいただきますという人。組織は効率の悪い人材の宝庫となる。創造的な仕事なんて夢のまた夢だ。

 この原因の一つには教育がある。東大はキャリア官僚養成機関、その他大学はサラリーマンの培養場だ。企業も高偏差値大学の出身者には、無意味な勉強を文句も言わずやってこられたことを評価する。起業などのフロンティア・スピリットを持った人は育たない。それ以外には転職に対する障壁が高い。転職すれば前職よりも給料が下がる人がほとんどだ。

 現在は年功序列、終身雇用、年金などという巨大システムが終焉を迎えようとして大暴れしているように見える。

 消滅危惧種にさらなる進化を促すには、政治が一肌脱いで、新生命を誕生させるような風土や土壌を作っていくことが必要だ。政府と企業の、本音のまた裂き状態は避けるべきなのである。