月刊ライフビジョン | off Duty

断捨離実践録

曽野緋暮子

 以前から売りに出されていた隣家がやっと売れたようだ。広い畑と広い庭がついているので年に数回、剪定と草刈のために持ち主が来ていた。その時に泊まるため家財道具一式が残されていたようだ。売買契約が整った9月に県外からも親族が来て、約1週間かけて家財を処分していた。最後は産廃トラックが来て、タンスや机などをバリバリと破砕して処分した。わかってはいても、昔自分たちが使っていた物が粉砕されるところを見るのは切ないだろうと、他人事ながら胸が痛んだ。同時に、我が家の断捨離をしなくてはと考えた。

 断捨離するには体力と時間とお金も要る。今しかない! 数年前に亡くなりそのままになっている義母の部屋も片付けたい。義母の部屋こそ私達が片付けておかないと、子ども達に負担がかかる。

 義弟、義妹に相談すると「思い出の品を何か一つ貰えば良いよ」と返事があった。でも、諸々処分した後で「あれが欲しかった」とか言われても困るので、コロナが落ち着いてきたタイミングで実際に来て貰うことにした。

 義妹は一泊の予定で来た。家に着くなりジャージに着替え、タンスの引き出し等を全て開け、大きな段ボール箱4箱と喪服以外の和服全てを荷造りした。「思い出の品を何か一つ貰えれば」の言葉を鵜呑みにしなくてよかったと、心の中で苦笑した。義弟も大きな段ボール箱1箱を作った。「思い出だから写真とアルバムは残しておいてね。」と声を揃えて言った。「一番困るんだよね~。コロナで親戚が集まる機会も少なくなった今、写真を見て思い出話はないよなあ。」と心で舌打ちする。以前、曽野綾子が何かに書いていた。「写真は残った人が困るから生きている内に50枚位にしていた方が良い。」本当にそうだよ。

 皆が要らないと言ったタンスとウオークインクローゼットの中の、山のような衣類、靴、物置にドンと積まれていた引き出物の食器類等々を数回に分けて、市の処分センターに持ち込んだ。人形類はゴミ袋に塩を入れて処分すれば良いと言う人もいるが、さすがに心苦しいので供養をしてくれる神社に持ち込んだ。

 ベッド、タンス等の大型家具の処分は専門業者に依頼した。最近は服も買わないし、地震で家具の下敷きになるのも困るとの思いから、私達の洋服ダンス、ドレッサーも一緒に業者に依頼した。夫が独身時代に購入したが一度も鳴らしたことのないスピーカーセットは、マニアの友人に譲ることにした。

 テレビ等の断捨離番組で業者が「これは売れそうだから」と言って値引きをする場面を見るが、実際にはそういうことは余りなさそうだ。家具類はいくら高額でも10年以上経っていると値がつかないそうで、我が家の家具達も運びやすいようネジを外してバラバラにされていく。さすがにプロの仕事は早い。

 すっきりと広々とした部屋になった。座り心地の良いデッキチェアーを買って、お茶しながら読書する日々を夢見ながら、チマチマした片付けがまだまだ続いている。