月刊ライフビジョン | 地域を生きる

コロナ後の地域社会の課題―地域3つの層

薗田碩哉

 新しい年2022年が波乱含みで始まる。この2年間、世界を大混乱の渦に巻き込んで来た新型コロナはアルファ、ベータと歩を進めて、いつの間にかオミクロンにまで到達しても一向に止む気配がない。欧米では感染が再び拡大しており、前年秋以来、不思議と一気に感染者数が下降したこの日本でも、今後、第6波の襲来が避けがたい予感に誰もがおののいていると言えよう。当分は「コロナとともに」生きて行かねばならない世界の状況の中で「地域に生きる」ことも、新たな発想が求められている。

 年頭に当たって、これからの一年、「地域で生きる」「生き続ける」ためにはどんな課題があるのかを整理しておきたい。地域と言っても「広うござんす」ので、これを次のような三つの層に分けて考えてみよう。すなわち、①もっとも身近な家庭とその「近隣」としての地域、②町の中にあるさまざまな団体や組織(ひとくくりにして地域の中間集団と呼ばれる)の活動の場としての地域、③自治体行政のレベルでの地域(=市町村)、この3層はもちろん深く結びあいながらも、それぞれ異なった課題を抱えている。これら3層の重なりあいや対立によって地域生活のダイナミズムが生まれてくるということだ。

 この国の「近隣としての地域」の活力は、諸外国と比べてみても、またこの国自体の過去と比較しても極めて低レベルである。特に都市部ではその傾向が徹底している。近隣を構成する家庭同士は、互いになるべく関わり合わないことを信条にしているかのごとく、相互の交流や助け合いどころか、挨拶さえもロクに交わさないのが常態だ。コロナによる危機の中でこの傾向はますます助長され、マスクをしないで外出しようものなら、たちまち白眼視され、強固な相互監視のネットワークが張り巡らされていることを痛感させられる。コロナ禍は各家庭の引きこもり・閉じこもり傾向を明らかに助長している。わが住むマンションでも、通路で出会う人たちは一様にマスクを付け、目を合わせないようにし、小さな声でぶつぶつつぶやくのみ。餅つきも芋煮会も、およそ行事という行事は一切中止。今年こそ「長屋の花見」を再興させたいと思っているレクリエーション係に果たして出番はあるかどうか。

 地域の中間団体に目を向けると、ここ10年ぐらいの傾向だが、子ども会から老人クラブまで、昭和の昔から連綿と続けられてきた活動が軒並み力を失い、会員減少、行事はマンネリから中止へ、組織そのものも停滞から解散、消滅に至るところが後を絶たない。それに代わって母親たちの子どもに関わる活動(たとえば「子ども劇場」や放課後支援などのボランティア活動)、リタイア後の高年層が公民館などに結集して行ってきた健康教室や趣味のサークルなどが新たな市民活動として伸びてはいたのだが、これもコロナで活動が阻害されたり休止したり(公共施設の閉鎖が痛かった)して、コロナ後の復活が危ぶまれている所も少なくない。もともとこの国の地域団体は、前例踏襲型の変わり映えのしない活動、閉鎖的な運営とボス支配、社会のホットな問題への無関心や回避が特徴で、地域の活性化に役だって来たとは言い難い。新しい市民活動も趣味に埋没する仲良し集団の域を出ず、地域社会全体に目を向け、行政の動きと切り結ぶという観点が弱かった。コロナが露わにした数々の問題は、地域や行政のありようを問い直すチャンスでもあるはずだが、果たしてこれを好機として新たな動きを生み出せるかどうか、いささか心もとない。

 これら2つの層の上に乗っかっているのが首長と役所、そして議会である。だが、大多数の市民は事務的な手続きのために市役所を訪れても、自治体の運営がどういう問題を抱えているかということには、わが身に火の粉が降りかかってこない限りトンと無関心、ましてや市長と市議会がどんな政治的葛藤を抱えており、それが国政とどうかかわり合うのかというような視点を持つ市民は半分どころか3分の1ぐらいしかいない。どちらの自治体も平成以来の緊縮路線で公共サービスの縮小と民営化に狂奔し、それが市民生活の充実を妨げ、格差を助長していることに気づいているのは少数に過ぎない。コロナ禍のために失業して、行政の窓口に支援を求めて初めて、この国のセイフティネットの網の破れに気付かされることになる。

 さて、わが住む町は、この2月に市長選・市議選を抱えている。4年に一度の政治の季節がやってくるのだが、市民の関心は相変わらず低い。現在の市長は大失策やスキャンダルはあんまりないようだが、箱物づくりと賑わいの演出には熱心でも、教育と文化には冷淡で、博物館を潰し、図書館の数を減らし、全国的にも特色ある施設として知られている「版画美術館」をおかしな施設に改造しようとするなど、反文化的施策を進める一方、中途半端な観光施設を作ったものの、コロナ禍もあってお客さんはさっぱりという体たらく。それでも5選を目指して出馬表明した。どこぞの山村あたりなら首長の多選も珍しくないが、東京周辺の40万都市で同じ人物が20年も続くのは褒められた話ではない。対抗する市民派は、しかし、人材難でなかなか候補者がまとまらず、右往左往しているのが現状だ。

 大事なことは市長選を単に自治体政治のレベルで考えるのではなく、地域の第1、第2の段階、すなわち近隣と中間団体のレベルで問題化することである。多くの市民が関心を持ってくれるような適切な「争点」を見つけ出して、隣り近所でも市政のあり方が論議できるような雰囲気づくりをしなくてはならない。そのためには、内に閉じるのではなく外に開かれた姿勢をもつ多くの市民グループが互いに情報交換を行い、手を取り合うことが何よりも大切だと思う。さて、どこから手を付けようか。

【地域のスナップ】手づくりの門松  

 わが住むマンションの門松は、市内の福祉施設のスタッフが裏山の竹を切り出して作った手作りである。植木屋さんのに比べると、ちょっとでっぷりしているが、福々しくてよろしいと住民には好評だ。


◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。