月刊ライフビジョン | 地域を生きる

マンションの小さな展覧会

薗田碩哉

 コロナ禍に明け暮れた1年が終ろうとしている。どういう風の吹き回しか、菅内閣が瓦解したころからコロナは急速に鎮静化をはじめ(その理由は専門家も政治家も誰も分かってはいない)、長らく自粛要求の続いた居酒屋での会合も規制が緩み、久し振りの忘年会もできそうな雰囲気である。

 私の住む民間マンションは戸数140足らずだが、東日本大震災の頃から、住民相互の交流行事に力を入れてきた。寒の季節には餅つき(のちに芋煮会に替わる)、猛暑の夏にはビアガーデンを開催、その間には花見、七夕、ハロウィンにクリスマスと、洋の東西の行事を取り込んで、子どもたちを巻き込んで楽しんできた。このお世話をするマンション管理組合のコミュニティ委員会で、筆者は「イベント主任」を拝命して活躍? してきたのだが、昨年の正月行事がコロナで中止になって以来、長いこと泣かず飛ばずで無聊(ぶりょう)を託(かこ)って来た。

 集まれないのは仕方がないとして、住民が少しでもお互いの存在を知りあい、共住の楽しさを味わう手立てはないものか― コミュニティ委員会ではあれこれ議論の末に、この秋「小さな展覧会」を開くことに決めた。入り口の奥にある、いつもは殺風景なロビーを展覧会場にして、そこに住民の作品を並べたら面白いのではないか、みんなで集まることは出来なくても、作品を介して住民同士の間接的なコミュニケーションが進むのではないかと考えたのである。

 早速、チラシを作って各戸に配り「あなたの《作品》を募集します、どんなジャンルでも結構ですから提供してください」と広報したら、思った以上の反応があった。絵画、書、絵手紙、絵本、粘土の造形、手芸、手作りのアクセサリーなど、いずれも小品だが、ロビーの一角に並べるとそれなりに見栄えがする。文化の日に続く1週間ほど、わが「マンション美術館」が開館し、朝に夕に入り口を通る住人たちは「いったいこれは何なのか」と足を止め、中にはしみじみと作品を観てくれる人もいて、まずまずは好評だった。作品の中には「ほしい方には差し上げます」と注記したのがあり、ちゃんと貰い手がついて、どこぞの家の調度品になったのもある。投書箱に「とても素敵な空間ができて楽しめた」という感想文が寄せられたりして、コミュニティ委員一同は意を強くして、今後もこの手の企画を続けることにしている。

 今回は新機軸を打ち出せたとは言うものの、こうしたイベントに関心を持ってくれる住民は圧倒的に少数派である。賑やかに餅つきをしたり、ビールのジョッキを傾けて気炎を上げたりするのに乗ってくれるのはせいぜい2割か3割程度。他の皆さんは、賑やかな会合の横を素知らぬ顔で通り過ぎる。こうしたレクリエーション行事ばかりではない、マンション生活に関わる重要な問題―修繕のこととか水漏れだとか植栽のこととかについても関心は低く、管理組合の総会に出席するのはこれまた2割程度、あとは委任状で済ませてしまう人ばかりだ。駐車場の確保のような個人の利害に直接かかわることには、皆さん声高に要求はされるが、課題について話し合ってみんなで解決しようという姿勢には乏しい。それぞれが自分の小さな区画の中に安住して、よほどのことがなければ、隣り近所とさえ関わろうとはしない。

 これはそのまま地域の政治に対する態度につながっている。この国の将来の方向がかかった先日の総選挙でさえ、半分を少し超えたぐらいの投票率だった。自治体の選挙となると、ひどいところは投票率が2割か3割しかない。圧倒的多数の市民は町の政治など私にゃカンケーありませんという態度なのである。政治意識が低い、視野が狭い、極私的生活にしか関心がない…と嘆いてみても、これが我が国の民主主義の現実である。

 それを少しでも変えていくにはどうしたらいいのか。となり近所のおじさん、おばさんが作った、ささやかな「作品」を鑑賞して楽しむ雰囲気を生み出すことも、コミュニティ意識を養う一助になってくれるのではないか―― 道はまことに遠いのだが。


【地域に生きる】 2021年12月 【地域のスナップ】マンションの小さな展覧会

真ん中のお坊さんみたいな坐像⇧は筆者の作品

◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。