月刊ライフビジョン | 家元登場

撒いた種の後始末

奥井禮喜
李下の冠

 野党は当然ながら、与党議員におかれても、モリ・カケ騒動で蕎麦を食べる気がしなくなったとまではいかずとも、大方は安倍氏が撒いた種だ。選挙区へ戻れば有権者から「なにやっとるんじゃ!」と叱られる。伊吹某は、バラエティ番組が国会へ来た、スキャンダルめいたもので、与野党共に攻防必死だが、国民のための本質的な政治をやるべしと演説した。いかにも正しい論みたいだが、安倍氏に直言する胆力もなく、派閥会合でぼやき漫談。政府与党が大方の法案を押し出して審議していることを忘れたか? 国民ための本質的な政治をやるためには、なによりも与党が襟を正さねばならない。与党内部に自浄能力があれば、こんな問題はとっくに片付いている。問題をズルズル引き延ばしてきたのは要するに政府与党の策略に過ぎない。「李下に冠を正さず」なんて言葉を問題引き起こした本人が答弁の枕に使うなどナンセンス、「門前の小僧習わぬ経を読む」ことなかれ。

烏合の数

 世間では、「安倍一強」だの「自民一強」だのというが、上っ面撫ぜている。強は凶(わざわい)、狂(常軌を逸す)を呼びやすい。そもそも政治家は「強い国家」を作るみたいな言葉が好きだが、幼稚、未熟である。「なにを以て強いというのか」すらわかっていない。「なにに対して強いのか」を考えたことがあるのか。単純に、「弱い」よりは「強い」のほうが好感されると思っているだけで、中身などそっちのけだ。選挙に勝った。自民党は議員数をたくさん獲得した。では、強くなったのか? 数が集まっても、人品が高くなく知恵の次元が低ければ烏合の衆、徒党にして、そのような一強が闊歩する政治は凶を呼ぶ。あるものをない、知っていることを知らず、忘れたふりをする、とぼけてはぐらかす——こんな手は昔から汚職する連中の常套手段である。言葉を尊重するべき政治家が言葉を騙しの技術として使うとき、政治は常軌を逸して狂っている。

蒙を拓く

 すでに自民党内部に凶と出ている。自民党議員には知性レベルの高い人が少なくない。その知性を真っ当に発揮する機会が減っているのが第一の凶。安倍氏が撒いた種だとわからないような知性ではないから、ならば然るべく諫言するなり、事体収拾の動きを起こすのが正しいが、数が多過ぎる。いわば巨艦であるから、ひょいちょいと出向いて「取り舵」するわけにはいかない。多数の議員の圧倒的多数はオツムテンテンだとしても、それは1人ひとりであって、知性議員とて知性を発揮するのが容易でない。非知性人ほど多数決にこだわるのは、非知性人たる自分は多数(多数は大方は衆愚をなすのだからして)の1人に紛れ込んだほうがよろしい。つまりは多数派は組織が間違っているとしてもボスの舵取りが変わるまでは決して過ちを認めない一蓮托生の諸君である。組織や国家が間違いを起こすのは、常にこの構造なのであって、かくして自民党内部は凶に嵌ってしまった。

嘘のあとさき

 凶に嵌っていることを見ようともせず、なんとか従来のままで行こうとするのだから、常軌を逸した行動が次々に生み出される。1つ嘘をつく。「Are you sure? You are joking, I don’t believe you」(嘘やろ、信じられない)といわれた段階で踏みとどまって、「あは、ごめん、ごめん」と訂正すればよろしいが、断固として「嘘ではない」と突っ張るものだから、You are liar「嘘つき」と決めつけられる。ここまでくれば最早、人格を否定されたのと等しい。かつて大本営発表なる大嘘が天下の大道を闊歩した。1発大嘘をかましてしまえば、後は野となれ山となれだ。自民党の大特徴は天下国家を高唱するけれども、その本質は「国家第一に非ず、自民党第一」である。「都民ファースト」なるネーミングが人々を吸引した事情をみれば、「自民党第一」は、善男善女をして「諸悪の根源」=「悪の証明」となってしまう。一強すなわち、「一凶」「一狂」という次第である。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役。経営労働評論家。月刊ライフビジョン発行人。