月刊ライフビジョン | 地域を生きる

里山の復興を目指す令和のぽんぽこ大合戦

薗田碩哉

 二度あることは三度ある、という諺に倣ったか、またぞろ緊急事態宣言である。連休を控えて盛り場もダメなら遠出もイケマセンというので、がぜん注目を浴びているのが身近な自然地、都市近郊に残された里山である。先日もNHK-BSの「旅ラン」という番組が多摩市—町田市の境目あたりにある里山を紹介してくれて、家人とのんびり眺めていると、毎度田んぼ通いに歩いている切通しの道が出てきて「おお、あそこだ!」と妙に嬉しくなって歓声を上げていた。2,3日後には東京新聞の終わりの方のページに「新緑で活力を」というタイトルで、これまたわが山荘周辺の里山一帯が「密避け多摩ハイク」の好適地として写真と地図入りで掲載された。連休には外からのお客さんが増えそうだ。

 近年の気候の変調は、間違いなく地球温暖化の方向を示している。桜の花が2週間も早く咲き始め、例年なら入学式のころに満開という近くの学校の校門前の桜並木が、3月の卒業式にはもはや花吹雪というのでは、年中行事も妙にちぐはぐになる。植物たちは敏感で、年度初めに見事な花をつける我が家の君子蘭は明らかに花期が早まっているし、木々の芽吹きも、昆虫たちや野鳥の登場も早め早めになっている。この伝で行くと春は早々と過ぎ去って夏の猛暑は必至であり、亜熱帯どころか熱帯なみのとんでもない灼熱の日々がやってくるだろう。温暖化対策には人類の未来がかかっている、一刻の猶予も許されない。

 かつて東京の西郊は、平坦な土地は畑と「武蔵野」風の雑木林、もう少し奥に入れば、起伏のある丘陵を緑が覆いつくしてどこまでも里山が続いていた。里山の山筋ではクヌギとコナラを主とする落葉樹の森が広がり、これらの木々は15年ほど育つと伐られて薪と炭になった。江戸時代後期、100万人の人口を抱える大江戸のエネルギー源は、多摩地区から供給された薪炭であった。この需要は電気やガスが普及する昭和の後期まで続いていた。クヌギやコナラの切り株の周囲からは、ほどなく新しい芽が伸びて枝を伸ばし、15年もすれば立派な木に育つ。毎年毎年木を伐って燃料にしても、15か所の森を用意して順番に切っていけば永久に使い回せる、枯渇しない資源だったのだ。

 里山の谷筋で水の浸み出る「谷戸(やと)」にはどこにも棚田が作られて、平地の田んぼほど収量はよくないにしろ、重要な食糧源になっていた。地形に合わせて段々が作られ、大小さまざまな形の田んぼが連続する棚田の風景は「絵になる」眺めであり、畔には色とりどりの野草が咲き誇り、トンボが飛び交い、流れにはドジョウやメダカが群れを成し、ケロケロとカエルの合唱が聞こえる。田んぼの奥には山の水を集めた溜池が作られていて番(つが)いの鴨がバタバタと水浴びをしている。今風に言うと「生物多様性」の実現であり、人の営みも自然のキャパシティの内に包摂された、持続可能で平和な世界がそこにあった。

 ここ半世紀ぐらいの間に、人類が自然に与えたインパクトは半端なものではなかった。山を崩し、海を埋め、原生林を伐採し、地球の内部から取り出した化石燃料をふんだんに燃やし、そのエネルギーで地球の表面を大規模に改造してきた。里山のレベルで見ても、多摩地区の広大な里山を根こそぎ掘り返して人口30万人のニュータウンを作り、道路を張り巡らし高層ビルを次々と建てて景観を一変させた。自然に対するこの巨大な暴力への異議申し立ては、開発業者に身体を張って立ち向かった里山のタヌキたちの戦いと挫折の物語である宮崎アニメの、「平成ぽんぽこ大合戦」に余すところなく描かれている。

 私たちが関わっている「合歓の里」の谷戸も、20年前までは耕作を放棄された鬱蒼(うっそう)とした藪に過ぎなかった。そこへ都会の不届き者たちが廃材や引っ越しの後始末の粗大ごみを持ち込み、不法投棄の巨大なゴミ捨て場と化していた。谷戸の地主の家系で田んぼを引き継いだ元市役所職員の天野三男氏は、一念発起して田んぼの再生に取り組み、自身の軽トラックを数十回も往復させて粗大ごみを運び出した。生い茂る藪を切り払い、伸びた灌木を焼く孤軍奮闘の日々を経て、やっとのことで昔の棚田が取り戻されたのである。私たち「さんさんくらぶ」の子どもたちや親たちが、天野さんの苦闘の賜物である棚田の内の2枚ほどを「さんさん田んぼ」として請け負って米作りを始めてからもう15年ほど経つ。

 ここ数年、里山復興は目覚ましい。町田市の北部丘陵と呼ばれる一帯には丘陵に切り込んだ数多くの谷戸があるが、どの谷戸でも棚田や畑や周辺の雑木林を整備する活動が始まっている。その多くは、土地の所有者に加えて都会からボランティアが集まり、手を携えて里山再生に取り組んでいる。これは現今言われる《コモンズ》を目指す活動と言えるかもしれない。大自然は誰のものでもない。日本列島の自然、さらには地球全体の自然を人々の共有財産と考えて共に維持していく《グローバル・コモンズ》の発想が、身の回りにある里山の自然を楽しむところを出発点に発展してほしいと思う。


【地域のスナップ】復活した谷戸の棚田

 荒れ果てていた谷間に、美しい棚田が復活した。ここは団地の林立する多摩ニュータウンのすぐ裏側。一山超えれば車の列の絶えない鎌倉街道だ。(写真は昨年6月)

 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。