月刊ライフビジョン | メディア批評

政府の方針を既成事実化する先読み報道

高井 潔司

 3年近くにわたって新聞通信協会発行の月刊誌『メディア展望』に連載してきた「大正デモクラシー中国論の命運」を4月号で終えた。連載は、私がかつて教鞭を執った桜美林大学の創設者清水安三、吉野作造氏らの評論、大阪朝日新聞社説など中国革命を肯定的に評価した大正デモクラシー期の中国論が、満州事変から変節し、大阪朝日新聞に至ってはその後の戦火の拡大を煽る結果となったことをテーマに、なぜ、どのようにして、変節の運命をたどったかを考えた。(新聞通信調査会のホームページのアーカイブ欄に第1回から読むことができるので、興味のある方は開いてみて下さい)

 その最終回では、元毎日新聞記者の池田一之明治大学教授の遺稿集『記者たちの満州事変』を紹介した。池田氏は大学の定年を5年早めて退職。新聞の戦争責任を問い直すため旧満州に足を運び、現地の図書館に通って当時の資料を発掘し、いくつかの論考を残しながら、1998年、70歳で亡くなった。私は連載の最終局面でこの遺稿集の存在を知った。回を重ねてきた自分の全体構想を崩されるような思いをしながら遺稿集を読んだ。

 例えば、関東軍の謀略から勃発した満州事変について、著名な歴史家でさえ、記者たちが満鉄爆破の現場も見ず、支那正規兵による犯行とする関東軍の発表だけを鵜呑みにして報道したと当時の新聞を批判している。現場を踏めば関東軍の謀略と分かったはずと歴史家は批判する。しかし、池田氏によれば奉天駐在の内外記者団は関東軍主催の現場説明会に出席したという。そして、応援取材に来ていた毎日門司支局の記者などは、支那正規兵の犯行と書く報道にあきれ果て、そのまま帰国してしまったという。つまり記者たちは爆破現場を見、その規模の小さいこと、そして何より関東軍の犯行と知りながら、事変拡大に協力する報道を展開していってしまったのだ。もっとも謀略だと書いても関東軍の検閲でつぶされただろう。それでも事実を書こうという意志があれば、その後のような戦争を煽る報道にはならなかったはずだ。

 その経緯を池田氏は日ごろからこう語っていたという。「日本の新聞は結局、先読みなんだね。いい悪いではなく、現実がどこに向かうかを先読みしてしまう。満州事変がそうでしょう。関東軍の謀略であることを見抜いて出稿した記者はいたんだ。でもその時には満州事変はすでに既成事実化して、関心はもう関東軍の次の行動に移っていた。既成事実を先に読むから、どんどん後退するわけ。止めることができなくなる」

 この時期の報道変節の原因に関する研究では、軍部の統制、右翼国家主義者の圧力、新聞の商業化、ポピュリズムに迎合し多様化を欠く論調などが挙げられてきた。池田氏の指摘は新聞に内在する問題点を突くユニークな視点だ。

 以上長々と拙稿を紹介してきたが、実は以上は今月号の本欄の前置き。池田氏の指摘する「新聞の先読み」は今もって続く日本のメディアの悪弊ではないか?ということだ。

 例えば、コロナ感染の拡大と政府の対応をめぐる報道。「東京都、大阪府緊急事態宣言要請へ」と報道が始まると、次は「政府宣言の方針」、「あす専門家会議で諮問へ」、「きょう専門家会議開催」、「緊急事態宣言発出を決定」、「あす緊急事態宣言発出へ」、「きょう緊急事態宣言発出」……といった具合に、先読みと言えば聞こえはいいが、当局の意図に沿って流ればかり書いている。緊急事態宣言が発出されるまで一週間前後、毎日同じような記事を読まされ、読者にとっては発出当日、もはや「緊急事態」という驚き、緊張感が感じられない。

 宣言解除についても同様に、流れを先読みばかりして、メディアは立ち止まって、その時点で解除が妥当なのか、検証してみることをしない。2度非常事態を延長し、何とか成果を見せたい政府は3月21日に2回目の非常事態を1週間早めて解除したが、1か月と置かず、3回目の宣言に追い込まれた。

 メディアが、2回目の解除が妥当だったのか、そもそも非常事態宣言の内容に問題はないのかといった検証を試みる局面はあった。先読みに追われ、スルーしただけのことだ。例えば、本紙に出ていたがどうか確認していないが、2月27日夜アップされた毎日新聞のニュースメール「『なぜいつもこうなる』宣言解除の決定直前専門家は言った」を読んでその感を強くした。それによると、解除決定を結果的に了承した26日の諮問委員会では、専門家から異論が続出し、予定時間を一時間もオーバーする激論になったという。諮問委員会では事あるごとに専門家から「焦って解除することはない」、「そもそも非常事態宣言に何の効果もない」、「リバウンドの可能性が目に見えている」といった意見が出る。だが、メディアも協力して、政府がすでに発出や解除の方針の流れが作られてしまっているので、専門家も最終的には了承せざるを得ない形となる。「なぜいつもこうなる」とはそういう状況に対する異論の叫びだ。

 これだけの議論になっているわけだから、メディアはこの時点で解除の妥当性を検証する必要があったはず。しかし、残念ながら次の先読みが始まる。ワクチン接種の準備状況、リバウンドの恐れの拡大、五輪の聖火リレーの開始、……へと。そうこうするうち関西圏で、変異ウィルスが広がり、再び非常事態への流れへと移る。

 記者団から菅首相へ「前回の解除が早まったのでは」という質問も出たが、首相は「自治体からも解除要請があったし、専門家も了承した上で、決定したこと」と、政府に責任はないという姿勢を崩さない。メディアの皆さんもその流れを作ったんでしょ、と言わんばかりの開き直りである。

 米大リーグの大谷祥平君の活躍を見ようと、NHKBSチャンネルを付けたら、まだワールドニュースの時間でスペイン国営放送のニュースが流れていた。(旧植民地の)南米のコロンビア、エクアドルなどでは、ワクチンの接種率がまだ5%で、国民の不満が高まっているという。おいおい、日本は5%どころか、1%にも達していないのよ。「ゆっくりやりましょう」という河野マジックにはまって、わが日本のメディアも、そして国民も怒らないし、内閣支持率は下がる気配もない。取って代わる野党を欠くなかで与党には緊張感がなく、腐敗は放置されたままだ。

 専門家の意見は聞きおくだけ。政権が求めているのは、政府の方針に「了承」のゴム印を押す役割。学術会議に求めているのも、その役割をわきまえる聞き分けの良い学者の推薦ということでしょう。専門家の皆さん、気を付けましょう。ゴム印でも、回り回って、責任の一端を取らされますよ。


高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。