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21春闘講座―労働組合主義と政治

21組合研究会

 組合は政治活動を主たる目的としていない。それを如実に示す言葉が「労働組合主義」ではなかろうか。しかし、仮に組合が政治活動を一切やらないとすれば、わが国の民主主義がまともに育たない。組合は可能な限り政治活動をおこなうべきである。組合は、とりわけ民主主義推進勢力として活動してもらいたい。これが、今回の原稿の前提である。

組合は平和憲法と民主主義を追求

 敗戦直後から登場した組合は、まっさきに食べられる生活を追求した。1931年の満州事変から、37年の日中戦争へ。日中戦争から41年の大東亜戦争へ、そして45年の敗戦に至る15年間で、人々の生活はどん底へ転落していた。生活再建が組合の大目標になったのは当然である。

 戦後の組合の誕生自体が、民主化政策の主要な柱であった。また、経済的生活の再建が、企業内における労働条件向上だけでは達成できないことは誰でも理解できることであり、組合活動の柱に民主主義推進が掲げられたのは必然であった。さらに戦争の惨禍が骨身にしみていたから、平和憲法と民主主義の2つを追求する立場に至った。

21組合研究会2021③2021.01.13  組合が自民党を支持しない理由 


敗戦直後の混乱

 敗戦直後は大混乱期であった。知識人クラスにも影響力をもっていた共産党が革命路線を推進し、組合にも深く浸透していたから、組合運動が強い政治色を帯びた。最大のミステークは、戦後統治をしたGHQを民主主義革命のための解放軍だと思い込んだ。GHQの実態は占領軍である。民主化推進の旗を振ったのは、軍国主義者を復活させないためである。

 さらに敗戦国日本を少しでも早く自立させねばならず、理屈はともかく、国内が混乱するのはGHQにとって不都合である。47年2月1日のゼネスト中止指令は必然であった。さらに東西冷戦が本格化した。米国が日本をアジアにおける反共の橋頭保にする意図が明確になった。それに組み込まれたくない人々が反戦平和の主張を強く押し出すようになった。

 平和と民主主義を願う人々にとって不都合だったのは、平和と民主主義の旗の下に、冷戦体制の対立(反米・親ソ)が組み込まれた。平和と民主主義陣営で、この対立は長く尾を引いた。また、組合内でも、いわゆる左右対立として活動に影を落とした。厳密にいうと、左派は共産党系と社会党系である。右派は民社党系、左派は社会党系と共産党系の3つの流れがあった。

労働戦線統一の中途半端

 70年代に入ると、組合内では共産党系は退潮化し、民社党系・社会党系の2つに絞り込まれた。労働戦線統一とは、民社党的思潮と社会党的思潮の合体を目指したものだ。このプロセスで「労働組合主義」が登場した。狭くいえば、労働組合主義とは従来の左派イデオロギーを排除する立場である。

 ところで、右派イデオロギーは何だったのか。たとえば、民社党は「反共・非自民」であって、しかも社会主義推進を標榜していたのだから、この時点で社会・民社もまた再度合体しても不思議ではなかった。労働戦線統一における反共の旗印はそれなりに明確だったが、では、次にいかなる旗印を押し立てるかという議論がないままに、組織統一だけが実現した。

 元々政党と組合は、社会党=総評、民社党=同盟としてブロックを形成していた。反共を達成したのだから、政党における社会・民社、組合における総評・同盟は新たに一枚岩となるべきである。総評・同盟は共に働く者の政党を育てるつもりであるから、かつて財界が保守を合同させて自民党を誕生させたように、総評・同盟=労働戦線統一運動が、一気に、野党の再編成、新合体を生み出しても不思議ではなかった。しかし、実現しなかった。

民主主義勢力として立つべし

 昨年、野党再統一の動きがあった。組合(連合)としては、働く人の政党を大きくするのが課題であるから、とくに、旧立憲民主党と国民民主党の合体を推進したのは当然である。しかし、土壇場で国民民主党は分党を選んだ。ここで、国民民主党が合体を拒否した理由は何か? かなりミステリアスである。

 仄聞するに、国民民主党側は、立憲民主党が共産党と連携する可能性があるから拒否したという。しかし、諸外国の事例を見るまでもなく、非力の政党が可能な限り大きな結束を作って巨大政党に対抗するのは常識的戦略である。いまの共産党は、バンドエイド的役割を果たすことがあっても、結束した野党にメスを入れて手術するような力も考えも持っていない。これが常識的分析だ。

 かつて組合が、労働戦線統一に向けて共産党追い出しに奔走したと同じ分析を、いまの共産党に当てはめているのであれば、幽霊を見たり枯れ尾花というしかない。なぜなら、共産党は働く人の「民主主義勢力」として活動しているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。組合が基準とする「労働組合主義」を、昔のまま硬直的に考えてしまうと時代錯誤になりかねない。

 すべての組合には民主主義勢力として存在感を示してほしい。かつての左右のイデオロギーにとらわれていると、時代状況を見誤る。

自民党は国民政党ではない

財界の政党

 敗戦後の政権を担ってきたのは、保守政党である。1955年から今日まで、わずかの期間以外は自民党が政権の座にあった。55年、自民党は財界の強烈な後押しによる保守合同で誕生した。

 自民党は「国民政党」を標榜する。しかし、根元から財界の政党であるから国民政党とはいえない。国は、社会を構成している人々がつくった。当然ながら、国民はその社会のすべての人々である。国の統治権はすべての人々から生まれる。財界人は人々のごく一部である。財界人に依拠する自民党は、正確に表現すれば、財界人「階級」の政党である。

 財界人とはいかなる見識の人々であろうか。①経済とは人々の生活第一のための仕組みだと考えるか、②企業が儲けること第一のための仕組みだと考えるか。財界人は②が多い。儲けなければ企業が存続できないという。しかし、人々の生活が成り立たなければ、企業が存続できないことを忘れている。コロナウイルス感染拡大が懸念される事態に、経済がダメになれば命を失うとしてGoToキャンペーンを展開したのが、②財界人の発想である。非正規雇用を激増させたのも同様、賃金生活をする圧倒的多数の人々が雇用不安・低賃金になれば、企業が儲ける条件も低下することが分かっていない。

 資本主義経済の権力者は財界人である。その財界人が政治の権力者と結託すれば、儲けることに好都合である。だから財界人は政治献金を必要経費と考えて、コスト削減の対象にはしないばかりか、政治家の性根を腐敗させる作業にも手を染めてしまう。贈収賄汚職は浜の真砂と同じである。

 わがマスコミがピリッとしない。真実を報道する仕事に憧れて記者になったはずだが、マスコミもまた企業である。財界人に不都合な真実をじゃんじゃん報道すれば、企業から潤沢に広告をいただくわけにはいくまい。かくして企業はマスコミの堕落の一因を担っているわけだ。

自民党と官僚の相性

 政党が政権を維持し続けるためには、官僚体制の取り込みに精出さねばならない。ところで、官僚体制は最大のシンクタンクである。政権を取らなければシンクタンクを自由自在に使いこなせない。しかも、官僚は選挙で人々の信任を問われない最大の政治権力集団でもある。

 わが憲法は『主権在民』であって、「公務員(官僚)は、全体(国民)の奉仕者である」と規定している。以前の憲法は『主権天皇』であるから、官僚は上から下まで天皇直結の権力者であった。官僚にとって国民は奉仕する存在ではなく手足たる存在であった。象徴が満州事変からの15年戦争である。国民は、政治家・官僚の命令によって、兵士として薄給で徴発され、国民の義務だとしてさまざまな物資を徴発され、そのために不自由極まりない生活に追い込まれ、挙句は支配者の戦争指導の失敗によって敗戦の憂き目を見たのである。

 1947年5月3日施行された憲法によって、官僚の地位は天地がひっくり返った。足下にあった国民を頭上に掲げねばならない。下衆な表現をすれば、「かしずく」のと「かしずかせる」のといずれが心地よいか。「かしずく」ことに職業的快感を覚える人が少ないのは常識であろう。

 自民党と官僚の体質は相性がよろしい。自民党は、憲法改正と再軍備路線で戦前回帰路線である。これは戦後民主主義に背中を向けて歩むもので、端的にいえば国家主義をめざす。自民党は国民政党ではない、正しくは「国家主義」政党である。敗戦までの日本は国家主義である。

 野党が頼りないから自民党が天下党である。然り、その力は「政・財・官のトライアングル」から出る。それに積極的に加わりたいマスコミ企業があるし、加わりたくないマスコミ企業には、兵糧攻めという長期戦略が駆使されている。さらに、露骨になっているのは日本学術会議会員任命拒否問題が示したように学会の取り込みである。すでに大学の取り込みは、予算を使った兵糧攻めが相当の成果を上げている。

権力=政・財・官の統御

 資本主義を自由放任にすれば圧倒的多数の人々の生活はどんどん不自由になる。だから、不十分な社会保障でも、それは自由放任を統御する方策の1つである。本来、政治は資本主義の自由放任ではなく、①経済を人々の生活第一に進めるためにこそ機能しなければならない。

 労働組合は資本主義によって生まれざるを得なかった。わが国だけではなく、世界中で格差が大問題になっている。トランプ氏のような破天荒な大統領を登場させた真の主人公は格差問題である。資本主義下において人々の生活を守ろうとすれば、今日の「労働組合主義」は、民主主義に則って国民的合意を構築していく最大勢力たらねばならない。

 そのために人々は「権力=政・財・官」を統御しなければならない。政党の視線が国民第一であるようにするためには、「国家主義」政党を「国民」政党と欺いている自民党の言動・行動を甘く見ず、「箸の上げ下げ」に注文を付けねばならない。

自民党は国家主義の党である

民主主義の扮装をしている自民党

 自民党について最大懸念は、果たして民主主義の政党であるか否かにある。もちろん、自民党内のごりごり右翼人士にしても、民主主義を否定しますとは決していわないだろう。はっきり公言してくれると好都合なのだが、いかにも自由と民主主義を守るというポーズを崩さない。したたかである。

 選挙においては、「国民の皆さまのために粉骨砕身努力いたします」と語るのは、いずれの政党に属する政治家でもそうであって、ほとんど中身がない。「国家国民のために命を賭して闘います」というのも、典型的紋切り型であって、ここにも本心は見られない。

国家主義=戦前回帰

 中曽根康弘(1918~2019)が、的確に表現した。いわく、自民党は「国家に忠誠、国民に愛情」の党だという。これは見事な表現である。一見、誰でも肯きそうな表現なのだが、氏は、自民党にとって第一に忠誠を尽くすのは国であり、国民には愛情をもって臨むという。戦前の政治家と同じ建前である。

 戦前の国家とは天皇である。その他臣民(当時国民はいない)は、天皇に忠誠心をもって仕えるのが第一である。すべての臣民は陛下の赤子(せきし)である。天皇の名前で出される命令には絶対忠誠しなければならない。命令の下では、臣民の命は鴻毛(鳥の羽)のごとく、きわめて軽いものである。これが天皇制国家主義である。

 戦後の1952年11月10日、皇太子明仁親王(後、平成の天皇)の成人式・立太子礼式典で、寿詞を述べた首相・吉田茂(1978~1967)は、自分を「臣茂」と称した。当時は再軍備とはいわぬ再軍備が進み、治安立法が登場し、中央集権的警察制度が整備され、教育に対する政府の統制が強化されつつあり、「逆コース」という言葉が登場した。すなわち戦前志向である。

 自民党による日本的国家主義は、戦前天皇制への憧憬として表現される。最近も菅氏が男系天皇にこだわる発言をした。女性天皇に反対するのも、その流れの1つである。自民党内部にもリベラル派が少なくないが、安倍政治の8年間は、リベラル派が党内活力を失ったことを意味する。かつてリベラル派の宮沢喜一(1919~2007)は、党内極右勢力を抑制するのにきわめて苦労したと語っている。安倍時代は党内外極右勢力が放し飼いされた。

 日ソ国交回復に尽力した鳩山一郎(1883~1959)、中国と国交正常化した田中角栄(1918~1993)らは、身の危険を覚悟して外交に臨んだ。周辺諸国との戦争処理が容易に捗らなかったのは、東西冷戦にあってアメリカの影響力下で自由にできなかったこともあるが、自民党内はじめ極右勢力が隠然たる力を駆使していたからである。

国家主義は独裁政治である

国家主義

 ここで、国家主義を整理しておこう。――国家主義とは、人間社会において、国家を第一義と考える。国家の権威と意思に絶対的優位を認める立場である。そこから必然的に全体主義的傾向をもち、頑なで偏狭な民族主義やナショナリズムと結びつきやすい。国家主義=全体主義(ファシズム)=民族主義=ナショナリズムと整理することができる。さらに、国家主義は独裁政治と直結しているともいえる。

 国家主義は右翼の専売特許ではない。ある絶対的権威を認めることによって、左翼的国家主義・全体主義が登場する。1970年、東大全共闘との公開討論をした三島由紀夫(1925~1970)は、「君たちが天皇を戴いてくれれば」共闘できると語った。三島は、学生左翼の全体主義的傾向を見抜いていた。

 ファシズム(国家主義=全体主義)は、個人に対する全体=国家・民族の絶対優位を主張して、諸集団を一元的に組み替え、すべての個人を全体の目標に向けて総動員する思想や体系である。敗戦までの体制がそうであった。第一次世界大戦以後、イタリア、ドイツ、日本、スペイン、南米諸国、東欧諸国などで登場した。

独裁政治の危険性

 ファシズムは独裁政治化する。民主政治とは全面的に対立する。戦時体制において、戦争指導をする支配者にとっては、きわめて都合がよろしい。たとえば、徴兵制である。わが国では、工場労働者一般が月給50円程度のとき、5円50銭で徴兵した。留守家族には月額9円を渡した。おカネで雇うのではない、皇軍兵士として陛下のために勤めるのだから、本人の赤心(まごころ)を尊重するためだとする。やらずぶったくりの屁理屈が貫かれた。

 独裁政治と民主政治を比較する。独裁政治においては、支配者が絶対権威である。支配者はしばしば正義を語る。しかし、「絶対」正義はありえない。正義を語るのは人間であるから、極論すれば人の数だけ正義がある。独裁政治においては、実は、支配者が語るから正義なのである。あまねく人々に認められるような正義を語る独裁者が存在するわけがない。支配者という権威を取り去れば、どこにでもいる単なるオッサンに過ぎない。

 民主政治を考えてみよう。民主政治は、絶対的権威を認めない。およそ考え得る多数の意見を集約して、人々が納得するようにまとめ上げる考え方であり制度である。意見交換する上で、タブーがあってはならない。独裁政治においては、絶対権威であるから、それとなじまないような意見を発することができない。徴兵された兵士が、「こんなはした金で命を捨てられるか」とは言えない。つまり、そこにはタブーが存在した。

 大東亜戦争を開始する前、知識人層において、アメリカと戦うだけの国力がないことを知らない人はほとんどいなかった。国力比較など中学校の社会科レベルの話だから、当たり前である。しかし、戦争反対の声はきわめて少なかった。「このままではジリ貧だから、無為にして自滅に終わるより、難局を打開して将来の光明を得る」という東条英機的発言によって、完全に無視されてしまった。「Japan as crazy」と言われたのも当然である。

独裁政治を支える精神主義=信仰

 独裁政治を支えるものは、極論すれば一種の信仰である。信仰を支えたコピーは、「満蒙は日本の生命線」「八紘一宇、肇国の大精神」「神国日本」「聖戦」「自存自衛」「東亜永遠の平和」「神兵」「軍神」——「もし空襲があるならば、それは日本本土の爆破を意味していない。諸君の心を破壊しようとしているのだ。そんなことで僕等の大和魂が揺らぐものか」等、無限の精神主義であった。

 『臣民の道』(1941.7.21)によれば、「皇国国民は国体に徹することが第一の要件」「我等は私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」——『戦陣訓』(1941.1.8)では、「命令一下欣然として死地に投ぜよ」「生死を超越し——慫慂として悠久の大義に生くることを悦びとすべし」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」

 絶対天皇制下、展望なき戦争という状況において、――天皇は国家であり、個人はそれと一体であり、天皇への絶対服従によって、天皇のために喜んで死ぬことが最高の名誉である――とする。天皇制イデオロギーの極致を余すことなく表現しているが、これ、イデオロギーというよりも、すでに完全な信仰であり、日本ファシズムは狂信的宗教国家というべきだった。

 これが、76年前までのわが国の姿である。まさか、このような事態を希う人はいないだろうが、戦後の長期政権を担ってきた政党が、戦前日本と相性がよろしいとなれば、われわれはよほど慎重にならざるを得ない。

ナショナリズムは偏狭かつ矮小である

 なぜ、民族主義や国家主義を警戒するか。――出発点が、民族、国家であることが必然的に権威をもたせて、個人の存在を消すからである。民族といえ、国家といえ、それがいかなるものであろうとも、個人は厳然として個人である。また、民族にせよ、国家にせよ、何をもってそれであるか! 極めて抽象的で中身が不明である。

 ナショナリズムなど振り回すのはさらに怪しい、かつ危険である。日本人としてのプライドについて、わたしは、安倍氏や菅氏に引けを取るつもりはない。それは日本人が他民族・国民に優っていると思い込むことではない。日本に生まれて育った1人の人間として、世界中のどちらの方々とも対等に公正にお付き合いする自信と責任をもっているのであって、優越感や劣等感とは無縁だ。だからヘイトスピーチをするような人々を見ると、まことに恥ずかしい。

 自民党の諸君が誇り高いのは結構だが、民主主義以前の歴史についてきちんと理解しているとは思えないのが遺憾である。そもそも、過去の栄光に精神的支えを求めるのは軟弱な精神である。自分たちが未来に向かって国際人としての日本人らしさを追求するのが筋道である。実は、それができないから、過去の栄光にすがっている。

 そればかりではない。日米同盟といえば憲法に優先するような思考しかできない。客観的に、日本の外交が独立・自主の外交だと胸を張られるだろうか! たとえば中国に対する偏見・差別意識が強いが、赫々たる成果を上げて、百万人といえどもわれ行かんの気風で対米外交を進めている中国が、果たして、日本を一丁前と見ているだろうか!

 下世話的表現をすれば、日本人は、お隣の大躍進に対してヤキモチを抱え、悪口を言っているに過ぎない。負け犬の遠吠え、虎の威を借るキツネというのは、誇り高い民族や国家のなすべきことではない。中国は、人々が辛く苦しい内戦を通じて選択した国家体制である。半端な民主主義を盾として中国の体制批判をするなど噴飯ものである。

民主政治の危機=議会政治の凋落

民主主義の後退と危機

 安倍政治の8年間の乱暴な政権運営が、民主主義に外れていることはどなたも十分に認識しているだろう。モリ・カケ・サクラ・クロ・カワイ・ランはまったく単純な汚職であって、民主主義以前の問題である。首相がコソ泥級の汚職に身をやつして議会審議をさせるのだから話にならない。

 だからといって発覚した問題について議会で審議しないわけにはいかない。数の力を借りて理屈にもならない嘘八百答弁で時間を稼ぐ。短気の人々は、いつまでやっているんだと不満を抱き、追及する野党を非難する。いわば、政治的無関心が生み出す反動的反応である。

 自民党は、政権獲得と維持が最大戦略である。政党が政権獲得に汗をかくのは当然だが、それが異様に膨張してしまうと、政権の座にいることが目的化してしまう。天下取りの発想だけである。

 なぜ、そうなるのか? 大物政治家の河野一郎(1898~1965)は、「選挙に勝った以上、政治はきれいにわれわれに任してもらいたい」(1958.5.23ラジオ)と語った。大昔の発言だが、いまの自民党もまったくこの通りである。選挙は民主主義の基盤であるが、それがすべてではない。民主政治の1つのファクターにすぎない。選出された議員は、堂々たる意見を述べ合って、合意を得るのが仕事である。

 イデオロギーはそれぞれの趣味であるが、議員たるものは討議によって真理を求めるという基本姿勢が不可欠であるし、大衆民主主義であるから討議は公開されねばなない。安倍政治の8年間は、自民党が好き放題やった事実が残るが、国会論議はきわめて形骸化した。すなわち議会制の凋落である。戦前は国会論議を軍部がしばしば妨害したが、いまは、政権党がそれをやっている。

 戦前、議会政治の凋落が15年戦争への道を歩ませた、という反省的認識が自民党議員にはない。内閣の提灯持ちしかできないのでは自民党は総陣笠議員の徒党である。戦後の大方政権を担ってきた政党が、議会政治を発展させるどころか凋落させるためにひたすら汗をかいている。100の理屈で証明しなくても、この事実だけで、自民党が民主政治の政党でないことが明確である。

組合への期待

 自民党の力は「政・財・官」の力である。わが国の民主政治を活発化させるためには、それに対する対抗軸が絶対必要である。対抗軸をつくるためには、大衆運動の柱としての組合が汗をかかねばならない。制度政策について政府に要求するのは大事だが、もっと大事なことは、民主政治を推進させようとする個人を育て、自民党的扮装民主主義を暴かねばならない。

 わが民主政治の停滞は、権力を握る自民党が作り出したのであるが、それを許したのは、民主主義を推進しようという大衆が少ないからである。政党支持はもちろん大きな課題だが、そのために組合は、政党を民主主義の旗に結集させねばならない。組合が、その旗幟を鮮明にするとき、非自民野党の大合同が生まれる。組合リーダーには、民主主義を発展させるための大きな志を確立してほしい。


奥井礼喜 21組合研究会主宰 有限会社ライフビジョン 代表