月刊ライフビジョン | 地域を生きる

Zoomがつなぐ市民運動

薗田碩哉

 近ごろは手帳の予定表にZoomという語が頻出するようになった。今日は朝10時からZoomで会議、明日の午後はZoomで講習会、夜の8時からは同窓会の「Zoomで飲み会」なんていうのまであって、Zoom漬けの日々が続くのである。オンラインで行うことのできるWeb会議システムには、SkypeとかGoogle meetとか他にもいくつかあるのだが、何といってもZoomが画質・音質ともに良いということでいちばん人気のようである。

 コロナで3密が規制され、外出もはばかられる状況が続く中で、にわかに脚光を浴びたのがオンラインによる会議である。実際やってみると、パソコンの画面に相手の顔がアップされ、声も明瞭に聞こえる。ただし、彼我のやり取りには微妙な時間のズレが生じることがあって、始めはちょっとまごつくが、慣れれば何ということもない。リアルな会議では発言者の顔をまじまじと見ることはあんまりないのに、Zoomとなると自分も含めて全員の顔が画面一杯に映し出されるのだから、ご面相に自信のない小生などは、いささか気後れするところもある。

 しかし、Zoomならではの利点も見えてきた。発言者の顔をまじまじと見ながら、彼や彼女の言うことに耳を傾けると、いい加減に聞き流すことが少なくなった。リアルな会合では自分の正面に座った人の表情は見えても、横の方やまして端っこにいる人の顔つきまでは見えない。席の遠い人の話はうまく聞き取れないこともある。ところがZoomでは全員が正面に向いていて表情もよくわかるし、マイクが正常なら発言もバッチリ聞こえる。声が小さければボリウムを上げればいい。自分もまた全員に対して顔をさらして語るのだから、あんまりいい加減なことは言えない…という気分になる。つまりは会議のやり取りがそれだけ深いものになるということだ。Zoomという道具は、互いに隔てられている現実を何とか乗り越えるためのとりあえずの便法のはずだったが、それ以上に新たな発見をもたらしてもいる。コロナが終わってもZoomが捨てられることはもはやあるまい。

 とはいえ、困ることもある。オンライン講習会の講義である。パソコンに向かって一生懸命しゃべるのは緊張感があっていい面もあるが、何としても聴衆の反応がナマに伝わってこない。画面を細かく分けて聴衆の顔を一覧する機能があるので、聴衆の皆さんに手をあげるとか手を振るとか反応を求めることもできる。誰かを指名して感想や意見を求めることもある。聴衆の方から質問や感想をパソコンに文字を打ち込んで送るチャットという機能もある。しかし、いずれも隔靴掻痒で、現実の会場で聴衆の雰囲気(乗っているとか白けているとか)を肌で受け止めるのとは段違いだ。毎日オンラインでの授業を強いられている大学の先生方の苦労がしのばれるというものだ。

 地域の活動においてもZoomの果たす役割は大きい。この欄にたびたび書いているように、目下筆者は町田市において公立図書館削減という何とも反文化的な政策に反対する市民運動を展開しているのだが、コロナ禍に見舞われて市民の集会が開きにくくなっている。公民館は部屋を貸してくれなかったり、人数を制限されたりで大集会は難しい。運動に同調する市民の側も高齢者が多いので、非常事態宣言下では家を出にくくなり、家族に止められたりもする。対するにテキの行政の方は、うるさい市民の会合に引っ張り出されることもなく、委員会や市議会の傍聴も禁止できて、遠慮なくコトを進められる。コロナは行政の独走に手を貸していると恨みたくもなる。

 そうはさせじ、とこちらも密に連絡を取り合うためにZoomは欠かせない。実は小生が初めてZoomを使ったのは、図書館運動の作戦会議に参加するために、皆さんに勧められてやむなく始めたのである。使い込んだ古いパソコンにはカメラもマイクもついていないので、外付けのカメラを買おうとしたら、電器店でもネットでもすぐには手に入らない。Web会議が大流行で在庫があっという間になくなったということで1ヶ月も待たされた。カメラの部品の多くは中国からの輸入で、そのため時間がかかるという説明だった。マスクもネット用品もかなりの部分を中国に依存しているのである。日中友好の大切さはこの一事をとってもよくわかるというものだ。

 Zoomはいまや市民運動にとって欠かせない武器である。市内のメンバーばかりでなく、同じ関心を持っていたり、同様の運動に取り組んでいる市外のさまざまな活動家とも「顔突き合わせて」話すこともできる。地域と世界をつなぎ、市民の情報とやる気を交換できるシステムとしてコロナが下火になっても、このまたとない道具を生かしていきたい。


【地域に生きる71】 お焚き上げ 

 昨年の暮れも押し迫った一日、里山の田んぼで「お焚き上げ」をした。落ち葉や枯れ枝や倒木を積み上げて点火、夏以来、田んぼを守ってくれた案山子を燃やして天に返した。子どもたちは焚火が大好き。大きな炎に歓声を上げ、お芋を焼いて美味しくいただいた。


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。