月刊ライフビジョン | 家元登場

床屋談義

奥井禮喜

前のも今度もみんなダメッ

 ひさしぶりに調髪に行く。子ども時代から調髪は苦手である。苦手になったのは散髪屋主人が無言で、右向け、左向け、前に屈めと手荒くわが頭を指図するのであって、なんとも苦痛な時間を体験させられたからだ。わが村には散髪屋は一軒しかなく、気に入らなくても仕方がなかった。都会へ出てからは手荒な扱いをされた記憶はないが、いまもそれなりの決意をしてドアを開ける習性である。「飲食店だけじゃないですよ、家賃をどうしようかと困っています。お客が来ないんだから。前のもだけど、今度の首相もだめですねえ。野党がダメだからねえ」。当方の意見もあるので相槌打ちつつ、ちょいちょい見解を述べるのだが、耳が遠いのか、返ってくる言葉はまったく当を得ない。気が付くと肩に力が入っているみたいで、気取られないように溜息が出る。なにしろわが頭は相手の手中にあり、気分よく片付けていただくのが第一。で、終わるとまことに心安らかになる。

メディアの公平中立に疑義

 野党がダメだというのは世間の気風だろう。ダメでなければ自民党の天下がかくも長く続くわけがない。ダメな野党に票が入らないのか。投票しないから野党がダメなのか。ちらちら考えるに、自民党のどなたが立派な政治家で、たいした見識をもっているというような話を聞くわけでもない。たとえば、わが町で街頭演説する議員は国会議員から区議会議員までいるが、自民党議員はほとんど来ない。演説のヘタウマはあるが、大方の野党議員はまともな話をする。しかし、街頭演説ではじっくり聞いてもらって考えていただくことになりにくい。それに街頭演説は数が少ない。連日辻立ちでもしないかぎり、人々にしかるべく存念を伝達するのは無理であろう。やはり、メディア、とりわけ新聞・テレビにおける各政党の露出度が勝負所になるわけだ。ところで、新聞を読んでいても、野党にはほとんどスポットが当たらない。大方の政治記事は政府・自民党の動きである。

starとdustの政治ショー

 「ヨシと呼んでくれ、ジョーと呼んでもよろしいか」など、米国的文化に同調したにしても、初めての電話で語りかけるものかいなと、いささか気恥ずかしい。が、ジョーは悪玉をやっつけて、世界の期待を背負って登場した「星」だから、大方の太郎ちゃん・良子ちゃんは、案外よしよしという心地がするかもしれない。そこへ、新聞社説は「国際協調、共に立て直せ」(朝日)、「同盟強化へ意思疎通重ねたい」(読売)、「地域の安定を築く同盟に」(毎日)という調子であるから、なにやらものごとが大団円方向にあるように錯覚する。そこには軍事同盟なるものの「本質的」危険性や、もっと大きく国際「平和」政治のあり方を考えるような思考的筋書きが生まれない。同じ民主主義の頭領同士といっても、わが方はほとんど一党独裁的政権運営が続いている。「星」と「星屑」が愛称で呼び合うなんて記事は、できの悪いポンチ絵だ。が、自民党が暗黙裡に点数を稼ぐことに貢献する。

対案のない民主主義

 やや脱線したので戻そう。「野党がダメ」といって安閑としていられる事情だろうか。では、自民党は上等なのか。といえば、ハサミを動かしつつ、前もいまも首相がダメだと話しておられる。これを整理すれば、わが国の政治について納得どころか、不満たらたらなのである。つまり、いまの政治はダメだ。自民党のダメを変える力がないというのである。ところで「野党は対案を出せ」という。対案が大枠自民党的思想からしか出せないのであれば、自民党にくっついて与党を楽しんでいる党と同じである。自民党は根本的に似非民主主義政党であるから、野党たるものは、民主主義にきっちり足を付けた対案を提起せねばならない。「これが民主主義だ」という見識をつねに押し出す。野党がダメを返上するためには、似非民主主義をとことん暴露せねばならぬ。正統派民主主義が人々の支持を得られないとは考えない。それによって人々の民主主義意識が前進するにちがいない、


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人