月刊ライフビジョン | 家元登場

『猫』は吾輩である

奥井禮喜

趣味の差

 『吾輩は猫である』を、また読んだ。夏目漱石(1867~1916)が39歳のときに書いた。作家としての第一作である。作家生活はわずか10年で亡くなった。胃弱であったにしても、それ以上に超人的集中力の作家生活が早逝の原因ではないだろうか。『猫』の研究は数多あるが、それ自体が作品の面白さ、奥深さを物語る。筋道を追っかけるような小説ではない。おしゃべり小説というべきか、言葉の面白さ、語彙の豊かさ、汲めども尽きない言葉の泉が滾々と湧いてくる。しかも歯切れのよい文体で、音楽を聴いているような、至る所に滑稽が顔を出す。漱石は、「文学は吾人のテイストである」(『文学評論』)と書いたが、趣味の異なる人をも誘い込む。馬場胡蝶(1869~1940)は、漱石が極めて大きな思想生活をした人にちがいない。対談の名手であり、大きな包容力を感じさせられたと絶賛した。講演録を読むと、まことに当意即妙、生の声が聴きたくなる。

モノ語る猫

 『猫』は、なぜ面白いのか。猫がモノを言うからである。もちろん、猫が話すわけはなく、猫に仮託した漱石である。猫が話す理屈が面白い。ところで、日本人は元来理屈を好まない。理屈が面倒くさいのである。理屈は何かと煩わしい。漱石生誕100年後でも、男子たるもの! 口を開くのは日に三言、メシ・フロ・ネルでよろしい。無駄口叩くのは軽薄かつ柔弱だという気風がかなり存在感を持っていた。漱石の時代は、これが主流であって、猫の宿主・苦沙弥先生の周りに集まって超然的談話を楽しんでいる迷亭・寒月・東風などは、存在自体が反浮世的であった。ところが、『猫』が公刊されるや大人気を博したというのだから、日本人の理屈敬遠、おしゃべり嫌いに大きな一石を投じたことになる。『猫』全体に、人の生き方、人間関係、社会のあり方についての、古今東西の蘊蓄が随所に登場する。そして、現代人もまた、これについて行ける人は多数派ではなかろう。

痛快な風刺

 漱石が、猫を引っ張り出したのは、スウィフト(1667~1745)『ガリヴァー旅行記』が作用したと推測する。漱石は文部省に命ぜられて1900年から2年間ロンドンに留学した。不愉快極まりない2年間だったと痛罵したが、この間の研究から『文学評論』が生み出された。18世紀英文学の評論を通して、漱石自身の文学に対する見解をまとめた。「イギリス18世紀の状況一般」を記した部分、「スウィフトと厭世文学」を論じた部分が、とくに面白い。漱石は、『ガリヴァー』は大傑作である、なかでも馬の国を絶賛し、スウィフトを高く評価した。スウィフトは、18世紀だけでなく、人間社会に全面的な不満を抱いているから人間社会をボロクソに叩く。しかし、それは私利私欲や私怨によるものではない。だから、自分もボロクソ言われている1人だが腹が立つどころか痛快ですらある。漱石は、人間社会を真摯に思う心で小説を書きたいと決意したに違いない。

猫は不屈だ

人間を書くのが文学ならば、人間とはなにか? いかなる生き方を求めるべきか? を常に考えねばならない。しかも、面白く書くべきである。サービス精神旺盛に書かれたのが『猫』であった。さて、名作は時代を超えていろいろ気づかせてくれる。たとえば、苦沙弥先生は、「義理をかく・人情をかく・恥をかく」で成り上がった実業家の金田が大嫌いである。金田もまた、カネの威力に低頭しない頑固な学者肌の苦沙弥が大嫌いである。金田は、落雲館の学生たちに苦沙弥に対して嫌がらせをさせる。どこかで見たような光景である。永田町の頂点に立った菅氏一派と、日本学術会議との関係が思い浮かんだ。猫は、「理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の眼を掠めて我理を貫くかといえば、吾輩は無論後者を選ぶ」と喝破する。吾輩は猫であるの猫は、もちろん漱石である。そして、『猫』を読んでいる吾輩は、「吾輩は吾輩である」と呟く次第である。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人