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コロナ対策から見る公務員の深層心理

司 高志

 公務員という稼業は、公務員以外の人から見ると大変「おいしい職業」のように見えるだろう。頭で考えるだけならこれほどおいしい職業はない。だが、やりがいという側面から見たときは大きな疑問符が付く。食っていくためには申し分がないが、その分やりがいは全くない。本稿ではコロナ対策がケチケチであると論じてきたが、今回は一段掘り下げて、その行動原理における公務員の心理の深層に触れてみたい。

 公務員の仕事が面白くない原因は、組織内での仕事の進め方にある。とにかく、不要とも思える「ケチ付け要員」が直列に並んでいる。係員から見れば、課の中を最短でクリアするだけでも係長、課長補佐、課長とまあ、最低3段階に説明が必要だ。それぞれがヘンな仕事観を持っていて、三人とも言うことが違うなんてことはザラに起き、組織のトップまで上がるころには、当初原案とは真反対の政策ができたりする。まあこれで、多くの公務員は心が折れる。だがこれはほんの入り口で、実はもっと根深い罠が待っている。

 公務員も一応業績主義で評価制度があるが、この評価制度は表向きのいわばフォーマルな世界だ。しかし本当の評価は、インフォーマルで不文律の評価基準が強固に存在している。インフォーマルな世界を明文化すれば以下のようになる。

 ①とにかく権限の拡大を目指せ。口を出せる場所を量産するのが使命だ。

 ②予算や組織の拡大を目指せ。とにかく肥大させるのが仕事だ。

 なぜこうなってしまうのかというと、仕事が面白くないからだ。

 人間誰でも楽しみがなければ生きていけない。仕事上に全く楽しみが見出せないならば、終業後の趣味の世界で楽しみを見出すしかない。ところがなんと、公務員の仕事世界においては、仕事の中に疑似的楽しみを創作できてしまうのだ。例えば法律をどんどん厳しくして、人々を困らせるのが快感になる。新たに税金を作ってガッポガッポとむしり取るのも楽しみだし、大企業にお金をばらまいて申請しに来る人に威張って嗤うのも楽しそうだ。

 これを非人間的というなかれ。公言はしないもののそれが人間の本性で、仕事上の楽しみにつながるのである。

 キャリアとノンキャリアを比べると、この傾向はノンキャリアに強く表れる。それはノンキャリアの方がより一層、仕事に楽しみの余地がないからだといえるだろう。キャリアには退職後においしい思いが待っているが、ノンキャリアにはそれはなく、より現世利益的な行動になってしまう。 

 さて、コロナの時に起きた事例で言えば、保障をしないで活動の自粛を求めることは快感だ。権限の行使が実感できる。大会社に委託して国のお金を配らせるのも、権限の行使だ。個人に一律にお金を配ったのでは面白くもないが、どこかで線引きしてお金を渡さない人を選別するのは楽しみだ。

 大企業を太らせてやれば、賭けマージャンの検事長のように送りのハイヤーがつくかもしれない。個人や中小企業にお金を配っても見返りはない。

 公務員に表面上の倫理を求めるのなら反論はしないが、公務員の深層心理では無意識的に快楽を作り出している。お役所仕事と言えば「遅い」「杓子定規」などあるが、そこに快楽を求めているかもしれない。公務員職場にも心の健康管理が必要なのだ。

 現状では、公務員試験が行われるのでそれなりの人が公務に就くのだが、それなりであるだけに、無意識のうちに楽しくない仕事の代償活動が行われているとしたら、質が悪い。