月刊ライフビジョン | 地域を生きる

コロナ禍は地域に何をもたらしたか

薗田碩哉

 緊急事態宣言の下での1カ月半、東京の西郊でおとなしく過ごした。3月半ばを最後に多摩川を東に渡っていないし、4月上旬からは電車にも乗っていない。寝ぐらのマンションと里山に抱かれた山荘を往復するのみの晴耕雨読の毎日だった。里山田んぼの代掻きをし、庭のミカンの木に棲んでいたアゲハの幼虫が蛹になって羽化するのを見届けた。本はたくさん読んだが乱読、雑読ばかり。インプットは十分でもアウトプットの原稿生産は遅々としていて、ライフビジョン学会「あかでめいあ」の小論文が書けたぐらいだ。

 『世界』の6月号でフランスの社会学者ステファヌ・オードゥアン=ルゾーが「私たちが一か月前にあとにした世界は二度と帰ってこない」と発言している。都市が封鎖され、国と国が断絶し、経済活動は停滞し、人々は孤立した。感染し重症化し、家族にも看取られず死を迎え、立ち合う人もなく埋葬されてしまう人が激増した。ヨーロッパばかりではない。わが方でもコメディアン志村けんはその通りの突然の死だった。世界規模でかつてなかった非人間的な状況が突発し、急激に拡散した。それを体験した世界はもうこれまでの流儀で進むことはできないという話は分かるような気がする。

 わが住む地域ではどうだろうか。2か月前には確かにこんなにマスク人間ばかりではなかった。今や右も左も、男も女も、赤ん坊も年寄りもマスク、マスクの光景である。お互いに眼ばかりギラギラさせて、マスクをしていない奴はいないかと監視し合っているような雰囲気だ。阿部謹也先生の言われる「世間」の目というのはこういうものかと思う。さすがに「自粛警察」まではご近所では見かけないが、道で会えばこれまで気軽に立ち話をしていたような知り合いも目礼して通り過ぎるばかり。店に行ってもマスクとシールドで、正面から見つめ合わないし、お金のやり取りもトレイに載せて済ませる。人と人の関係がよそよそしくなり、コミュニティに疎外感が満ち満ちている。緊急事態が解除されても、これがどこまで元に戻るのか、心もとない気分だ。

 しかし、2カ月も地域に貼りつけられていたので、地域を見る目は豊かになった。毎日欠かさず外へ出てそのあたりを歩き回る。いつも同じコースというのはつまらないから、足に任せて知らない道を辿ってみる。いつもは家と駅との最短コースしか歩いてないことに気づく。長く住んではいても、ご近所には初めて見る場所がいくらでもある。見ていてほれぼれする瀟洒な住宅があり、花の咲き乱れた庭があり、ベンチに座りたくなる小公園があり、こんなところにと思うようなレストランや喫茶店がある。お店はだいたい休みなので、コロナ明けにはもう一度やって来て、つぶれないようがんばってもらおうと考えたりする。コロナは散歩の価値を再確認させてくれたし、地域という生活の基盤にもっと関心を向けて、時間とお金を投入すべきだと思わせてくれた。そう思った人は多分少なくないだろう。その思いの集合がコロナ後の地域の活性化につながれば、コロナ禍にもそれなりの効用があったことになろう。

 外出自粛と言っても、友人知人とのコミュニケーションを欠くことはできない。メールのやりとりは繁くなり、遠い知り合いに手紙を書いて近況を尋ねたりもした。集会ができない地域活動のためにオンライン会議を開かざるを得なくなって、改めてインターネットの威力を痛感した。アベ政権がまたぞろやらかそうとした検察庁法の改悪に対しては、全国から数百万という抗議の書き込みが集まって(私も及ばずながら投稿した)、いったんはこれを阻止する力になったのはすごいことだ。町田市で進めている図書館削減への反対運動では、いつもの会合が開けないので、もっぱらネットに頼る情報交換を進めたが、これがかえってこれまで参加できなかった人たちの声や他の地域でのさまざまな実践事例を集める契機となった。日常のコミュニケーションが疎外されたことが、別途の道を開き、人との関わりの結び直しにつながってくるのだと思われる。

 最後に1つ。身の回りの自然が大切だということを改めて確信した。4月、5月の春の里山は色とりどりの野草の花が咲きそろい、蝶々が飛び交い、カエルが歌い、中国からお越しのガビチョウが囀る別世界。空気も澄んで(車の量が減ったせいもあろうか)、快適至極の桃源郷だった。ウィルスの出没の根本的な理由は人間の手による原生自然の破壊や野生生物の殺戮にあるという。コロナ後の世界は自然と共生する世界でなくてはやっていけない。都市近郊の自然こそわれわれが守るべき貴重な財産である。


(地域に生きる 63)
  里山田んぼでは代掻きが進んでいる。
  雨も適度に降ってくれて水がたまった。
  今年植えた菖蒲が咲きそろって
  田んぼを見守っている。

薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型