月刊ライフビジョン | 地域を生きる

コロナの休日―ウィルス禍異聞

薗田碩哉

 春の陽ざしに誘われてわが住むマンションの隣りの小公園に行って見ると、小さい子から大きい子までたくさん群れて思い思いに遊んでいる。幼稚園の園庭か休み時間の学校のグラウンドのような風景だ。降ってわいたようなお休み、家に閉じこもっていてもつまらない、近所の友だちを語らって遊びに来るのは当然だろう。マスクをした母親たちもちらほらいて、新型コロナウィルスの不安も多少漂ってはいるものの、ぜんたいとしては親も子も突然の[コロナの休日]を楽しんでいる。

 子どもたちに聞いてみると、休みになったのはいいが、母親がどっさりと学習ドリルを買い込んで来て毎日やらされるのはかなわない、「学校の方がラク」というご意見。近所の中年サラリーマンは、週に2日は自宅勤務ということになったが、家ではカミさんに用事を言いつけられ、子どもたちにはまといつかれ、とても仕事にならないとぼやいている。仲間の爺さんたちは「コミセン(コミュニティセンター)から図書館まで閉じるなんてやり過ぎだ、行くところがない」と憤慨、午後4時から6時まではビールが半額になるファミレスに集まってコロナ対策批判のオダを上げている。

 活動エネルギー一杯の中高生はどうしているのだろう。学校も部活もなく、図書館での勉強もNOとなると、彼らは巷の商業空間に進出せざるを得ない。実際、駅前のショッピングビルの地下にある大きなカフェに行ってみたら、そこは中高生の解放区みたいになっていて、みんなスマホ片手に大声でおしゃべり。筆者の隣りでは、ペットボトルを空中に投げ上げて回転させ、テーブルの上にまっすぐに着地させるのを競う即席のゲームを大盛り上がりでやっていた。

 余暇研究者としての筆者に言わせれば、これは国民的余暇をテーマにした壮大な実験だと思う。何しろわが国は、毎日残業、休日出勤、有休未消化が当然の余暇貧国である。勤労世代はたまの休みは疲労回復のための「寝てよう日」になって、地域で子どもや高齢者と交流するなんて機会はまずない。子どもたちも朝から晩までがっちり管理されていて、自由なはずの放課後まで、やれ塾だお稽古だスポーツクラブだと行き場所が決められ、そこに行かない子たちは学童クラブに収容され、それにも入れない子は学校の放課後教室で地域のボランティアが面倒を見てくれる。勝手気ままに遊ぶなんてことはめったにできるものではない。そこへいきなり自由時間の津波が押し寄せたのである。しかも、普段は余暇の容れ物になる公共施設も動物園もレジャーランドも閉鎖、行動範囲も狭まって不要不急の遠出はするな、わが町以外には出て行くなというのだから、誰もが我が家の余暇、地域の余暇の存在意義に目覚めさせられることになった。

 我が家の余暇が充実するためには、家族の日ごろのコミュニケーションが大切だ。新聞のコラムには[家族が楽しく過ごす工夫]が紹介されているが、いつもすれ違いの家族では家族ゲームもパーティもおいそれとは出来ないだろう。地域の余暇のためには、隣り近所の日頃の付き合いが大切だし、公園や公民館や図書館が欠くことのできない装置であることも改めて痛感される。身の回りに緑豊かな気持ちのいい公園があり、カフェや集会室や図書館が併設されたコミュニティ施設が存在することが日常生活をどれほど豊かにしてくれるか。未曾有の新型ウィルス禍に何ほどか前向きの意味を見いだすとすれば、それは日本人の余暇貧乏を改めて認識させ。地域の余暇環境の充実こそが市民生活における最大の課題であることを気づかせてくれたことではなかろうか。

【地域のスナップ】カタクリの花

 住宅街の裏手の里山に接する辺りを歩いていたら、椿の木の下にあんまり見かけない花が咲いていた。よく見るとカタクリの花である。薄紫の花を謙虚にも下向きに咲かせる。かつては里山に普通にみられ、球根から取った良質のデンプンは片栗粉と言われた。他の野草に交じって小群落を成し、必死に咲いている感じ。がんばれカタクリ。


 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。