月刊ライフビジョン | 地域を生きる

放課後の子どもたち その4

薗田碩哉

 問題行動ばかり起こすという理由で両親が学校に呼ばれた。親をはじめ学校長、2人の担任、児童指導員、教育委員会の児童心理の専門家という顔ぶれの、分別ある7人の大人たちはこぞって目の前にいる9歳の少年に、学校には通わなければならないこと、先生の言うことには何によらずおとなしく従わねばならないことを説き聞かせた。話が終わるとその子どもは大人たちをまっすぐに見つめて言った―「くたばれ!」。

 これはアメリカのとある小学校での話である。親と子どもを呼び出して説諭するような風景は、日本のどこにもあるだろう。アメリカでも似たようなものらしい。並み居る大人たちに「くたばれ!」と啖呵を切れる子どもも日本だって少しはいるだろう。日本とちょっと違うと思うのはこの親たちの行動である。父親も母親もわが子の「くたばれ!」を聴いた瞬間、息子に対峙するのではなく彼の側に居なければならないことを卒然と悟るのである。

 彼らは子どもを学校に通わせることを止めて子どもの自律性と向き合うことを選ぶ。現在の義務教育は、子どもが無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在であると決めつけた上で、不当に子どもの自由を奪い、責任能力の発達を妨げ、学びの内発的動機づけを軽視して学びを「勉強=無理強い」や「苦役」に変えてしまう。恥ずかしさや思い上がりを助長し、分離と競争によっていじめを蔓延させ、批判的な思考を禁じて、知識の多様性を否定する――これが親たちの出した結論だった。彼らは子どもの自由な遊びこそが学びの土台になると考えて、試行錯誤の末に子どもの自由を取り戻した学校を探し出す。

 これはピーター・グレイ著(吉田新一郎訳)『遊びが学びに欠かせないわけ』(築地書館 2018)という本の趣旨である。実にわが意を得たりという快著で一気に読み終えた。グレイ氏は「くたばれ!」と叫んだ子の父親であり、ボストン・カレッジの心理学の先生だった。彼は息子の一言から改めて遊びこそが子どもの成長の基盤であることを再確認する。狩猟採集民の子どもたちは遊びでいっぱいだったのに、農業社会を経た後の近代化の過程で「学校」という制度が整えられ、遊びと学びを管理して国家に好都合な人間を生み出す装置に仕立てて行く。学校のパワーはその後も高まり続け、子どもへの抑圧と画一化が進行している。どうしたらそこから抜け出して子どもの遊び心や好奇心や社会性を取り戻して行けるのか、従来の学校に代わる別の可能性が提示される。

 一昔前までの親たちは子どもを信頼して、子どもの遊びこそが成長の原動力だと信じていた。そういう認識が後退した理由として、グレイ氏は隣り近所の関係が弱体化し、近隣の遊び友達がいなくなってしまったこと、子育てについての親たちの常識が低下して、専門家やメディアが煽る不安が増大していることを上げている。なあんだ、アメリカでもそうなのか、という感が深い。子どもの遊びの衰退は、途上国はいざ知らず、先進国共通の大きな社会問題だと言うべきだろう。

 こうした枠組みの中で「放課後」の持つ意味は小さくない。筆者が関わろうとしている近所の小学校の「放課後子ども教室」は、遊びと学びの融合した楽しい場所にしなくてはならない。「教室」という名がついていても、先生が指導する課業をやるわけではない。課業を放棄するのが放課後である。子どもたちに「くたばれ!」と言われない、自由で創造的な子どもの居場所を作り上げていきたいものだ。


「地域に生きる」58 火を焚く子どもたち 

 子どもたちは生火が大好きだ。わが「さんさんくらぶ」の餅つきの日、もち米を蒸かす釜と蒸篭の火の番を任された子どもたちは、嬉々としてストーブの焚き口に枯れ枝を押し込んでいた。子どもたちの真剣なまなざしが頼もしい。(遊びは学びの土台)

 薗田碩哉(そのだ せきや)

 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。