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習慣への軽い違和感

音無裕作

 秋といえば祭りのシーズン。私の住む地域の小さい神社でも恒例のお祭りが催され、地域の子ども会による出店やゲームもあって、ちょっとした盛り上がりを見せています。

 秋は運動会も多く開催されます。最近では春に行う学校も多いですが、そろそろ「旧い人間」に分類されつつある私としてはやはり、運動会は「秋」の風物詩です。

 と言いながら私としては、運動会より祭が好きです。積極的に神輿を担いだりはしないのですが、地域や組織の仲間同士の親睦や交流を深められる雰囲気が好きなのです。

 しかし最近になって、祭や運動会での「来賓席」という存在が気になりはじめました。

 運動会では、最も競技の見やすい場所を「特等席」としてテントが張られ、椅子が並べられ、地域の議員さんや近隣他校の校長先生、そして役所や自治体などの関係者が招待されています。

 近年の9月10月はまだまだ暑く、主役である子供たちは日がな一日、日なたにさらされて、半ズボンで太ももを日焼けで火傷のようになってしまった子どもを見たこともあります。親たちも例年、夜明け前から場所取りの行列ができるほど、苦労しています。そもそもグランドに日陰などあまりなく、ビニールシートの桟敷に窮屈に座りながら、快適そうな来賓席をうらやましそうに眺めるしかありません。

 祭りとなると、さらに名士の「接待」は大仰です。子どもたちや見物人が境内や道路で屋台の立ち食い、しゃがみ食いをしている一方で、来賓席として用意されたテントの中では先ほどの運動会と同じような名士の面々が、無料の酒や、屋台では出さない豪華な料理で、もてなしを受けているところを目にします。

 もてなされる方々はそれらの光景が一般の方の目にどう映るか、考えたことはないのでしょうか。もてなす側の祭りの主催者も、違和感を覚えないのでしょうか。大げさかもしれませんが、封建時代の「お上」意識を連想させます。

 私は祭の実行委員の方に「接待って必要なのか」と提言したことがあるのですが、「他所ではもっと豪華な料理も出ていた。負けられない」と、不毛な競争意識に燃えていました。

 そもそも祭というものは、市民や仲間同士の親睦を深め、交流を促進することが一番の目的だと思います。一部の「お偉いさん」をもてなすことに知財を注ぐのではなく、もっと多くの参加者や主催者が楽しめるよう、気を遣うことの方が大切ではないでしょうか。

 まつりもまつりごとも、まずは市民・国民を第一に考えるスタンスが、民主主義を標榜する社会に似合うのではと思いました。