月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

低い投票率について考える

渡邊隆之
 去る721日、参議院半数改選選挙が行われた。自公政権は過半数議席を維持したものの憲法改正発議要件(参議院総議員の3分の2)には届かず、投票率は戦後2番目に低い48.8%だった。投票率を上げるにはどうしたらよいかとしきりに討論され、対策として①選挙権行使の利便性向上と②有権者教育などが話題にされる。
 まず①利便性向上については、投票場所の増設、マークシート方式の採用、ネット投票の採用などの要望が出ている。しかし期日前投票や投票時間延長の実施でも投票率が上がらない以上、利便性の向上のみで飛躍的に投票率が上がるとは考えにくい。
 そこで②有権者教育を充実できないか、である。
 学校教育では模擬投票を行ったり、模擬政党をつくって政策の発表と討論をさせたりしているようであるが、政治への最初の気づきとはなり得ても、なかなか具体的な投票行動へとは結び付かないのではないだろうか。それは今この国で、どのような問題が起こり、投票の結果で将来何が改善・改悪されるのか、自分事として把握できていないからである。特に18歳からの新・選挙民は社会経験も乏しく、重税感を直接肌で感じることもない。選挙権行使の有難さはまだ実感できていない。
 一方で、過半数が棄権する選挙制度というのは有権者だけの問題なのか。今の選挙制度やそれを取り巻く環境が、形式上は民主主義を装うも実体は、一部の利益層、既得権層のための制度に変質してはいないのか。
 民主主義とは治者と被治者の自同性(同一関係)をいう。それは多様な意見・少数意見の存在を尊重する。
 今回台風の目になった『れいわ新選組』党首の山本太郎氏は、単身で全国行脚し街頭演説を重ねて、異なる意見やヤジにも耳を傾け、持論についての理解を求めた。片やとある大政党の党首は前回は聴衆にむけて、「こんな人達に負けるわけにはいかない」と言い、今回の選挙演説では応援団と警察を介入させてヤジを飛ばした聴衆を排除した。被治者の意見の排除が民主主義の要素ではないはずだ。
 弊害の指摘された衆議院小選挙区制は是正されず、解散権の濫用もある。直接議員になって国政に民意を反映させようとしても、候補者1人あたり比例区は600万円、選挙区は300万円の供託金は庶民には容易ではない。
 仮に候補者になっても、政党要件の壁がある。政党要件を充たせば大政党では潤沢な政党交付金が入るが、単なる政治団体では多額のカンパでもない限り、活動がなかなか続かない。
 さらにTV局やマスコミの立ち位置も問題がある。政権への監視機能を放棄し、むしろ政権に忖度する組織に変質してきていないか。今回、『れいわ新選組』はTV討論には呼ばれていない。政党要件を具備せず、特定の団体を優遇することは「公平」を欠くからだという。しかし、報道の自由が憲法21条で保障されるのは、国民の知る権利に奉仕するからである。出演を要望する署名が5日間で16000人分集まったことを考えるならば、現政権やスポンサーに忖度したと受け取られても仕方がない。
 選挙期間中の「自公政権過半数維持」の憶測報道も投票率低下に大いに寄与したと思われる。安倍自民党の動画広告のみを頻繁に流すポータルサイトもあった。
 TV局やマスコミの本来の使命は、憲法の基本原理に基づき、この国の方向性を決める際の適切な判断材料を有権者に提供することではないのか。
 今回の投票率の低さは、有権者の意識のみが原因でないと筆者は考える。
 2議席を獲得し政党要件を獲得した『れいわ新選組』については、選挙後やっとTV局で取り上げられるようになった。左派ポピュリズムだと揶揄するコメンテイターもいるが、党首山本氏は「この国で一番偉いのは国民みなさんです」と訴えてきた。国民主権は憲法上の基本原理である。「こんな人達に負けるわけにはいかない」の「こんな人達」は、現政権の強引な政治で切り捨てられた主権者である国民である。参議院にALS患者と脳性麻痺重度障がい者の国会議員が誕生したことで、国会のバリアフリー、働き方改革も進む。SNS上では真の国民政党を作ろうとの動きも活発になってきている。
 投票率は低いが、今回の選挙は多様性を尊重する民主主義の回復の端緒になるのではないかと筆者は期待している。