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憲法への「自衛隊」明記リスクを考える

渡邊隆之

 2月10日、安倍首相は自民党大会で統一地方選挙・参議院選挙への意気込みを示し、「違憲と言われないよう憲法に「自衛隊」を明記しなければならない」「自衛隊員の募集に都道府県の6割以上が協力しない」と宣った。
 安倍首相については立憲民主党の岡田氏との国会でのやりとりを見ていても、目の前の相手を言い負かすことまずありきのように見える。論理性や説得力を感じられない。

 確かに、国防について論じることは国家にとり大事なことである。しかし、単に憲法に「自衛隊」を明記することで問題がすべて解決するのだろうか。

 まずは、憲法学者の9割が自衛隊を違憲としているとの主張について。筆者も学生時代に法律をかじったが、そんな主張は身近で聞いたことがない。違憲と主張する学者がいるのであれば是非名前を教えていただきたいし、その方の論文に目を通して真意を確かめてみたい。首相は就任当初から同じ主張を繰り返しているが、国民にもっと説得力のある説明を求めたい。

 次に、「自衛隊員の募集に都道府県の6割以上が協力拒否」という主張も事実に反するものであった。岩屋防衛大臣からの訂正が入った。国防という大事な問題について、あたかも印象操作のような発言をされるのはいかがなものか。事実を確かめて発言しなければ国がおかしな方向に向かう。

 私見を言えば、自衛隊員の募集で人員が集まらないのは、その活動内容について透明性が確保されないからではないか。災害救助活動については、国民が十分認知している。しかし、海外派遣では日報隠し等もあり、国民が今の政権に対し不信感を持っている。仮に、フルスペックの集団的自衛権に移行することになれば、自衛隊員は米軍の指揮下に置かれ、捨て石になってしまうのではないか。国会が機能不全に陥り、日米地位協定や日米安保条約に基づきアメリカ第一主義で自らの処遇が決まるようなことがあれば、怖くてとても入隊などできない。安倍氏が本当に自衛隊をリスペクトするのであれば、まずは同盟国との関係でも、活動内容を明らかにし、自衛隊員の身の危険を最小限に抑える措置を講じることが先決だと考える。

 仮に「自衛隊」を単純明記したとしても憲法の体系の面で問題が生じる。軍事法廷の扱いについても議論が必要だろう。原則として憲法で認めていない特別裁判所の例外的設置になるからである。また、民主的コントロールをどのように及ぼすかも検討する必要がある。
 「自衛隊」明記により、他の条文との脈絡がない文言から、意に反して兵役に就かざるを得ない者も出てくる可能性がある。日本国民が徴兵義務を負うことになるかもしれない。
 アメリカのように一部の経済的貧困者が兵役を担うかもしれない。あるいは単純労働OKの延長で外国人が兵役を担うことになるのかもしれない。13条の個人の尊厳原理との関係で、もっと論議を深める必要があるはずだ。
 ある意味暴論とも思えるが、東大の井上達夫教授は(実現する可能性は極めて低いが)9条を廃して抑止のための徴兵制を認めてはと主張する。アメリカでは、ベトナム戦争時に徴兵制を強化した際、国民の反戦活動が激化したという。主張の趣旨は、国民の真剣な反戦活動による抑止を期待するものである。徴兵制は政治家も富裕層も言い逃れができないことを前提とするとのこと。開戦決定を左右するエリートとマジョリティ自身に「血を流すコスト」を負わせるべきだからだそうだ。
 国民は「自衛隊員がかわいそう」ではなく、「自分や家族が自衛隊員として出動したら暮らしはどうなるか」を考えるべきだし、政府は「血を流さず国や主権を守るにはどうしたらいいか」をもっと真剣に考えるべきである。選挙の当落結果より一人ひとりの命の価値は重いのである。