月刊ライフビジョン | 読書への誘い

「すばらしい新世界」 オルダス・ハックスレイ(1932年)

木下親郎

“Brave New World”
 Aldous Huxley

1932, 1946
Reclams 1992 (pp. 322)

「すばらしい新世界」
 大森望 訳
早川文庫 2017 \864

岩波文庫の手本となったドイツのレクラム文庫(英語版)を求めた。
レクラム文庫には、各ページの下部に英単語の独訳が書いてある。ドイツ人が英語を読むのは、我々が日本語の古典を読むのと同じ感覚のようです。


 ギリシャ語で「存在しない国」を意味する「ユートピア(理想郷)」の反対「悪い国:ディストピア Dystopia」を描いた作品がある。その代表作は先月紹介した「一九八四年」と本書である。ハックスレイ(1894~1963)は英国の作家・評論家で,85年前に過激な国粋主義台頭の危険を感じ,恐ろしい独裁国家 “Brave New World”を描いた。「一九八四年」は全編が暗いが,本書は「Brave:すばらしい」という皮肉な表題のもとに恐怖の社会を陽気に描いている。西暦2540年のロンドンが舞台で,年号は大量生産乗用車T型フォード発売の1908年を元年とするフォード暦(AF)としAF632年になる。フォードが神格化され「マイ・ゴッド!」は「マイ・フォード!」である。厳しい身分社会で,上層階級はアルファとベータ,下層はガンマとデルタ,最下層がイプシロンと呼ばれ,さらに保存地区に隔離される蛮人がいる。各階級の人口は管理され,試験管を使った「人工授精・孵化工場」で必要な数の幼児が作られる。アルファ,ベータは個人用試験管で高度の品質管理のもとに作られるが,下層階級は1個の試験管から多数の幼児が作られる。世界各地にある工場は生産効率の高さを競わされる。子供たちは,階級によって要求される条件に応じた「睡眠教育」を受けている。

 成人は,1日の仕事が終わると「幸福感を与える薬:ソーマ」を日課として呑んでいる。スポーツ,旅行,人工音楽,映画など余暇を楽しく過ごす手段が整備されている。幼児時代からエロティック遊戯を教わっており,成人男女の交際が自由な社会である。人口が試験管での人工授精で管理された社会なので,管理できない母からの胎生は許されない。「父」「母」「家族」などの言葉は,人前では話せない卑猥な言葉とされる。「新世界」には過去の歴史は必要がなく,シェークスピアを知らないのが普通である。

 ロンドンにヨーロッパ地域の統括官が駐在している。彼はフォード元年以前の歴史を知り,シェークスピア作品を諳んじる哲学者である。社会の調和を乱す者を,僻地アイスランドへ永久追放的に転勤させ,野蛮人保護区へ追放する権限を持っている。人工血液に不純物が混入する事故で,アルファ階級なのにガンマ階級並みの低い身長を持つ若者,圏外地旅行中の母から胎生で生まれ,母とともに保護区に留め置かれた蛮人が本書の重要な役割を演じている。
 ハックスレイは第二次大戦直後の1946年増刷版に「序文」を加え,1958年に評論「すばらしい新世界再訪」を発表している。17世紀ヨーロッパを破壊しつくした30年戦争の反省から,政治家や軍人は,戦争の終結は,武力による徹底的な破壊の結末を避け「和解」でなければならないと学んだ。しかし第一次世界大戦では,過激な国粋主義の極右と極左が,和解を主張する保守派を押しのけ,その後ロシア共産党,ファシズム,ヒットラー,第二次世界大戦と戦闘での解決の道を歩んだ。

 デマゴーグが,新技術のラジオ,大音声スピーカーを駆使して下層階級に働きかけて国家を掌握し,批判する声を出しにくくする状況を作った。独裁者は「安定した幸福な社会」の名のもとに「洗脳されて現状を楽しいと思う奴隷社会」を作っている。また,「核分裂技術」は,生活を支える技術なので「すばらしい新世界」では取り上げなかったが,一部の狂信的な軍事優先国粋主義者は「原子爆弾」として使おうとしている。「原子爆弾」は100年以内に人類を破滅させる。この動きを止めるには,人権と民主主義を唱える広範囲な運動により,異なる個性を持つ個人からなる社会をつくることしかないと書いている。

 ハックスレイが危惧する100年までに、残された時間は少ない!


木下親郎
電機会社で先端技術製品のもの造りを担当した技術者。現在はその体験を人造りに生かすべく奮闘中。